第5話 (3)裏庭の離れ

「さて……」

 みなのコーヒーカップも空になり、お菓子も半分はなくなった頃、美佐が窓の外をみた。

 秋晴れの青い空が見えた。

「裏庭にいかない? 今日は暖かいし……紹介したい人がいるのよ、ソラちゃん」

「え!?」


 裏口には、すでにみなの靴が用意されてあった。

 きっと、あのお手伝いさんが美佐に言われて、先に運んでおいてくれたのだろう。

 ひっかけるようにスニーカーをはいて、ソラは美佐といおりの後に続いて、裏口から外に出た。

「うわあ……」

 今日、何回目の「うわあ」なんだろう。

 裏庭は、前庭に比べてさらに広かった。

 そして、木々がうっそうと生えており、庭というより森のようだ。前庭は、きれいに整えられていたが、こちらは違った趣きがある。

 あえて人の手をいれずに、野生のままにしてある様子だった。

 ただ離れへ向かう道だけが、アスファルトで固められている。

「なんか……すごいですね……」

 ソラが言った。

「庭って感じじゃないでしょう? おじいさまがあまり人の手をいれるのを好まなくって」

「ワイルドですよ!」

 いおりが言った。そうそう、そう言いたかった! ソラも心の中で頷いていた。

 秋も深まり、木々の葉も色を変えだしていた。

 裏庭は静かで、葉ずれの音が聞こえてくる。秋の木漏れ日が美しく、暖かく注いでいる。

 秋の陽は落ちるのが早い。空は青かったが、下のほうから少しずつオレンジ色に変化していた。

 美佐を先頭に、三人は庭を進んでいった。

 途中、池があるのが見えた。

 魚がいるかどうかまではわからなかったが、水草のせいだろうか、水面は緑色に見えた。

 離れは、小さな小綺麗な平屋の家だった。

 美佐が玄関をあける。

「おじいさま。美佐です。友だちをつれてきました」

「こっちだよ」

 声は玄関の向こうからではなく、違う方角から聴こえてきた。

「縁側にまわりましょう」

 美佐の言葉に、ソラたちは玄関から、右手にまわった。

 

 その人物は、縁側にいた。

「やあ、いらっしゃい」

 縁側には丁度、陽を遮る木がなく、その人物にちょうど陽の光があたっていた。

 グレイのセーターに、黒のコーデュロイのパンツをはいている。

 髪の毛はさすがに薄いが、白髪をきっちりとまとめていた。

 セーターの下にはチェックのシャツをきているようで、襟が少しみえる。

 若々しくカジュアルなスタイルだった。

「私の祖父よ」

 美佐が言った。

「おじゃましてます」

「お、おじゃましてます」

 いおりとソラは頭を下げた。

「……いおりさん、だったね。元気なようで」

「はい!」

 いおりは以前も会ったことがあるのだろう。美佐の祖父は少ししわがれた声でいおりの名を言った。

「そちらは」

 祖父の視線が、自分に来たのを察してソラがまた慌てて頭を下げた。

「み、三星素良です。一年生です。よろしくお願いします」

「みつほしそらさん、ね」

「は、はい」

「どういう字?」

「は、はい、みっつの星に、そらは素で良いという意味です」

「ほう、いい名前だね」

 緊張でどきまぎしているソラの後ろに美佐が立って、ソラの肩を抱くように手を置いた。

 えっ!?と、美佐の手にソラの意識がいく。美佐にそんなふうに触れられたのは初めてだった。

「おじいさま、ソラちゃんは落語研究会の会長さんなの」

「それは、意外だねえ」

 祖父は笑った。

「ソラちゃん」

 耳元で、美佐が囁いた。

「祖父は落語が好きなの。でも、私じゃお話の相手ができなくて……よかったら少し祖父の相手をしてあげてもらえないかしら」

「え?!」

「いやあ、若いお嬢さんがこんな年寄り相手に話してもつまらないだろう、美佐ちゃん」

 祖父は明るく笑った。

「あ、いえ! あたしでよければ!」

「そうかい、それは嬉しいね」

 

