第5話(2)美佐の部屋
前庭には、大きな木々が植えられていた。
その木々のせいで、昼間だというのに影が落ち、薄暗く感じる。
車は静かに車寄せに停まった。
えっと、とシートベルトをソラが外している間に、運転手のほうが先に下りて、ソラが座っている側の後部座席のドアをあけた。
「どうぞ」
「あ、はい、すみません」
ソラは慌てておりた。そしていおりも、ソラの後に続く。
「うわあ……」
ソラの呟きを聞いたいおりが言った。
「たしか、私も最初にそういったもんだよ」
広い玄関の前はポーチになっている。
ソラに建築のことなぞ判るわけないから、うまく言えないのだが「でかい家だー」としか言えなかった。
ソラは首を曲げて、美佐の家を見上げた。
その時、玄関のドアがあいて、美佐が顔を出した。
「いらっしゃい」
「美佐先輩!」
いおりがすぐに美佐に駆け寄っていった。
ソラも、慌てて後に続いた。
「こ、こんにちは」
「ソラちゃんもようこそ。遠かったでしょう、ごめんなさいね、わざわざ」
い、いえ……とソラはごにょごにょと口の中で言った。
「戸山さん」
美佐が言った。どうやら運転手の名のようだ。
「また二人が帰るときはお願いね」
「はい、美佐お嬢様」
運転手が頭を下げた。
お、お嬢様!
リアルでそう呼ばれる人を見たのは初めてだ。
もう少しソラの精神にキャパシティがあったのなら「すごーい! ドラマみたいー!」と騒ぐところだったのだけど、今はちょっとそんな余裕もなかった。
「さあ、二人ともあがって」
笑顔の美佐に案内されて、二人は家の中にはいった。
玄関も広かった。
そして、スリッパが用意されていた。
さらに、そしてそこにも人がいた。
エプロンをした四十代くらいの中年の女性だった。
「いらっしゃいませ」
女性は、ソラたちに頭を下げた。
「お邪魔します」
いおりが言ったので、ソラもそれに続いた。
「さあさあ、あがって」
美佐はすでに靴を脱いで、あがっていた。
ソラも慌ててそれに続こうとしたが、あいにくスニーカー。
紐をきっちり縛ってあった。
仕方なく、たたきに腰を下ろして、紐を弛めて靴を脱いだ。
ソラがもたもたしている間に、いおりが美佐に何かを渡した。
トートバッグから取り出した小さめの箱は濃いワイン色の包装紙で包まれている。
「美佐先輩、これ、うちの母からなんですけど」
「まあ、気をつかわせてごめんなさい」
「マロングラッセです。美佐先輩、お好きでしたよね」
「嬉しい!」
「あ、あの……! あたしも!」
スニーカーをなんとか脱いで、ソラは用意されたスリッパをはいた。
そして、慌ててショルダーバッグから、紙の包みを取り出した。
「ソラちゃんまで。気使わなくていいのに」
「いえ! ………えっと……どら焼きなんですけど………」
近所で人気の大黒堂のどら焼きだ。朝、電車に乗る前に買ってきた。
って、この場でどら焼きって……。あまりのそぐわなさに、ソラは顔が赤くなるのを感じた。しかし、美佐は嬉しそうに笑った。
「ありがとう! あとでみんなで食べましょう」
美佐は受け取った包みを、傍に控えていた女性に渡した。
「お茶、私の部屋にお願いできる? コーヒーで。これも一緒にね」
「かしこまりました。美佐お嬢様」
あ……や、やっぱ、お手伝いさんなのか。
この受け答えで、ソラはその女性の正体を察した。
家の中は静かだった。
「今日はみんな、出かけてるの。でも私の部屋のほうが気兼ねしなくていいでしょ。部屋にいきましょう」
先導する美佐の後ろについて、ソラは森家の中を進んでいる。
いおりは、何回目かの訪問だろうから、涼しい顔をしているが、ソラは視線をあちこちに飛ばしていた。
森家は外観こそ洋風だったが、中は和風のテイストを取り入れた家だった。
