(4) たくさんのありがとう 

「はい、ありがと」

 読み終わったのだろう、明日真がデスクからソラのほうにやってきて、ソラにコピー本を差し出した。

「どうでした?」

 振り返ったソラがそう言って、明日真の顔をみた。

 はっとした。

 さっきまで大笑いしていた様子とちょっと違っているふうに思えたのだ。

「うん、面白かったよ」

「あたしもそう思いました」

「野島はうまいよね」

 そういいつつも、テンションがどうも低い。

 やっぱり自分がモデルなのがやだったのかな……。ソラはそう考えた。

 見せないほうがよかったかも。

 そう考えながら、ソラは無言で鞄の中にその本をしまった。

 明日真はそのまま、自分のデスクに戻っていった。

 どこか気まずい空気が流れる。

 もう帰ろうと思って、ソラは明日真に声をかけようとした。

 その時、本部室のドアが開いた。

「おつかれさまでーす」

「遅くなっちゃったわ」

 加藤いおりと森美佐だった。

 シンとしていた本部室が、いっきに賑やかになった。

「例会が延びてしまって遅くなったわ。何かあった?」

 美佐が明日真に聞いた。

「ううん、トイレの点検も終ったよ。それに彼女も手伝ってくれたし」

 明日真がちらっとソラのほうを見た。

 それにつられたように、美佐もソラのほうを見た。

「そうだったの。ありがとう、ソラちゃん」

 まただ。

 またありがとうって言われた。

 ソラは、すこし照れくさくて、口のなかでふにょふにょと「いえ、その……」と呟いた後。

「じゃあ、あたし、これで帰ります。おじゃましました」

「あー。私も帰るわ。美佐たちは?」

 明日真が言った。

「ちょっと整理したい書類があるから。すぐに帰るつもりだけど。鍵は閉めておくわね」

「美佐先輩、手伝います!」

 すでに自分の席に着いていた、いおりが元気よく手をあげた。

「じゃあ、帰ろうか」

 明日真がソラに言った。

「あ、はい……」


 文化棟から外にでると、すでに空の半分は暮れかかっていた。

 秋の夕暮れは短い。

 コピー室から戻ってきたときは、まだ空は全部明るかったのにな……。

 歩きつつ空を見つつ、ソラはそう思った。

 隣を歩く明日真が口を開いた。

「何で通学してるんだっけ?」

「バスです」

「私は電車」

「そうですか」

 なんとなく会話が続かない。

 考えてみたら、理由もなくこうやって二人で歩くのは初めてかもしれない。

 文化棟から、学校の正門までは少し距離がある。

 放課後の早い時間は練習をしていたテニス部のテニスコートも今は誰もいない。

 ついさっきまで賑やかだった構内が急にシンとしてしまったような不思議な時間だった。

「寒くない?」

 明日真が唐突にそう聞いてきた。

「ボレロだけで」

「でもまだコートには早いような気がして」

「カーディガンとか着てきたら?」

 明日真は、制服の上に紺色のカーディガンを着ていた。

「指定じゃないものを着ていいんですか?」

「ほんとはダメだから校内では着ないよ。みんな、こっそり持ってきてる」

「なるほど……」

 そんな裏技があるのか。まだ学校にはソラの知らないことがある。

「まあ、学校も黙認って感じ? あんまり派手なの着てたらさすがに怒られるだろうから、みんな空気読んでこういう紺とか黒いの着てる」

 校舎の前庭を横切り、正門から出た。

 ソラが使っているバス停は正門出て左にすぐにある。「明窓女学院前」という停留所だ。

 明日真は多分最寄の私鉄の駅を使っているだろうから、右に曲がることになる。

 じゃあここで、と思って、そうソラはそう言おうとした。

「たい焼き」

 突然、明日真が先にそういった。

「たい焼き、食べない?」

「はい?」

「こっちにたい焼き屋さんあるの。知ってる?」

「いえ……」

「いこうよ。なんだかお腹すいちゃって」

「はあ……」

「いく?」

「いきます」

 

 たい焼き屋はおばちゃんがやってる小さなお店だった。駄菓子なども売っている。

 店頭にはベンチがあって、座れるようになっていた。

 明日真がたい焼きを奢ってくれた。

 ベンチに座って、二人はそれを食べた。

「すみません。奢ってもらうなんて」

 温かいあんこがおいしいなと思いながら、ソラは言った。

「うん、手伝ってもらったし、仕事」

「いえ……」

 半分頭がなくなったたい焼きを見ながら、ソラが言った。

「楽しかったです。本作るの手伝ったりとか」

「そう」

「あと……みんなありがとうって言ってくれたから、嬉しかったです」

「そっか」

 明日真がソラのほうを向いていった。

「よかったね」

 笑った明日真は、いつもの明日真だった。

 あれ、なんか明日真さん、さっきより元気みたい。

 ソラはそう思った。

「はい、よかったです」

 そして、二人はたい焼きの続きを食べる。

 

 なんだか明日真さんに聞きたかったことがあるんだけど。

 ソラはそう思ったけど、なんだったかは思い出せなかった。

 でもまあ、また思い出して聞く機会もあるだろう。

 はふはふとたい焼きを食べながら、ソラはそう思っていた。

 たい焼きが無くなった頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 

 

