7 切り落としVS合撃打ち


 雷美の分は悪かった。

 『夢想剣』対『西江水』。ここが互角なら、所詮は技の勝負になる。相手は柳生紫微斗。もともとが剣名の高い剣道家であり、その身に降臨させた剣技は、正統尾張柳生の天才・柳生連也斎。対する雷美は、一介の女子高生である。本来なら勝てる道理はなかった。

 ただ……。

 彼女は、二歳のころから木刀を握っている。きちんと稽古を始めたのは、たしか四歳のころ。以来毎日のように稽古をつづけ、そう、あれは十四歳。キャリア十年といったころの話だ。

 あの当時は、雷美は一刀流のすべての型を理解し、その奥にある技術の大概は自分の物にしていた。道場にくる大人に教えることもあったし、組太刀稽古でも体格のいい男性に後れをとるということは全くなかった。それこそ、上からでも下からでも、右から左から、どこからでも勝つことが出来た。型稽古の上では、であるが。

 そんなとき、ふと師匠に呼ばれ、組太刀の一本目から相手をされたことがあった。

 一本目の切り落とし、二本目の迎え突き。そのあと師匠の鷹沢善鬼がぼそりとこう言ったのだ。


「まっすぐ勝て」


 雷美はそのとき、はっとなった。額に氷を当てられるとは、こういうことだろうか。

 彼女は、「どうとでも勝てる」から、「どう勝つべきか」をこのとき知ったのだ。


 剣は、ただ単に勝てばいいという話ではないのだ。いかに勝つか。それが大事だったのだ。

 たとえば、野球に例えて言うなら、変化球で勝ってもいいし、隠し玉で勝ってもいいだろう。だが、一刀流では、かならず「ストレートでストライクを取って勝て」と教えているのだ。

 勝てばなんでもいいという流派ではないのだ。

 まっすぐ切り落として、相手の中心を攻める。それが一刀流の戦い方である。ならば、自分もそうする以外に途はない。


 下段で間合いに入った雷美は、相手の中心に切っ先を突き込んだ。

 紫微斗は正眼に合わせて間を切る。が、その前足は間境まさかいを越えている。身体を間の外におき、足だけ入れる高等技術。九個くか之太刀『必勝』すなわち『秘勝』の技だ。届かないと見せて、実は剣刃下に相手を引き込む神技だ。


 あっと思ったときには、紫微斗の切っ先は雷美の拳にかぶっていた。

 ──妙剣!

 すかさず折り敷き、身を沈めて刃を降ろす。下りる紫微斗の太刀に乗って、上太刀が入れ替わり、雷美が上。はっと下がる紫微斗を追って、踏み込んでの突き。かなり深いが紫微斗は西江水で逃れ、入れ違うように刀の峰に手を添え、『刀棒とうぼう』という中取りをしての迎え突き。この『刀棒』という峰に手を添える持ち方は、九箇之太刀『捷径』だ。が、雷美は太刀を揺するように回して『浮木』で応じる。ふたたび上下が入れ替わり、紫微斗は撤退。


 大きく引いて、にやりと一言。

「やはり近間では分が悪い。ならば」

 撥草(八相)から大きく踏み込み、大車輪が転がってくるような袈裟斬り。びゅーんという刃鳴りの音を引いて紫微斗の剣が斜め上から薙いでくるが、雷美は付き合わず下段に抜く。が、その瞬間、背中を見せるところまで斬り下ろした紫微斗の躰が変転した。彼の背後から飛び出してくる隠し針のように鋭い白刃の一撃。

 ──逆風の太刀! 太刀筋が深い!

 異様に速かった。しかも、この太刀筋。迂闊に合わせれば、巻き込まれて斬り伏せられる。


 雷美は身体をねじり込み、裏の切り落としで身体ごと突き込む。紫微斗の骸丸に、雷美の鬼姫一文字が綺麗に乗り、理想的な切り落としが発動した。

 完全に入った! 

 ……はずだった。

 が、またもや紫微斗の身体は質量がない影のように雷美の剣刃下から逃れて正中線を外す。新陰流の西江水をどうしても捉えることができない。


 追撃して一刀斬りつける雷美。紫微斗の身がその場で一重身に開き、その拳が正中線から外れる。中央をとった!

 ──ちがう。外からくる!

 雷美の中で警告の声が響く。


 雷美の太刀が中央にあるにも関わらず、紫微斗は拳を外におき、そこから切っ先だけを突き込んでいる。身を開いた状態で横に斬る、これが新陰流の秘技『くねり打ち』か。


 かちり!


