5 生者対不屍者


「百鬼よ、おまえ、『テスラ・ハート』があるとか、さっき口を滑らせていたな」

 比良坂天狼星がうれしそうに口を開く。

「天狼星、きさま……」

 百鬼は銃を三越玄丈に向けたまま憎々し気に天狼星を睨みつける。

「ほんとうに、そんなものあるのか?」嘲弄するように顔を突き出して問う天狼星。「あるなら、見せてみろよ」

 あからさまな挑発に百鬼は、しかし乗らない。『テスラ・ハート』はある。だが、いま見せるわけにはいかない。

「雷美さん、いまどこにいる!」

 マイクに向けて吹雪桜人が叫んでいるが、雷美からの返答は来ない。

「彼女なら、いまは死ぬのに忙しいよ」天狼星がころころと鈴が転がるような声で応える。「あたしの主人が彼女の相手をしに行っているから」

「雷美さんなら、負けませんよ」

 玄丈に銃を突き付けられながらも、蝉足篠が気丈に言い返す。

「夢想剣かい?」

 天狼星は冷笑した。

「一刀流の極意剣『夢想剣』をもってしても、柳生新陰流最高の天才と言われた柳生連也斎は、斬れない」

 天狼星は、雲ひとつない青空色の瞳をすっと細めた。


 一瞬だが、園長室に霜が降りたような沈黙が訪れる。

 その沈黙に耐えられなかったのか、あるいは今がチャンスとみたのか。

 突然吹雪桜人が駆け出した。


 デスクの引き出しにしまってあった包丁を取り出し、気が違ったようなスタートダッシュで出口近くに立つ比良坂天狼星に突進していた。手にする包丁は、百鬼がイザナミ流の秘術で呪禁刀化したもののうちの予備の一本。不屍者に対して殺傷力がある。


 百鬼が茫然と見守る中、桜人が天狼星に飛び掛かる。

 部屋の反対側では、三越玄丈が抱えていた蝉足篠を突き飛ばし、前に一歩飛び出して、両手に構えたグロック・ピストルを連射した。

 鼓膜が破れるような銃声が連続で部屋を震わせ、走っていた桜人の背中に赤い花が咲く。ぽっぽっと弾痕が穿たれ、桜人が天狼星の手前で倒れた。百鬼はその光景に思わず三越玄丈に向けて、引き金を引く。


 目の前で爆雷が爆発したような銃声と火花が散り、大口径のマグナムが激発した。重たい銀色の銃が跳ね上がり、自動車に轢かれたみたいに三越の身体が後ろへ吹っ飛ぶ。白いワイシャツがばっと赤黒い血に染まる。

 室内に立ち込める青紫の煙。きーんと響く耳鳴り。その中で叫ぶ篠の声。

「百鬼さん、いまです!」

 はっとなった百鬼は、スーパー・ブラックホークの装填蓋ローディング・ゲートを開く。


 シングル・アクションの銃とは、西部劇にでてくるあの、回転弾倉に一発ずつこめる形式の拳銃なのだが、通常は装填蓋を開いて撃鉄ハンマー半分だけ起こハーフコックし、回転式弾倉を回転可にして一発ずつ装填する。

 が、スターム・ルガー社のスーパー・ブラックホークは、装填蓋を開くだけで弾倉がフリーになるシステムを採用していた。

 しかし、百鬼が装填蓋を開いたのは、弾をこめるためではない。弾がこめられた弾倉を回すためだ。

 回転式弾倉を回せるようにした百鬼は、あわてて震える指で弾倉を回し、隙間からちらりと見えるリム、すなわち弾丸の縁のうち、赤く塗られた三発が発射位置にくるように調節する。そして装填蓋を閉じ、撃鉄を思い切り起こして銃口を天狼星に向ける。


 そう、『テスラ・ハート』は存在する。ただし、世界中から不屍者を一掃してしまう世界システムなどではなかった。蝉足教授が苦労の末に造り得たのは、たった三発の銃弾だ。着弾の瞬間、内部の金属片が飛び散り、摩擦発火によって高周波電流を発散させる。それにより、不屍者の身体を構成するヒーラ細胞を自死アポトーシスさせる特殊弾。それこそが『テスラ・ハート』。それが三発、あの小部屋には銃とともに隠してあったのだ。

 そしてこのうち、一発でいい。天狼星に命中させることができれば、彼女の術式は崩壊し、すべての不屍者を滅することが出来る。その効果は、世界システムと変わらない。

 三発だ! 『テスラ・ハート』は三発もあるのだ。絶対に外さないっ!

