第4話(3)美佐財布

「あ、明日真いた!」

「へ?」

 写真研究会第二十八代会長、吉村奈々子は文化棟三階にある自分の部室に飛び込んだ。

 部室の中には、羽村明日真がぼーっとパイプ椅子に座っていた。

「本部室にいったけど、鍵あいてなくって」

 奈々子がそういうと、明日真はうなずいた。

「うん、まあ、そういう日もあるよ」

「……鍵忘れたんでしょ」

「まあ、そうなんだ。でもたまには部室に顔だしたっていいでしょ。美佐に幽霊部員すぎるとか言われちゃって……」

 言い訳なのか、なんのための言い訳なのはかよくわからないが、ぶつぶつと明日真は言った。

 本部室の鍵を忘れたのは、ほんと。

 だから、他の幹部がくるまでの時間つぶしに部室によったのもほんと。

「まあ、いいけどさあ」

 と、奈々子は言ってから、はっとした。

「あー、そうそう明日真を探してたんだってば、だから!」

「なんかあった?」

「ほら、あの落語のちっさい子! 一年の」

「うん?」

「なんか不穏だった」

 明日真はパイプ椅子から立ち上がった。

 

 明日真は、三階から二階の階段を急ぎ足で降りた。

 ちょうど二階についたとき、本部室の前に人がいるのが見えた。

 高田椿だった。今、本部室の前についたようだった。鍵をあけようとしていた様子。

「椿!」

 明日真は、信頼している友達に声をかけた。

 椿は長い髪を揺らして、階段のほうを振り返った。明日真の姿をみると、彼女は言った。

「会長、探してた」

「ああ……えっと、もしかしてあの子のこと?」

 うんと椿はうなずいた。

 

「ふざけるな!」

 ソラの声が階下から聞こえてくる。

 いつもどちらかというと、もそもそっとした雰囲気で話す彼女とは違う、鋭い口調だった。

 明日真と椿は、階段をぱたぱたと降りた。

 一階ロビーの真ん中にソラはいた。

「何も知らないくせに勝手なこというな!」

 そう叫んだソラは、目の前にいた生徒の肩を突き飛ばした。

 まずい。明日真は飛び出した。

「きゃっ!」

 ソラの目の前にいた三つ編みの生徒がよろめくのを、明日真が受け止めた。

「文化棟内では喧嘩はなしだよ!」

 明日真は、ソラに向かって言った。

 そして、はっとした。

 ソラのそんな表情ははじめてみたから。

 いつもは、ぽやんとした感じの大きな目が釣りあがっていた。

 頬は真っ赤だった。

 え、お、怒ってる?

 明日真は、内心驚いていた。

「……あ……」

 ソラの口から、そう呟きが漏れた。

 と、同時にソラの両目からぼろぼろっと涙がこぼれた。

 ものすごい勢いだった。

 その涙に明日真は気圧されて、次の言葉がみつからなかった。

「はい、みなさんは部室にいってください」

 その時、椿の冷静な声が響いた。

 見渡すと、ソラたちを遠巻きにして、数人のギャラリーができていた。

 一階のロビーだ。

 通るものも多い。なにごとかと立ち止まった生徒が数人いた様子だった。

 椿はその生徒たちに向かって、そう言ったのだ。

 あ、じゃあ…といった雰囲気で、生徒たちは素直に椿の言葉に従い、それぞれの部室に向かうため、階段に登っていった。

 さすが椿。

 明日真は内心ほっとした。

「だって、カードがそういってるから」

 野次馬たちがいなくなってから、明日真が支えていた生徒がそう静かにいった。得意そうな口ぶりだった。

 え? と明日真は彼女をみた。一年生だった。

「若くして死ぬのはね、前世の行いが悪いからなの。報いなの。だから、そのカルマを落とさなきゃダメなのよ」

「このー!!」

 泣きながら、ソラがその少女に掴みかかろうとする。

「なにするの! 暴力!?」

 ソラが少女にぶつかった衝撃で、明日真の体も揺れた。

 やばい。暴力沙汰はやばいよ。

 明日真はどこか頭の中で冷静に考えていた。

「はい、落語さん、そこまでー!」

 聞きなれた声だった。

 いつの間にか加藤いおりが、ソラの腕をつかんでいた。

 そして、ソラの前にすっと椿が立った。

「なにがあっても、殴ったらあなたが悪いことになる」

「ね、だから、ほら」

 いおりがソラをかばうように肩をつかんだ。

 明日真が、いおりに目配せする。

 いおりは「心得たり!」といったふうにうなずいた。

 いおりは、ソラをなだめながら二階にいこうと促す。ベンチにすっと現れた奈々子が、ソラの荷物を回収した。奈々子は離れたところから様子を窺っていたようだ。

 その時、明日真はロビーの床に、見慣れないカードが散らばっているのに気がついた。

 椿がそのカードをすっと拾った。

 明日真は、支えていた少女から手を離す。

 いおりに連れられてソラが階段を登っていく。その後に奈々子も付いていって、三人の姿が見えなくなった。

「なにあの子、乱暴」

 面白くなさそうに、三つ編みの少女は呟いた。

「あっ、文化会本部の方ですよね! ありがとうございます!」

 一年生は明日真に向かって、一礼をした。

「……占い同好会さんね?」

 椿がカードを渡しながら言った。

「はい」

 椿が明日真を見た。

 

