第三話

(1) 居候の放課後

 このところ、ソラは毎日文化棟に行っている。

 と、いっても部室もない落語研究会。

 部室どころか、部員すらいない落研だ。

 ひとりで部活動というのもおかしな感じだけど、ソラ的には文化棟にいくのは「部活動」なのだ。

 やることは、新入部員をただ待つこと。

 でもって、前述のとおり部室もないわけだから、居候しているしかないのだ。

 文化会本部に。


「おっ、おはようございます」

 指定のナイロン製の鞄を肩にもかけず抱えたままで、ソラは文化棟に駆け込んでいた。

 開けた扉の向こうは文化会本部。

 文化系サークルのクラブハウス・文化棟の二階にある、生徒会直下の組織だ。

 簡単に言うと文化系サークルの生徒会のようなもの。

 各部の予算や施設の管理を行っている。

「お、おはよう」

 おはよう、といっても朝ではない。単なるしきたりだ。いつの時間でも挨拶は「おはよう」なのだ、ここでは。今は放課後だった。

 その挨拶をしてくれたのは、二年の羽村明日真。写真研究会所属の二年生。そして、この文化会本部の会長だ。

 明日真は、箒片手に立っていた。掃除の途中のようだった。

「お掃除ですか、あたしも手伝います」

「いいよ、すぐ終るし」

「居候ですから」

「そう? じゃあ、お願い」

 ソラは急いで、古いソファの上に鞄を置いた。

 そして、部屋のすみに立てかけてある箒を手にした。

「じゃあ、そっちからお願い」

 明日真に入り口のほうを指差されて、ソラはそちらに向かう。

 そしてもくもくと掃き出した。

 とはいっても、この文化会本部の部屋はいつもきれいだ。多少の綿ぼこりくらいしかない。

 部屋の中央にごみを集めていく。

 明日真がすでにちりとりを持って、しゃがんでいた。

 ソラもそちらに向かって掃いていく。

 しゃがんでいる明日真の肩が震えていた。

「あ、明日真さん……?」

 明日真は笑っていた。

「いや、ごめん……。だって、すごい真剣な顔で掃除してるんだもん」

「え……」

「そんなに気張らなくてもいいのに」

「でも……居候ですから」

 明窓女学院高等学校落語研究会。

 部員はただひとり。部長の1年C組、三星素良のみ。そして部室はない。

 今は、この文化会本部に居候中である。

 この本部室の隅、さきほどソラが箒を手にしたが、その箒のとなりにひっそりと「落語研究会」と書かれた看板が置かれていた。

 かつて、落語研究会がちゃんと活動していた時代、部室の入り口にかかっていたであろう看板だった。

 先日、地下の倉庫からソラと明日真が探し出してきたのだ。

 しかし今はその看板を掲げる場所もない。

 なので、仕方なく本部室に置かせてもらっている。

 先日、ソラは「部員募集!」のポスターを作った。

 「入部希望者は1年C組三星まで」と書いてあるそのポスターを見て、明日真が言ったのだ。

 うち(本部のことだ)も問合せ窓口にしてもいいよ。

 入部希望者なら、放課後にくることもあるだろうから。

 そう明日真は言ってくれた。

 そっか。

 と、ソラは明日真の話に納得した。

 なので、「1年C組三星まで」のあとに「(または文化会本部室まで)」を付け加えて、掲示許可を示すハンコを押してもらった。

 そのポスターは今は、文化棟の掲示板に貼ってある。

 ポスターは二枚つくった。

 もう一枚は、校内の生徒用の二つある掲示板のうち、ひとつに貼った。それもちゃんと生徒会の許可をもらってある。

 そして、それから一週間が過ぎたわけだが、まだ入部希望者は現れない。

「居候さんは毎日こなくてもいいんだよ」

 ゴミを集めたちりとりを持ち上げて、明日真が言った。

「もし入部希望者がきたら、連絡してあげるからさ」

「……あたし、邪魔ですか?」

 そんなんじゃないけど、と明日真は笑って、ゴミをゴミ箱に捨てた。これで掃除はおしまい。

 ポスターを貼ってからこのかた、ソラは毎日、放課後はこの本部室に顔を出している。

 現れるかもしれない入部希望者を待つためだ。

 本部室は、本部役員の事務作業室になっている。

 四人いる役員もたいてい放課後は、ここに集っていた。

 部屋の隅には古いソファとローテーブルのちょっとした応接セットがあって、そこにソラはちょこんと座って、まだ見ぬ入部希望者を待っているのだ。

 まあ、ただ待っていてもぶっちゃけ暇なので、宿題をしたり、今日のように掃除を手伝ったりもする。

 一人でMP3プレイヤにはいってる落語も聴いたりする。ひとり部活動だ。寂しいことこのうえない。

 役員の四人はそれぞれ業務があって忙しそうなので、あまり話しかけたりはしないようにしている。

 様子を見ていると、思ったより仕事が多いことにソラは気がついた。

 居候だから邪魔をせず、大人しくしていよう。

 そうやってソラはすみっこのソファにポツンと座っているのだった。

 そしてほどほどの時間になると「おじゃましました……」と言って帰る。

 同じく一年で会計補佐の加藤いおりに「今日も仲間は現れなかったね」と言われたりもするが。

 