 それは週明け月曜日の放課後だった。

 本部室のドアがあいて、こんな声が聞えた。

「すみません、落語さんいますか」

 その声に、本部室にいる全員がドアに注目した。

 会長の明日真、副会長の椿、会計の美佐、会計補佐のいおり、そして居候のソラ。

 全員が一斉に注目した。

「あ、はい、あたしが……。あ!」

 いつものソファから立ち上がったソラは、その彼女が先週コピー室で一緒だった漫研の一年生だということに気がついた。

「漫研の……」

「ん。なんでこんなただならぬ雰囲気ッスか」

 デスクのいおりがくすくすと笑った。

「てっきり、仲間が現れたのかと……」

「残念ねえ、ソラちゃん」

 いおりの隣で美佐も笑っていた。

 椿は無言でまた手元の書類に視線を戻していた。

 明日真も気の抜けたような顔で頬杖して、こっちを見ていた。

 どうやら全員「入部希望者がついに!?」と思ったらしい。

「あ、いや、気にしないでください」

 ソラは彼女をみあげた。ソラは小柄だから、そうとう身長差がある。

「で、どうしたんですか」

「センパイから預かりものが」

「野島さんから?」

 ほいと、彼女は紙を二枚さしだした。

「わ! こ、これは!!」

 ソラは受け取った紙をみて驚いた。

 「落語研究会部員募集中!」と書かれたポスターだった。

 しかもフルカラーで、内容も見やすくデザインされている。

 「落語研究会」の字などは勘亭流のフォントで、それっぽい雰囲気がある。

「わーすごい。これ野島がつくったの?」

 いつの間にか明日真も傍にきていて、ソラの手元を覗きこんだ。

「はい。フォトショでちょちょっと作ったみたいです」

 ちょちょっとでこんなすごいのが作れるのか……とソラは感心してしまった。

「実は落研のポスターは、うちの部で少し話題になってたッス」

「え?」

 ソラは驚いた。

「落研自体珍しいってのもあったけど、あのポスターどうよって」

「ど、どうよとは……」

「かなりイケてないって」

 ソラの隣の明日真が笑いだした。

「明日真さん!」

「まあ、確かにねえ……」

 明日真の言葉に、ソラはショックを受けた。

「そりゃ、家に黒のマジックしかなくて、それで書いたから地味だとは思いますけど……」

 ソラは一応反論してみた。

「いや、地味っていうか……」

 明日真は曖昧にそういったが、漫研の一年生は容赦なく畳み掛けるようにこういった。

「デザインのデの字もわからん人が書いたんだろうなーって、センパイは分析してたッス」

 容赦ない指摘にソラはショックを受ける。

 いや、まあそのとおりだけども。

 ソラは昔から、絵とか美術が苦手だった。

 だから、高校にはいってからは、芸術科目は書道を選択している。別に書道が上手いわけじゃないけど、書道なら日本語を書くわけだし、お手本を見てもいいわけだし。

「だから、この間いろいろ手伝ってもらったし、カラーのほうが目立つだろうから、よかったら使ってくれってセンパイが」

「野島さんは今日はお休みだったけども」

 椿の声だった。

 少しだけ、顔を向けるようにこちらを見ていた。

「はい! うちにデータでこれを送ってきたので、ぼくがプリントアウトしました」

 彼女は自分のことを「ぼく」というようだった。

「お休みって、何かあったんですか?」

「ずっと原稿やってたし、昨日はイベントで直前までペーパー作ってたし疲れたって。要はさぼり」

「はあ……」

「本は売れたの」

 明日真が聞いていた。

 そうか、本を売るためのイベントが昨日の日曜日にあったのか。ソラは話の流れでそう察した。

「完売ッス!」

「すごいじゃない」

 明日真が笑った。

「昨日の新刊は好評みたいで、続きも描きたいって会長はいってました」

 それはちょっと気になるかもと、ソラは思った。

「へえ、どうなるのかな、あのふたりは」

 明日真もそう言った。

 一年生はにやりと笑った。

「それは今後に乞うご期待ッスよ! 明日真センパイ!」


 んじゃ~と一年生は本部室を出ていった。

 ソラは何度も礼を言った。

「よかったじゃない。いいの作ってもらえて」

 明日真が言った。

「はい」

「野島、優しいな」

「……はい」

 ソラはそのポスターをみて、嬉しくなった。

 ほかの誰かが落語研究会のために、何かをしてくれなんて。

「あの漫画の続き、楽しみです。また読ませてもらいたいな」

 思わずソラは明日真にそう言ってしまった。

 それからはっとした。

 明日真さんはあの漫画気にいらなかったのかもしれないと、あの時、思ったことを思い出したからだ。

 しかし、そんなソラの心配をよそに、明日真は笑顔だった。

「そうだね。野島にはがんばってもらいたいね」

「はい」

 だからソラも、笑顔で返した。

「ソラちゃん」

 美佐から声がかかった。

「それ、貼ってきたら? ハンコ押してあげる」

「あ、はい!」


 こうして、落語研究会の部員募集ポスターは豪華にバージョンアップしたわけだったが、それで部員が集まるかどうかは、ソラはもちろん誰にも判らないのであった。


【第三話 終】

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