第四話

第4話(1)顧問が必要

「え、顧問?」

「ええ、顧問」

 忘れてた……とソラは頭を抱えた。

 放課後の文化棟二階の文化会本部室。

 ソラは、すっかり定番のポジションになった古ぼけたソファに座っていた。

 その目の前には、会計の森美佐と会計補佐の加藤いおりが座っていた。

 ふたりは簿記研究会の先輩後輩同士でもある。

 いつもは忙しそうにそれぞれのデスクで書類に向かっていることが多いのだが、今日は余裕があるのか、珍しくゆっくりとおしゃべりしてる。

 その時に美佐から言われたのだ。

 落語研究会の顧問はみつかりそう? と。

 

 文化会公認の各部には必ず顧問の先生がいた。それは体育会の部もそうなんだけど。

 そもそも新しい部を作るには、いくつか条件があり、顧問の存在も必須だった。

 だが、ソラの落語研究会は休部状態だったのを復活させるという方法を取ったので、顧問は後から……という話になっていた。

 そのことをソラは忘れていた。

 忘れていたというより、顧問より先に探すものがあったから。

 それは部員だ。

 いまだ、明窓女学院高等学校の落語研究会メンバーはただひとり。会長の三星素良のみだった。

 部室はまだない。と夏目漱石っぽくソラは心の中でつぶやいてみたりする。

 

「C組の担任って、英語の室田先生だっけ」

 いおりが呟いた。いおりは一年E組だった。

「うん、でもムロッチはテニス部の顧問なんだ」

「あーそっか」

 いおりが、うなずいた。

「体育会との掛け持ちはきびしいですよね!」

 はきはきといおりがとなりの美佐に言う。美佐はそれとは対照的にのんびりと言った。

「そうねえ……特にテニス部はけっこう成績がいいから、合宿とかで忙しいでしょうしね」

「そうですよね……」

 ソラはそれにはうなずく。室田は二十代の女性の教師だが、大学時代もテニス部に在籍していて、本人自体もなかなかの腕前だって聞いたことがある。名前だけの顧問ではなく、指導もしているようだった。