「邪魔じゃないけどさ、毎日律義にこなくても大丈夫だよって。ほかにやらなきゃいけない事とかないの?」

 ソラが箒を片付けてから、すでにレギュラーポジションとなりつつあるソファに腰かけると、明日真もその向かいに腰を下ろした。

「バイトとかもしてないですし……」

「そっかー」

「あの、今日は他のみなさんは?」

 この時間は大抵、ほかの役員も顔を出しているものだが、今日は姿は見えない。

 そういえば、明日真さんとふたりきりになるのは、久しぶりかも? とソラは気がついた。

「椿は家の用事だかで帰った。美佐といおりは……」

「あ、部の例会ですか?」

「そうそう、よくわかったね」

 副会長の高田椿は文芸部所属の二年生だ。クールな雰囲気を持つ人物で、まだソラはちゃんと話したことはない。

 会計の森美佐と会計補佐のいおりは、ふたりとも簿記研究会の所属。

 今日は文化棟一階の会議室を簿記研究会が使用していた。

 そのことは本部室のホワイトボードに記されている。この本部室に出入りしているうちに、ソラもなんとなく文化棟のシステムがわかってきた。なお、明日の放課後はそこは演劇部が使用する予定になっている。

「……簿記研究会ってなにしてるんですか?」

「簿記の勉強じゃないかな?」

「あ、そっか……」

「いおりは最近は株にハマってるらしくて、部のお友だちと研究したりしてるらしいよ」

「ええー!」

「いや、もちろん買ってはいなくて、ほんとに研究だけらしいけど」

「び、びっくりした~」

 加藤いおりは1年E組で、ソラの隣の隣のクラスだ。

 二クラス合同で行われる体育でも一緒になることはなかったので、彼女のことはこの文化棟にくるまで知らなかった。

 数学の成績は学年トップ。ただし、成績がいいのは数学だけ、らしい。

「明日真さんは、部にいかなくていいんですか?」

「私は幽霊部員だからねー」

 明日真は写真研究会に所属しているけども、ほとんど部室にいくこともない様子で、放課後のほとんどをこの文化棟本部室ですごしていた。

 もちろん仕事ばかりではなく、たまには授業で出た課題をやったり、雑誌を読んでいたりもする。

「それに今日は仕事があるんだ」

「仕事?」

「この間、設備点検がはいったんだけど」

 そういえば、先日のリーダー会議の時に言ってたっけ。と、ソラは思い出した。

「やっぱり水周りがいろいろ問題あるらしくて、今日は専門の業者さんが点検にくるんだって」

「はあ」

「それで、美研の部室のほかにもトイレも点検するから立ち会ってほしいって」

「なるほど……大変ですね」

「まー、見てるだけだろうから、大変でもないと思うけど」

 そう言って、明日真は笑った。

 そうやって明日真さんは笑うけど、文化会の役員ってけっこう大変だよなあ……。

 ソラはそう思っていた。

 役員は文化系サークルに所属しているものから選ばれる。

 つまり部活動と本部の役員としての活動を掛け持っているのだ。

 もちろん、文化系部に所属している生徒会役員もいるそうだし、体育会本部の人たちは、それこそ練習や遠征がある中、役員をやっていて、もっと大変そうだ。

 クラスメイトのみっちゃん(茶道研究会所属)情報によると「明日真さんは成績もいいんだって!」とのことなので、勉強もちゃんとやっているのだろう。

 この明窓女学院に入学してから落研が復活するまでの間、ソラは普通に帰宅部だった。

 バイトもしていないので、授業が終ったらすぐに家に帰って、再放送のサスペンスドラマを見て時間をつぶしていた。

 そんな自分と比べると、この文化会の役員の人たちは、なんて忙しい放課後なのだろうかと。

 もっと、頑張らないといけない!

 と、思うのだけど入部希望者は相変わらず現れないので、部活動に燃える青春! はまだ実現していないソラなのであった。

「あの明日真さん」

「ん?」

「この本部役員のお仕事なんですけど……」

「うん」

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