6 夢想剣VS西江水
「くっ」
雷美は呻いて、身を翻していた。
柳生紫微斗は容赦のない太刀筋で、彼女に斬り掛かってくる。その技も戦いぶりも、一切手抜きのない熾烈なものであった。
そもそも初手からして、教室のドアの裏側に潜んでおいて、突然に彼女の背後から斬りかかってきたのだ。
が、不意打ちは雷美には通用しない。斬りつけられる瞬間、彼女の心の中で警報が鳴り響き、紫微斗の刃を外していた。雷美の悟達した夢想剣に、背後からの攻撃は利かない。
だが、初太刀を躱した雷美に、紫微斗は容赦のない斬撃を休むことなく送り続ける。
雷美は抜刀できずに追い詰められ、進退窮まったが、紫微斗の一瞬の呼吸の継ぎ目を捉えて、腰の刀を
火急の場合は上に抜け、とは暗夜斎の教えである。それがいま、役に立った。
紫微斗の刃を鋼一枚身の盾にして凌ぎ、切り返す。紫微斗は入れ違い、一瞬で左転して斬り返す。が、雷美の夢想剣はその未来を読んでいる。
雷美はつぎの紫微斗の一刀を切り落とす。手ごたえ十分。
──入った!
が、
──えっ!
切り落とした刃の下を、紫微斗が抜ける。
本来、切り落としが入ってしまったら、その刃の下から抜けることは不可能だ。が、しかし、紫微斗の身体はまるで氷上を滑るが如く異様なスライドを見せて転じ、雷美の中心軸を外した。
切り落としの有効性のひとつに、切り落としたこちらの太刀が相手の中心軸を捉えているという利点がまず挙げられる。が、ここを左右に転じて外された場合──それは本来不可能なはずなのだが──こちらの刀身は相手の中心軸から外れ、すなわち本来太刀の陰に隠れているはずの身体が敵刃にさらされ、あまつさえこちらの中心軸を捉えられてしまうという形勢の逆転が起こる。
切り落としを外された瞬間、紫微斗の円の太刀が、無防備な雷美の頭上へ降ってきていた。
しかし、中心軸を奪われた場合の技が一刀流に無いわけでもない。
雷美はすかさず
一刀流の躰使いは、ときとして体格を超えて、敵刃を吹き飛ばすほどの剛剣を生む。体格に劣る小柄な雷美の、下からの太刀が、長身の紫微斗の上からの斬撃を跳ね飛ばし、躰の切れで中心軸を奪った雷美の、返す一刀の斬り下ろしが紫微斗の頭に容赦なく襲い掛かった。
電瞬の技である。打ち合わさせた刃が放つ火花が消える前に紫微斗の頭を梨割りにするほどのタイミングだったが、斬り掛ける雷美の鬼姫一文字の峰に、魔法のように紫微斗の骸丸の刃が乗ってきている。
──
ざっと雷美の全身から汗が吹き出し、その瞬間、彼女の身体は無意識のうちにその場に沈み込んですり抜け、潜るように紫微斗の脇を駆け抜けていた。払捨刀の八相抜け。
斬りつける両者の刃が互いに空を斬り、相抜ける。
下段まで斬り込んだ形は、前後逆に見れば、すなわち脇構え。
両者は振り返る動きで、
が、雷美の方が完全に速い。
時として剣術では、背が低い方が有利なシチュエーションが多々ある。このときも、小兵の雷美の刃が、さきに紫微斗の脇腹に達していた。
切っ先下がりに斬り込む彼女の刃が紫微斗の脇腹に突き込まれ、まずその長ランの生地を裂き、ワイシャツを斬り、そして彼の皮膚に達しようかという寸毫の間で、紫微斗の身が転じた。
またも、氷上を滑る鋼球のような不可思議な動き。
肋三枚切り落とさせて勝ちを得るという、新陰流の極意『一刀両断』。被せるように斬りかける紫微斗の刃を、今度も寸前で雷美は払捨刀で跳ね飛ばし、入れ違う。
紫微斗も入れ違い、大きく間をとって正眼にとる。雷美も合わせて相正眼。
紫微斗は嬉しそうに破顔した。
「おれの
「やっとわかった」肩で息をしながら、雷美は微かに震える声をあげる。「さっきからお前が使っているのが、新陰流極意『
一刀流の技名には、仏教用語が多数使われている。一方新陰流は禅語ばかりだ。
『西江水』も禅語であり、西江の水を一息に飲み込むという意だが、新陰流の極意としての『西江水』は、柳生十兵衛
「さすがは雷美殿。よくぞ見抜かれた」紫微斗は口元を吊り上げて不敵に笑う。「こらちは、極意秘術の限りを尽くしてお手前に挑む。そちらも、一刀流の極意秘伝のすべてをもって応じられよ。それが剣に生きる者同志の、礼儀というもの」
「望むところ」
雷美は低くとり、地摺りの正眼に取る。真下からの切り上げ『地生』一択の構え。
紫微斗は太刀をおろし、無形の位。わが身を捨て、斬られてもよい、いいやいっそ斬って下さいの位。
両者はするすると前に出る。
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