「簿記研究会は、誰が顧問なんですか?」

 ソラは美佐に質問してみた。

「政経の波多野先生よ」

「どうやって顧問をお願いしたんですか?」 

 さあ……と簿記研のふたりは首をかしげた。

「いつから顧問なんでしょーか、波多野先生」

「いつからかしらねえ……この学校にも長いこといらっしゃるようだし、私たちが入学するずっと前のことでしょうね」

 先輩後輩で、首をかしげあっていた。

 なんだ、全然参考にならなかった……とソラはがっくりとうなだれた。

「やっぱり、誰かに直接頼みにいくのがいいんじゃないかしらね」 

 慰めてくれるように美佐が言った。

 ソラは美佐をみた。

 二年の森美佐は、おっとりしたしゃべりの穏やかな人だった。

 ふわふわとしたボブヘアのイメージどおり、「ふわふわ」という印象だった。

 すごく優しいよなあ……とソラは思う。

 なにがあっても落ち着いてるし、動作も丁寧で、お嬢様!といった雰囲気を持っていた。

 明窓は私立だけど、さほどお嬢様学校ではない。それでも、時々はお嬢様ぽい人が混じっていて美佐はそんなひとりだった。

 いつもにこにこしていて、しかしでしゃばることもない、控えめな性格のようだった。

 こういう人って男の子にモテそうだよな……とソラは思っていた。

「はい……。誰か先生に聞いてみます。いつまでにみつけたらいいですか?」

 ソラは尋ねてみた。

 んーと、美佐は考え込んだ。

「特に期限はないんだけど……なにしろ、休部状態の部が復活したのは前例がないので、私たちもどう判断したらいいのか判らないのよね」

「そうですか……」

 部員なし、部室もなし、なのでこの本部の部屋に居候しているソラは、身が縮こまった。

 なんか迷惑かけてる気がする……。

「最近できた一番新しい部って、ウェブ研究会ですかね」

 そんなソラの様子は気にせず、いおりが言った。

「そうね。確か昇格したのが五年前じゃなかったかしら。同好会発足はもっと前だと思うけど」

 美佐の言葉にソラが反応する。

「え、昇格ってなんですか?」


 文化会本部所属の各サークルにはランクは二段階ある。

 「研究会」と「同好会」だ。

 両方とも、公認ではあるが待遇が違った。

 研究会の多くは部室を持ち、本部からの予算も下りている。

 同好会はたいがい部室がなく、予算も下りない。ただし文化棟の施設、たとえば会議室などは利用することができるし、文化会本部の一員として文化祭にも部として参加ができた。

 研究会の多くは、同好会から昇格したものだった。

 同好会の状態で数年活動して、その実績が認められれば「研究会」に昇格し、予算などももらえるようになる。

 