黒光りする廊下が年期を感じさせ、重厚感があった。
玄関から繋がる廊下の奥に階段があった。
「この上なの」
美佐が指し示した時、とんとんとんと、階段を降りてくる足音が聞えた。
降りてきたのは一人の少女だった。
まっすぐな黒い髪を肩のあたりで切りそろえていた。
紺色のワンピースを身に付け、手には黒いバッグを持っている。
背はソラと同じくらいだろうか。
彼女は美佐にいった。
「戸山さん、戻ってる?」
「美由」
美佐がやんわりとだが、きびしい口調で言った。
「先にお客様にご挨拶なさい」
ああ……という感じで、美由と呼ばれた少女は、初めてそこにソラといおりがいたのに気がついたかのように、視線をやった。
そして、頭を下げた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「お、お邪魔します」
「こちらこそ、お邪魔いたします」
いおりの丁寧な口調に、ソラは「な、なんとー!」と驚きながらも、動揺はみせないように気をつけて笑顔で顔をあげた。
その少女は、すっとそのままいおりたちの横を通って、廊下を歩いていった。
姿が見えなくなってから、美佐が言った。
「ごめんなさいね、無愛想で」
「美由ちゃん、なんか前に会ったより背伸びましたね」
「妹さんですか?」
ソラが美佐に聞いた。
「ええ、今、中二」
「……お姉さんがいるって聞いてたから……」
「姉もいるわよ。二人とも大学生だけども」
「え! じゃあ、四人姉妹なんですか?」
「そうよ。多いでしょ」
美佐がすこし恥かしそうに笑った。
確かに、四人兄弟ってのはめずらしい。しかも全員女子とは。
ますますドラマみたいだと、ソラは思った。
しかし、先ほどの妹は、あまり美佐先輩に似ていないとソラは思った。
なんだろう、雰囲気が似てない気がしたのだ。
「ちなみに、うちは兄一人。今、高校三年生」
聞いてもいないのにいおりが言った。
「あ、あの、あたしはひとりっこです」
なので、つられてソラも言った。
「あーなんかそんな感じするー」
と、いおりは笑った。
美佐の部屋は和室がニ間続きになった角部屋だった。
畳の上に絨毯を引いて、ほぼ洋室にして使っているようだった。
ふすまは開け放たれており、奥が寝室になっていた。背の低いベッドが置かれているのが見える。
「……部屋広いですね」
なんだかもうちょっと言いようはないのか! 的な感想をソラは言ってしまった。
六畳ニ間で十二畳の部屋。
ソラにしてみたら、めちゃめちゃ広い。
手前の部屋には勉強用と思われる木製の机と、部屋の真ん中に小さめのティーテーブル、そして椅子が三脚置いてあった。
「ほらほら、座って。今、お茶もくるから」
「失礼しまーす」
いおりがさっさと座った。ので、ソラも慌てて座った。
ティーテーブルは木製の丸いものだった。真ん中に陶器の丸いプレートがはめられている。
陶器には、花が描かれていた。
「このテーブル可愛いです」
ソラが正直に言うと、美佐が言った。
「ほんと? 実は倉に眠っていたものだけど、引っ張り出してきたの」
「アンティークな感じでいいですよねえ」
いおりが言った。
うん、そうそう、アンティークな感じ。ソラもそう言いたかったのだ。いおりが言ってくれてよかった。そして美佐の「倉」という言葉にも反応していたのだが、あえてつっこまないことにした。自分的に。
女子高生の部屋にしては、全体的に渋い感じだったが、それもまたお嬢様ぽい気がした。
美佐は、白くて長いすとんとしたワンピースを着ていた。着心地よさそうな、部屋着としてもおしゃれっぽい感じだった。
普段制服姿しかみたことない人を私服でみるのは新鮮かも……とソラは思う。
そういえば、明日真さんとかどんなカッコしてるんだろう?