 こちらを見る比良坂天狼星の青い目が驚愕に見開かれる。


 勝った! そう確信した百鬼に心の隙ができる。引き金にかかった彼の指が強く引かれようとする瞬間、なにかが彼の背中にのしかかった。

 引き金が引かれ、銃が撃発する。硝煙が吹き上がり、銃が跳ね上がるが、その銃口は天井に逸らされ、百鬼の身体はのしかかってきたなにかに引き倒され、冷たく毛足の長い絨毯の上に転がされていた。


 はっと振り向く百鬼の顔のすぐ横に、口から唾液と血を吹き上げる三越玄丈の顔がある。背後からのしかかってきた玄丈は、絨毯の上に倒れ込む百鬼に、長い手足を蜘蛛のように絡めて彼の動きを封じてくる。百鬼の背中に押し付けられる玄丈の胸は、大きく陥没しており、ぐいぐいと体重をかけるたびに、折れた肋骨がきしきしと嫌な音を立てる。生暖かい血液と、血なまぐさい息を吐きながら玄丈は哄笑し、気道に血が詰まっているのだろう。大粒の血煙を吹き上げた。

 ──しまった、こいつは不屍者だったのか!

 いまさら気づいたが、もう遅い。そう。この聖林学園は、不屍者が絶対侵入不可能の聖域ではなかった。それが発覚する前から潜入していた不屍者がいてもおかしくなかったのに……。百鬼は今更そのことに気づいて歯噛みするが、もう遅い。


 玄丈は、片腕を百鬼の喉に絡めて彼の呼吸を阻害し、もう一方の腕で百鬼の手からスーパー・ブラックホークをもぎ取ろうとする。が、百鬼も必死の思いで抵抗し、指を外さない。相手が不屍者という人外の存在であれ、その筋力膂力は人と変わらない。必死で掴む百鬼の指を解くことは、そうそうできない。が、それに気づいた玄丈はすかさず手を変え、百鬼が守っていなかった、拳銃の撃鉄を起こした。


 キチっという金属音をたてて、弾倉が回転する。あっと思って百鬼が引き金から指を離した瞬間、玄丈は再び天井に向けて引き金を引く。

 銃が撃発! 『テスラ・ハート』の二発目が失われる!

「しまっ……た」

 百鬼はふたたび撃鉄を起こそうとする玄丈の指を邪魔しようとするが、それをすると銃把の握りが甘くなり、銃自体を奪われかねない。百鬼の指を掻いくぐり、玄丈の指が撃鉄にかかり、それを起こそうとしている。


 絡み合う二人の腕に、篠の身体がわっとばかりに飛びついてきた。無我夢中で『テスラ・ハート』の無駄撃ちを阻もうとしたのだが、玄丈は乱暴に彼女の身体に肘を打ち込み、「ぎゃっ」と悲鳴を上げた篠の身体が振り払われる。玄丈の手が一瞬銃からはなれ、百鬼はすかさず撃鉄を起こして、銃口を比良坂天狼星へ向けるが、引き金を引く前に玄丈の両腕が銃に絡み、壁へと銃口を逸らす。


 まずい!

 心の中で叫ぶが、引き金にかかった百鬼の指を、玄丈の指が上から押さえこむ。開く力と握る力では、握る力がはるかに強い。百鬼は抵抗したが、彼の手にした拳銃スーパー・ブラックホークは、銃口を壁のガラスケースに向けて、いままさに引き金が引かれようとしていた。

 勝利を確信した比良坂天狼星が、高らかな笑い声をあげた。


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