 縁側から、三人は部屋にあがりこんだ。戸は開け放したまま。母屋が木々の合い間から見えた。秋の風がはいりこんできて心地よかった。

 平屋の離れは、居間そして奥に和室が二つばかりあるようだった。

 母屋からあのお手伝いさんがお茶とお茶菓子をもって、やってきた。

 離れにも台所はあるようだが、食事はいつも母屋でしているそうだ。

 車椅子のため、和室にテーブルを置いて生活しているようで、手を伸ばせば届く位置にテレビやミニコンポが置かれている。

 コンポがはいった棚には、落語のCDが沢山あった。

 ソラがそれを眺めていると、美佐の祖父が言った。

「以前は、よく浅草にも出かけたものなんだけどね。最近は、もっぱらCDかラジオでね」

「すごい……沢山ありますね」

「素良さんはよく寄席にはいくの」

「いえ……あたしもラジオが多いです。バイトしてないから、あまりお小遣いもないので……」

「寄席って高いものなの?」 

 お手伝いさんが、母屋に戻ったので祖父の湯のみにお茶をいれながら、美佐がソラに尋ねた。

「席によっては高くないのもあるけど……でもやっぱり何度もいけるものじゃないです」

 コンポの棚を眺めていたソラは立ち上がって、椅子をひいて席についた。

 いおりは、茶菓子を美味しそうに食べていた。

「おじいさまも、またいかれたらいいのに。私、お伴しますよ」

 美佐が言った。

「でも、美佐ちゃんは落語がわからないじゃないか」

 孫に「ちゃん」をつけて呼んでいるのが、微笑ましく聞える。

「だから、その時はソラちゃんも一緒に。ね?」

 美佐に笑顔で振られて、ソラはどぎまぎしたが「あ、はい、もちろん」と答えた。

 

 美佐の祖父から、数年前に亡くなった名人の席を見に行ったときの話などを聞いた。

 ソラと祖父が落語の話をしている間は、美佐といおりは、学校やサークルの話をしたりして、それぞれに楽しいひとときを過ごした。

 

「今日は楽しかったわ」

 お暇しようと、ソラといおりが美佐の部屋で荷物をまとめていると美佐がそういった。

「私も楽しかった~~!」

「あ、あのあたしも! おじいさんの話も楽しかったし……昔の話とか聞けてよかったです」

「ほんと? 無理につき合わせちゃったかしらと思って心配だったわ」

 ソラは頭を振った。

「……車椅子を使うようになってから、あまり出かけなくなっちゃって……私じゃあまり話相手にもなれなかったから、ソラちゃんが来てくれてほんと、おじいさまも楽しそうだったわ」

「そうなんですか……」

「美佐先輩とおじいさま、ほんと仲いいですよね」

 いおりの言葉に、美佐が答える。

「ええ、うちの家族で私の味方はおじいさまだけだもの」


 玄関に向かって歩いていると、向こうから、美佐の妹・美由がやってきた。

 お花のお稽古から帰ってきたところなのだろう、手に花の包みを持っていた。

 すれ違う時にいおりが「お邪魔いたしました」と礼をしたので、ソラもそれに倣って頭を下げた。

 美由はちょっと頭を下げただけで、無言でそのまま、廊下の奥に消えた。

 

 また来た時と同じように、美佐の家の車で駅まで送ってもらうことになった。

「ねえ、もっとおうちの近くまで送ったほうがいいんじゃない? もう暗いし」

 時間は遅くないが、秋の陽は落ちるのが早い。すでに空は暮れていて夜空に変っていた。

「いやー、あの駅までで大丈夫ですから!」

 いおりがそう言った。

「あ、あの今日はありがとうございました」

 車に乗る前に、ソラは美佐にぺこりと頭を下げた。

 美佐は笑顔で言った。

「またよかったら来てちょうだい」

 

 