ソラが思い浮かべたのは、文化会本部の会長、羽村明日真だった。
「なあに?」
ソラが美佐のワンピースをじっと見ていたからだろう。美佐が問い返してきた。
「あ、いえ、美佐先輩のワンピース、かわいいと思って」
「ありがとう。ソラちゃんも私服、可愛いわ。活動的でソラちゃんらしい」
美佐が笑った。
「失礼いたします」
廊下からのふすまがあいて、先ほどのお手伝いさんがはいってきた。コーヒーを持ってきてくれたのだった。
テーブルの上には、白の磁器のコーヒーカップがみっつと、大皿にはいったお菓子。
その中にはソラがもってきたどら焼きもはいっていた。
なんかもうちょっとおしゃれなお菓子にすればよかった……。
ソラは心底後悔していた。
美佐が用意してくれていたのは、マカロンとメレンゲだった。
「これ、おいしい~~」
いおりがさっそく、ぱくぱくとマカロンを食べていた。
コーヒーは、味が濃くておいしかった。
メレンゲも、さくさくと甘くておいしい。
美佐は、ソラが持ってきたどら焼きを食べていた。
よかった……とソラは少し安心する。
家の中は静かで、外も静かだった。時折、鳥のさえずりが聞こえてくる。
車の中からみた限りでは、隣の家までの距離があった。隣家の音なども聞こえてこないのだろう、おち付いた環境だった。
ソラの自宅は狭い路地に面しているので、家の中にいても、道を歩く人の声やら隣の家の音も聞こえてくる。
だから、家の中にいても、こんな静かであることはない。
家も狭いから二階にいても、一階の物音が聞えてくる。
祖母が外から帰ってきたら、すぐ聞えるし。
帰ってきたら……の連想で、ソラは美佐に尋ねた。。
「妹さんは、お出かけされたんですか?」
「多分、今日はお花のお稽古じゃないかしら」
「ああ……お花……」
これまたお嬢様な趣味だ。
「美佐先輩は最近いってるんですか、お稽古。お茶も」
いおりが尋ねた。
「ううん、全然ー。文化祭で忙しかったし、お花もお茶もさぼりっぱなしよ」
「美由さんに抜かされちゃいそうですねぇ」
「いいのよ。あんまり好きじゃないしね」
美佐が苦笑した。
そんな! すごい似合いそうなのに。
ソラは、美佐が和服を着て、お茶を立てている姿を思わず想像してしまった。
「好きじゃないのに習ってるんですか?」
ソラが聞くと、美佐は言った。
「うちの姉妹が全員習ってるから、親に言われてやってたんだけど……私はあまり好きじゃないみたい」
「美佐先輩は計算してるほうが好きだからー」
「それはいおりでしょ」
えへへといおりは笑った。美佐が少し懐かしそうに言った。
「ほんとはね、小学生の頃は珠算を習いたかったんだけど……親に反対されて」
「しゅ、珠算とは渋いですね」
「あら、そう? うちのサークルでは習ってた人が多いんだけど」
「それはうちが特別だからですよ」
いおりが苦笑した。
「ねえ、落語さんは何か習い事してないの?」
「うん、あたしは全然。中学校の時は部活で忙しかったし」
「あら、何の部?」
「卓球です」
「卓球!?」
美佐といおりの声がダブる。
「で、高校で落語?」
「すごい方向転換ねえ」
あれ? なんかこんなこと、前にも誰かに言われた気がするぞとソラは思った。
「そもそも女子高生で落語好きっていうのが珍しい気がするんだけどさあ。前から好きだったの?」
いおりが聞いてきた。
「あ、うん。でもちゃんと聞くようになったのは中学生になってからだよ。小学生の時はあまり知らなかった」
「そうそう、前から聞きたかったんだけど……」
美佐が、コーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「部員が集まったら、ソラちゃんは何をしたいの?」
「えっと……」
ソラは、少し俯いてぼそぼそっと言った。
「みんなで寄席にいったり、CDを観賞したり、おすすめの演目を教えあったりしたいです……」
「ふうん」
美佐がうなずいた。
「あとは……できれば寄席もできたらいいなあって」
「できたら、とは?」
今度はいおりが尋ねてきた。
「えっと、自分たちで寄席をするっていうか」