 

「あら、まあ……」

 森美佐が本部室にやってきた時、最初に目にはいったのは、まずソファのレギュラーポジションに座っているソラ。体を折り曲げて自分の膝に伏せている。泣いているようだ。

 その向かいに、困ったような顔をして座っているいおり。

 その次に見たのは、本部室の隅でソラの様子を伺いつつ、立ち話をしている明日真と椿、そして写真研究会の会長の吉村奈々子だった。

「なにかあったの」

 美佐は鞄をもったまま、明日真たちのほうに近寄った。

 椿が簡単にロビーであったことを報告し、明日真が椿の説明を引き取って続けた。

「で、奈々子がうちらがいく前にちょっと様子をみてたそうなんだけどね」

 奈々子が無言でうなずく。

「やっぱり、ほら茶研の人とか、他の人が話してたようなことを言われてたみたいなんだ」

 ふっと明日真はソラのほうを伺った。

「そうだったの……」

 美佐が鞄を持ってないほうの手を頬にそえて、少し考えるようなポーズをとった。

「先輩たちはなんていってたの、この間、相談しにいったのでしょう?」

「ああ……」

 明日真は苦笑いをした。

「あんたたちにまかせるって言われた」

 椿が言った。

 あら、という顔を美佐はした。

「私は明日真の判断にまかせるわよ」

「同じく」

 椿も言った。

「そうだね」

 明日真は腕を組んだ。

 めずらしい、何か迷ってるみたい。三人のやり取りを見守っていた奈々子はそう思った。

 二十秒ほど考えてから、明日真は言った。

「椿、一緒にきてくれる?」

 椿はうなずいた。

 

 明日真と椿が出て行く時、吉村奈々子も「おじゃましました~」と一緒に出て行った。

 美佐は、鞄を自分のデスクの上に置いた。

 ソラはまだぐしぐしと泣いていた。

 まるで子どもみたいな泣き方だった。

 ソファから、いおりがすこし心配げに美佐のほうに振り向いた。

「いおり」

 美佐の呼びかけに、いおりが立ち上がった。

「はい!」

「これ」

 美佐の手に載っていたのは、ピンクの財布だった。

 いおりが、近寄ってきた。

「オカモトで好きなもの買ってらっしゃい」

「ひさびさですね、『美佐財布』!」

 ははっーと拝むように、いおりはその財布を受け取った。一見かわいらしい財布だが、いおりはそれが海外の有名ブランドのものだと知っていた。

「明日真たちの分もね」

「はい!」

 その財布を片手に、いおりは本部室を出て行った。

 美佐はそのまま泣いているソラに近寄った。

 そして、ソラの隣に腰掛けた。

「はい」

 美佐から差し出されたのは、白いハンカチだった。美しいレースがついている。

「は……」

 鼻をぐしゅぐしゅさせながら、ソラはそれを受け取った。

「これも」

 次に差し出されたのはポケットティッシュだった。しかしそれもまた美しい布のケースにはいっている。

「使って」

「ご、ごめんなさい」

「いいのよ」

 美佐は笑った。そしてそのまま無言で立ち上がった。

 美佐はデスクに戻った。

 そして鞄を後ろの棚において、机の引き出しから何か書類を出した。

 涙と鼻水をぐしゅぐしゅと言わせながら、ソラはその綺麗なティッシュケースから、一枚取り出して、それで鼻をかんだ。

 あ、すごいやわらかい。高いティッシュだ、セレブなやつだと、ソラは思った。

 鼻を拭きながら、ソラは美佐をみた。

 いつものように、書類に向かっていた。

 やっぱり、美佐先輩優しい………。

 そう思いながら、ソラはまた鼻をかんだ。

 

 