「そうだったのかー!」

 ソラは驚いた。

「落研の場合は……」

 美佐が説明を続けた。

「休部からの復活だから特例なの。でも研究会といえども、すぐに予算は下りないし、部室も今は空きがないからあげられないわ」

「はあ、それはもちろん……」

「まず部員をみつけないとねー!」

 いおりがさらっと言った。ぐさり。美佐が穏やかに言った。

「でも、同好会の下積みがいらないのだから、顧問と部員さえみつかれば」

 しかし、それが難しい。

 校内に告知ポスターを貼って、文化棟と校内の掲示板に張ること数日。まだ入部希望者はひとりも現れていない。

「ウェブ研究会はすぐに顧問みつかったんでしょうかね……?」

 ソラは聞いた。

「ああ、それはね!」

 いおりが説明をする。

「もともと、同好会ができた時、漫研の顧問の先生が顧問になったんだって」

「えー、それはなんで?」

「ウェブ同好会は、漫研から分裂した部だからだよ」

 分裂!? 穏やかじゃない。

「その分裂した時に、その当時の顧問の先生がウェブ同好会の顧問にもなったんだって」

「先生としては、どっちをひいきするってわけにもいかなかったんでしょうね」

「その……分裂とは何かあったんでしょうか、権力闘争とか……」

 ソラのセリフに美佐がころころと笑った。

「いやね。ただの嗜好の問題だったみたいよ。漫画描かないで、ネットに夢中になる人が増えたから、わけたんですって。当時はさすがに多少揉めたみたいだけど」

「今は特に仲悪いってわけじゃないですもんね~、この文化棟でオタク度を競ってるくらいで」

 いおりが言った。

「えと、顧問って掛け持ちできるんですか?」

「ええ、大丈夫よ。その先生さえよければだけど」

 美佐の説明に、ソラは一筋の光明がみえた気がした。

「そうだわ。いおり」

 美佐が、後輩に向かっていった。

「ソラちゃんに去年の『ふれんど』をあげて。顧問の先生の名前もかいてあるし」

 先輩の指示にいおりはうなずくと、ソファから立ち上がった。茶色のジャンバースカートの裾がゆれる。

「ふ、ふれんどって?」

 疑問に思ったソラの前に、いおりから、B5版の小冊子が二冊差し出された。

 薄い水色の表紙に黒で「ふれんど」とひらがなで印刷されている。

「前号と前々号もあったから」

「それは、この文化会本部が一年に一度出す機関誌なの」

 美佐の説明を聞きながら、ソラは一冊目をめくってみた。

 各文化系のサークルの紹介のページなどがある。

「各部の活動報告や年間行事を紹介しているの。OGの方でわざわざ取り寄せてらっしゃる方もいらっしゃるのよ」

「へえ……」

 文章だけではなく、写真も載っていた。文化祭や演劇部の公演。モノクロだったが、よく撮れている。

 各部の紹介のページには、会長の名のほか、顧問の名の記載もあった。

「それ、差し上げるわ」

「いいんですか?」

「なにか参考になるといいんだけど」

「なります、なります!」

 ソラは礼をいって、「ふれんど」を二冊ともソファの上においてあった指定鞄にいれた。

 そしてそれを持って立ち上がる。

「じゃあ、あたしはこれで失礼します」

「あれ、早いね」

 「ふれんど」をとりにいった後、立ったままだったいおりが言った。

「うん……最近、帰り遅いって家の人にいわれて……」

 あらあらと美佐が心配げに言った。

「もしかして、お家、厳しいの?」

「いえ、違います! 家の手伝いとかしなくちゃいけないのに、さぼり気味だったから……」

 へえ~といおりが感心したようにいった。

「落語さん、偉いんだね……」

 各部の会長をサークル名で呼ぶのは、文化棟の慣習だった。確かに判りやすい。

 しかし、いおりは普段廊下やトイレで会った時も「落語さん!」といってくる。

 おかげで、最近ではクラスメイトにも、ふざけて「落語さん」と呼ばれることがあった。

「気をつけて帰ってね。ソラちゃん」

 対して美佐は、ソラのことを「ソラちゃん」と呼ぶ。

 そういえば……。

 美佐は、他の文化会メンバーのことは呼び捨てだった。明日真、椿、いおり、と。

 自分だけ「ちゃん」付けなのは、あたしが居候でよそ者だからだよね……とソラは思った。

 なんか一瞬落ち込んだけど、落ち込むようなことではない!

 だって、ほんとうに居候なんだから!!

 ソラは自分を鼓舞した。心の中で。

「あ、あの、明日も来てもいいですか?」

 ソラがそういうと、美佐は優しく笑ってくれた。

「何言ってるの、来ていいに決まってるでしょう?」


 なんか美佐先輩に甘えちゃったかも……。

 ボレロの上に薄手のコートを着込んだソラは文化棟から校門に向かって歩いていた。

 加藤いおりは、美佐をとても慕っていて、いつも「美佐先輩、美佐先輩」と一緒にいる。

 美佐も、いおりのことを可愛がっているようだった。

 なんだか羨ましかった。

 落研は一人きりだから、先輩なんていない。

 いや!

 ソラは考えた。

 入部希望の人が二年生だったら、先輩になるんじゃない!?

 すごいナイスひらめき! と思ったが、よく考えると、部では自分のほうが先に入っているのだから、自分が先輩になっちゃうのか!?

 あれー? なんか変……。

 おかしいな、と頭をかしげたとき、校舎のほうから見慣れた姿がやってくるのに気がついた。

「あれ? 今日はもう帰るの?」

 羽村明日真と高田椿だった。文化会本部の会長と副会長だ。

「あ、はい」

 ソラは立ち止まった。

 声をかけてきたのは、明日真だった。

「今日はこれで失礼します」

「そ。じゃあね」

 明日真は鞄を持っていないほうの手でひらひらとソラに手をふった。椿はなにも言わない。

 ふたりは連れ立って、文化棟のほうに向かっていった。

 その後ろ姿を少し眺めたあと、ソラはまた校門に向かって歩き出した。

 文化棟に出入りするようになって気がついたことだったが、明日真と椿と美佐は、校内でも有名人だった。

 特に文化棟では知らないものはいない。

 それは文化会の幹部だからというのもあるが、三人ともそれを抜きにしても、人気があるからだ。

 まあ、三人ともかっこいいっていうか、目立つもんなあ……とソラは思う。

 明日真は気さくな性格で、誰ともすぐに仲よくなれるようだった。

 美佐は、そのおっとりとした優しい雰囲気で。

 椿は逆に、文化棟一のクールビューティといわれていた。その長い黒髪と冷静な物腰が印象的だった。三人ともタイプは違うが、ルックスもいい。本部室で三人で並んで話していると、漫画かドラマの一場面みたいだった。

 茶道研究会に所属しているみっちゃんの話では、三人とも成績もいいらしい。

 ふうとソラは溜息をついた。

 そんな人たちに、いろいろ迷惑をかけるわけにはいくまい。

 まず顧問を探さねば! と、ソラは決意した。

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