「………それは、自分たちで落語をするってこと?」
美佐がすこし怪訝そうな表情で言った。
「あ、はい、そうです」
ソラの答えに、美佐といおりは顔を見合わせる。
「あ、あの、それはもちろんやりたい人だけでっていうか! 観賞するのが好きだという人もいると思うんで!」
慌てて、ソラは付け加えた。
「えっと……」
めずらしく美佐が驚いたような顔をしている。美佐はいつもどんな時でも、穏やかな表情を崩さない女の子だった。
「ソラちゃんは出来るの? 落語……」
「勉強中ですけど……まだ全然できないです」
「そっか~~落研ってそういうことするサークルなんだねえ」
いおりが、コーヒーカップを持ち上げていった。そして、ごくりとコーヒーを飲んだ。
「あ、でも、他に落研の人に会ったことないので……他がどうしてるかわかんないですけども」
「そうねえ……以前はなにやってたのかしらね……その休部する前」
「今度、『ふれんど』探してみましょうか、美佐先輩。本部室には大体十年くらい前までのしか置いてないけど、地下倉庫にあるんじゃないですか」
「そうね。それに活動報告も載ってるはずだわ」
ふたりの会話にソラが飛びついた。
「そ、それ、みたいです!」
「じゃあ、明日にでも探しにいこうよ!」
笑顔でいおりが言った。
ソラが頷いた。
「そうね、文化祭にそういう発表があっても楽しいかもしれないわね、寄席」
美佐が呟いた。
「はあ、でも、まず部員をみつけないと……」
ソラが頭をかいた。落語研究会が復活してすでに数週間。まだ部員候補はただのひとりも現れていない。
「あとは顧問もねえ~~」
いおりの指摘に、ソラががくりと肩を落とす。
担任のムロッチに相談はしてみたけれど、顧問の件はそれ以来なにも進展していない。いわゆる膠着状態だった。
「あ、あの、簿記研究会って何やってるんですか?」
「簿記の勉強よ」
身も蓋もなく、美佐から返答があった。
「あ、そ、そうですか」
「具体的には勉強会とか、資格試験の前にはみんなで模擬試験ぽいことやったりとか、かしらね。いおり」
「そうっすねー。あとは部室でだべる! これが一番長いかも~~」
「私たちは文化会本部にいるほうが長いけどね」
美佐が苦笑した。
「美佐先輩も加藤さんも、簿記の級もってるんですか?」
「私はニ級、いおりはこれからよね」
「今月ほんとは試験だったんだけど、文化祭で忙しくて今回パスしたから、冬に三級受けるよ」
「へえ……」
どうやら、簿記研究会はたいそう真面目そうなサークルのようだった。
「いおりは、サークルより文化会本部のほうに夢中だから」
「えへへ、計算できればなんでもいいんです」
いおりが、すこし恥かしそうに笑った。
「加藤さんは、うちの学年で数学トップじゃない。それだけでもすごいのに」
「落語さんは、何か得意な科目とかある?」
えー……とソラは言葉に詰まった。
「正直なところ……特にない」
あらあらと、美佐は笑った。
「明日真とおなじこと言ってる」
「え? でも明日真さんは成績いいって聞いてますけど」
「成績はいいけど、特に好きな科目はないのよ、あの人」
「へえ……」
そっか。明日真さんもそうなんだ、とソラは少し羽村明日真に親近感を覚えた。
だが、あちらは成績がいいのだから、よく考えたら全然近くない。
「でもそれってすごいな、会長」
いおりが頬杖をついた。
「私だったら、好きじゃない科目は勉強なんてしたくないのに、好きじゃなくても勉強できちゃうなんて」
「……普通は好きじゃなくてもやるの。いおりが極端なだけ」
美佐がいおりの頭を軽く人差し指で小突いた。
あはははーといおりが笑った。
あ、美佐先輩、そういうことするのなんか意外とソラは思った。
文化会本部での美佐はいつもデスクに座って、何かの書類に向き合ってる。その印象が強かった。
デスクが隣同士のいおりとよく喋っているけど、今みたいなふざけたような仕草は珍しいような気がした。
やっぱり……家と学校じゃ違うものなんだな。
と、ソラは思った。
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