 腕を落とされるぎりぎりのところで、雷美の刃が引き身からの『絶妙剣』で、紫微斗の太刀を弾き飛ばす。


 跳ね飛ばされた紫微斗は、その勢いのまま、その場で一回転。逆方向からの一刀。雷美は絶妙剣を切り返し、もう一度弾く。が、紫微斗の脱力は凄い。跳ね飛ばされて、そのまま切り返す。雷美はあとに引いて、間を取ろうとし、後ろの踵が廊下の段にあたり、尻もちをつきかける。

 変な場所に追い詰められていた。


 やられた。だが、追い討つ紫微斗の片手斬りを地生で斬り上げ、後ろへジャンプ。ドアを越えて、そとの渡り廊下へ逃れる。

 ここか。

 雷美はすばやく周囲を見回す。


 北校舎と職員寮をつなぐ、細い渡り廊下。キャットウォークのように幅がなく、人が二人やっとすれ違えるほど。ここは三階で、手すりを越えてその向こうへ飛び降りることは、少なくとも雷美にはできない。

 彼女はすばやく渡り廊下を走って奥へ逃れる。紫微斗が追ってきて、二人は廊下の中央で対峙した。


 風が吹いている。かなり強い。この風圧の中で、迂闊に上段にとると、刀身が持っていかれる。

 雷美が下段に取ると、紫微斗は城郭勢という刃を斜め上に向けた正眼の変形にとる。

 が、左右を手すりに阻まれていて、太刀は斜めに遣えない。右旋も左転もできないはずだ。


 紫微斗がゆっくり息を吸い込んでいる。

 来る気だ。

 ここまで雷美は、夢想剣に助けられてこの剣鬼と互角に斬り合ってきた。途中なんども追い詰められ、その都度、彼女の力ではなく、伊藤一刀斎景久と小野次郎衛門忠明の残した剣技によって助けられてきた。こちらの夢想剣と敵の西江水がほぼ同格の力をもつ極意であるとするならば、最後に勝敗を決めるのは一体なんであろう?


 戦略か? はたまた集中力か?


 しかし、今この場、左右に転じることのできない狭い場所で、新陰流の西江水も一刀流の払捨刀もその力を発揮することはできない。ならばもう、あとはまっすぐ打ち合うより他はない。

 雷美はゆっくりと大きく息を吸い込み、その吸い込んだ息をぐっと肚の下にしまい込んだ。


 紫微斗が前に出る。雷美も応じて踏み出した。


 紫微斗は城郭勢、雷美は滑るように上段へ。後の先を取られるのは百も承知で、上段からの高上極意五点『金翅鳥王剣きんしちょうおうけん』でもっとも高い位置から斬りかける。


 紫微斗は下から刃を合わせ、受け止めようとするが叶わず、そのまま斬りつぶされる寸前で雷美の金翅鳥王剣へ合撃がっし打ち。

 すべるように鬼姫一文字の峰を走った骸丸の刃が雷美の頭に達する。紫微斗の──勝った!──という心の快哉が聞こえる。柳生紫微斗の一刀が、雷美の頭髪を断つそのとき、雷美は紫微斗の勝った!勝ちたい!というその心を切り落とした。

 ──まっすぐ勝て!

 しゃん!

 刃の鳴る音が微かに響いて、雷美の刃が紫微斗の合撃打ちを切り落とす。


 紫微斗はすかさず西江水で後ろへ逃れる。雷美は夢想剣でその動きを正確に読み、滑るように追いすがる。

 紫微斗の後退した距離、じつに九十七センチ強を、雷美は正確に同じだけ詰めて、切り落とし突きで詰め勝つ。


 切り落とした形の雷美の刃が、下段に降りた紫微斗の拳を上から押さえ、紫微斗はかろうじてその拳の皮膚を鍔にて守っていた。


「勝負あった。剣を収めなさい」

 雷美はひたりと紫微斗の目に視線を合わせる。

 かすかに青味のかかった不屍者の目で見つめ返しながら紫微斗はひとこと。

「斬れ。負けて生きるは恥辱だ」

「あいにく、一刀流の剣は、案外相手を斬らないの。その太刀を切り落とすばかりよ。いたずらに、人の命は奪わない」

「おれは不屍者だ。ここで逃せば、いずれおまえは死に、おれはいつまでも生き続けるぞ」

「そのときは、あたしの弟子なり子なりがおまえの相手をする。人は死んでも、剣は死なない。技は人の中で生き続け、受け継がれる」

「斬れ」しずかに言う。「しょせん不屍者なんぞは、在ってはならない存在だ。それに……」


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