 私鉄の駅のホームで、ソラといおりは電車を待ってベンチに座っていた。

 ううーんと、いおりが伸びをした。

「あの妹さんなんだけどさ」

 突然、いおりが言い出した。

「うん? 美由さん、だっけ?」

「無愛想だったでしょ」

「……そだね……でも、中学生だしあんなもんなのかなーって」

「……美佐先輩はあの家では変り種なのさ」

「えっ?」

 いおりは、美佐の妹・美由が通っている学校の名前を言った。

「わ、それってすごいお嬢様学校だよね。大学まである……」

 いろいろと疎いソラでも知っている学校だった。

「美佐先輩も、中学まではそこだったんだよ」

「えーー。じゃあ、高等部にあがらないで、うちに来たの?」

「美佐先輩のお姉さんたちも、みなそこの学校でさ。今、大学生っていってたでしょ、みんなそこ」

「ひえええ………」

 そりゃ筋金入りのお嬢様姉妹じゃないか。

「そっか……美佐先輩だけ明窓じゃ確かに変ってるかもしれないね……」

 ソラが言うと、いおりが頷いた。

「めちゃめちゃ反対されたらしいよー。で、その時、味方になってくれたのがあのおじいさま。元々美佐先輩とおじいさまは仲がよかったみたいだけど」

「優しそうな人だったもんね」

「でも家族は明窓のことよく思ってないから。うちらのことだって、どこの庶民? くらいに思ってるよ」

 ……それで無愛想だったのか。とソラは思った。

「だから、ご両親とかいない日なら呼んでくれるってわけ」

「そっか……今日、誰もいなかったもんね。あー。それでスカートはいてこいだったの?」

「そうそう。これに関しては以前大失敗した人がいてさあ…」

「だ、だれ?」

「会長」

「ええーーーーー」


(4)


 それは今の二年生が二年生になったばかりの頃の話だという。

 羽村明日真と高田椿が、一度美佐の家を訪れたことがあった。

 その時も両親ほか姉妹たちは不在だったのだが、たまたま両親が早めに帰ってきてしまったのだ。


「副会長は普段から女の子らしい服装で、その時もワンピースだったんだけど、会長がジーンズでさあ。しかもなんかチェーンとかついてたらしく……」

「えっ、明日真さんって普段パンクなの!?」

「いやいや、そこまでいかないって~。なんつーの雰囲気パンクみたいなブランドあるじゃない。テイスト? っていうか」

 いおりが苦笑した。

「まあ、その時のいたたまれなさに、会長は二度と森家の敷居をまたがないと決めたそうだよ」

「へ~~」

「もう、笑い話になってるけどね、このエピソードは。おかしいでしょ」

 いおりが笑った。

「あ、まあ……」

 その時、電車がはいってくるアナウンスが聴こえた。

 ソラといおりは、ベンチから立ち上がった。

 電車の近づく音が聞えてきた。ライトも見えてくる。

「私は、呼ばれたら絶対行くことにしてるんだ、美佐先輩のうち」

 その音にかき消されないようにか、いおりは少し大きな声で言った。

 電車がはいってくる風で、いおりの短い髪が揺れる。

「まだ今日で三回目だけどね。でもこれからも行くよ」

 二人の目の前に、電車が止まった。

 降りてくる人はほとんどいなかった。二人は電車に乗り込む。ややあって、ドアが閉まった。

 二人はドアのすぐ傍に立ったままだった。

 いおりは、ドアの窓から外を見ていた。

「あ、あたしも、また機会があったら一緒にいくよ!」

 ソラはいおりに言った。

 いおりは、えっという顔をしたが、次の瞬間、嬉しそうに笑って言った。

「うん、また行こう」



「おはよーございまーす!」

 翌日の月曜日の放課後。ソラはいつものように文化会本部に向かった。

 まだ見ぬ部員を待つために。

 そして、今日は、いおりと倉庫に過去の『ふれんど』を探しにいく約束があった。

 文化棟にくる前に、いおりのE組を覗いたのだが、今日はいおりの班が教室掃除の当番だそうで、先に行っててと言われたのだった。

「ああ、おはよう」

 ソファのいつもの位置に羽村明日真がいた。そして、副会長のデスクには高田椿がついていた。

「ちょっと」

 明日真がちょいちょいと手でソラを呼ぶ仕草をした。

「な、なんでしょうか?」

 慌ててソラは、明日真の座っているソファのほうに向かった。

「鞄。ここに置いて」

 明日真がソファを指し示す。ソラは慌てて肩からかけていた鞄をソファに置いた。

「で、一度こっちに来てもらったところ悪いんだけど、私と一緒に学校に戻ろう」

 明日真が立ち上がる。

「ええええ、な、なんでですか?」

「顧問」

「は?」

「落研の顧問、やってもいいって人、現れたから」

「ええーーーーーー!!」

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