「占い同好会さん」

 一階のロビーでは先ほどの生徒が荷物を片付けていた。

 その周りには、ふたりの生徒がいた。共に一年生だった。どうやら、同好会の他の一年生のようだった。

 三つ編みの彼女が振り返った。明日真と椿が彼女を見詰めている。

「先輩方、どうされましたか?」

「えーと、まだ代替わりしてないよね。会長さんは今日きてる?」

 明日真が彼女に聞いた。

「会長は、受験で忙しくてここのところはきてません」

「そっか、三年生だもんね。二年生はいないの?」

「今はいません。夏休み前にみんな、やめちゃいました」

「あら、そうなんだ」

 明日真は言った。そのことは知っていたけど。

「じゃあ、代わりに聞いてほしいんだけど。椿」

「会長さんにお伝えください。文化会本部規約第九章第五十六条の取り決めにより、占い同好会の活動を制限します」

「え!?」

 三つ編みの少女は、驚きの声をあげた。

 他の一年生たちも「どうして!?」「ひどい」と不満を口にした。

 三つ編みの少女は、明日真に食ってかかった。激しい口調だった。

「どうして、私たちがそんなこと言われなきゃいけないんですか!? さっきの子のことですか!? それなら、先に手を出してきたのはあの子です!」

「その件だけじゃないけど、活動の制限については、事実確認の上、解除できる。そのために会長さんと話がしたい。だから伝えてと言っているの」

 明日真が冷静な口調で話す。

「納得いきません! 会長はもうほとんど部には顔を出してません。この同好会のことは私たちだけでやってます!」

「でも、書類上は会長が責任者だから、まず会長と話がしたいの」

「だからどうしてですか!?」

 明日真はふうっと溜息をついた。

「占い同好会の活動について、数件苦情が寄せられています」

 椿が言った。

 そうなのだ。それは文化祭直後から、いくつか寄せられていた。

「そ、それは……」

「占いの結果が、むやみに相談者の不安を煽るものだと」

「だって、ほんとうのことだもん! そうやって結果が出たんだからしょうがないでしょ!」

 急にヒステリックになって、彼女は叫んだ。

 あ、こりゃいかん。明日真は思った。

「まあ、とにかく、会長さんと話しするから。君たちはここで解散してください。また結果がでるまで文化棟内での集会も自粛してください」

「そんな!」

「これは文化会本部からの指示。したがってください」

 明日真がそう言いきると、さすがに三つ編みの生徒もひるんだようだった。他の生徒も少し弱気な風情になっていた。

 三つ編みの少女は悔しそうに俯いたあと、鞄を抱えて走り出した。後の面子も慌ててその後を追う。占い同好会のメンバーはそのまま、文化棟から、出て行った。

「ほんとはいやなんだけど、こういうの。自由に活動してほしいし」

 明日真はぽつりと言った。

「仕方ない。目に余った。それに部を降格させたわけじゃない。事情を聞いて、活動内容を見直してくれたらまた活動できる」

 椿の言葉に、明日真はしぶしぶとうなずいた。

「まあね……確かにそうだけど。だいたい同好会を降格させたら、消滅しちゃうじゃないか」

「だからこれでいい」

「そだね……」

 ロビーには他に誰もいなかった。

 

 

「おつかれさま」

 本部室に戻った明日真と椿を出迎えたのは美佐だった。

「どうすることにしたの?」

「とりあえず活動制限で。あとは会長さんと話してかな」

「そう。椿もお疲れさま」

「ん」

 明日真はソファに座っているソラを見た。先ほどよりも落ち着いたようだったけど、まだ鼻をチーンと噛んでいる。

「戻りましたー!」

 明日真たちの背後から、いおりが現れた。手には白いポリ袋を提げている。

「あれ、いおり、どしたの」

「美佐先輩のお使いにいってました!」

 うふふと美佐は笑った。

「みんなでおやつ食べましょ」

 明日真と椿は顔を見合わせた。

「あれ、財布がでたの」

「はい!」

 いおりは、美佐に財布を返していた。

「ほら、落語さんも食べようよ。なにがいい? 甘いのしょっぱいのいろいろあるよ」

 いおりが袋をもって、ソファのソラのところにやってきた。

 ソラはきょとんとした顔で、いおりを見ていた。

「やれやれ、美佐は優しいな」

 明日真はそう呟いた。

「私ももらおう」

 椿がソファのところに向かった。

「椿先輩の好きなカフェラテ買ってきました! ノンシュガーでいいですよね」


 そしてみんなでおやつを食べた。

 

 その夜、ソラは早めに寝た。

 泣きすぎたせいか、なんだか頭が痛い気がしたから。

 森美佐に借りたハンカチはすでに洗って干してある。

 本部室でお菓子をもりもり食べたあと、ソラはひとりで帰ってきた。

 帰り際にいおりに「余ったのもっていきなよ!」とうまい棒を数本渡された。それも帰り道に食べてしまった。

 おやつの食べすぎで、夕食は食べられなかった。

 しかし、布団に入った今、おなかが空いてきてしまった。

 ごろんとソラは寝返りをうった。暗い中、天井を眺める。

「……おなかすいたなー……」

 すいたなーと呟きながら、また寝返りを打った。

 本部室で食べたおやつの数々を思いだした。あんなにいろんな種類のお菓子を一気に食べたのは初めてだったかも。

 みんなで食べたおやつ。

 

 悩みは解決しないかもしれませんが、得るものはあるでしょう。

 

 ソラは布団をひっかぶった。

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