4 居合VS剣術


「下がれ、下がるんだよ!」

 玄丈に言われて、百鬼は後ろへ下がる。階段を後ろ向きに降り、一段踏み外して無様にこけ、それでも銃口を相手に向けながら、さらに段を降りる。


 百鬼の持つスーパー・ブラックホークは、シングルアクションの拳銃である。親指で撃鉄を起こし、それから引き金を引かないと弾が出ない。面倒くさい動作を要求されるだけあってその分、引き金はほんのちょっとの力で引くだけで、弾が出てしまう。うかつに指をかけていると、まちがって引き金を引いてしまいそうで、百鬼は引き金から指を外す。

 でも、そうすると、なんか撃つ意志を放棄したみたいで自分が情けなくなる。もっとも、百鬼が情けないのは、いまに始まったことではないのだが。


 蝉足篠にグロック・ピストルをつきつけた三越玄丈は、彼女の腕を背中にねじり上げて盾にしながら、一段一段ゆっくりと階段を降りてくる。それに追われるように階段を降り切った百鬼は、本棚の隠し扉を越えて、園長室に転がり込む。

 パソコン机についていた吹雪桜人が驚いた顔で振り返り、降りてきた篠と百鬼、そして玄丈に気づいて、思わず腰を浮かせた。

「え? なに? どうした?」

「いいから動くな」三越が手にした拳銃を篠の首筋にあてている。後ろ向きに下がる百鬼も、手に大型拳銃を握っており、その銃口は篠と玄丈に向けられていた。

「いったい、なんなんだよ?」

「いいから、吹雪くん。言う通りにして」

 銃口を喉に突きつれられた篠が、三越に抱えられながらも冷静に告げる。


「園長先生?」三越玄丈は気味悪い猫なで声で尋問する。「『テスラ・ハート』はどこですか? 答えて下さい。さもないとぼくはここにいる誰かを撃たなければならなくなる」

「『テスラ・ハート』なら、ちゃんとある。それだけで十分だろう」百鬼が銀色の大型リボルバーを向けながら言い返す。

「どこだ? 答えろ」

 玄丈の軋るような囁き。

「ある。だが、場所は教えない」

 百鬼は毅然と言い放つ。

「ならば、それでもいい。全員撃ち殺して、それでお終いにする。『テスラ・ハート』はそのあとゆっくり探してもいいし、永遠に見つからなくてもいい。われわれは、それで構わないから」

「そういうことなら、ぼくは君を撃つ」

 百鬼は銃をあげる。

「園長先生が死ぬぞ。おれは死なないけど」

 玄丈は銃口を篠の顎の下にあてる。

「構いません。わたくしごと撃ってください、百鬼さん」

 篠はきっぱりと言い放つ。

「…………」

 逡巡する百鬼。

 そのとき、園長室の入り口のドアを開けて入って来た者がいる。一同は極力首を動かさないようにしてその者を確認する。

 入って来たのは、涼し気な夏着物に身を包んだ美しい女性。比良坂天狼星だった。

 彼女はそのアイスブルーの瞳で室内を見回すと、にやりと笑った。

「百鬼よ、おまえ、『テスラ・ハート』があるとか、さっき口を滑らせていたな」




 居合の達人、田宮刀内が講堂に入ってきた時、床の真ん中に敷物を広げて、そのうえでしずかに刀を研いでいたのは、伊勢崎町一刀斎豹介である。

 砥石のうえで銀色の刀身をしゅっ、しゅっ、と動かし、研ぎに集中していた。

 田宮刀内が入ってきても、顔も上げない。

「おい、おまえ」見た目十七歳の刀内は、刀剣を研いでいる一刀斎に声を掛ける。「ここで何をしている?」

 しばし無言で、刃の冴えを確認していた一刀斎は、ふと目を上げて刀内を見つめる。

「見ての通り、おれは、研ぎ師でね。刀を研いでいる」

「研ぎ師か」刀内はふっと鼻先で笑う。「いまがどういう状況か分かっているのか?」

「というと?」

「もうすぐこの聖林学園は無くなる。ここに立てこもっている奴らは、教師も生徒も全員皆殺しになり、使えるものだけ不屍者として再生される。おまえも、研ぎ師として腕が良さそうだったら、生き返らせてもらえるかもしれないな」

「興味ないね」一刀斎豹介は肩をすくめる。「なにが不屍者だ。なにが永遠の生命だ」

「強がるなよ、小僧」刀内はあざ笑う。

「そっちこそ、強がるな、ちょっと刀抜くのが上手いくらいで」いいながら豹介はそばの道具箱に手を伸ばし、中を探る。木製の道具箱は、棺桶の半分くらいの大きさがある。中にはなにやら、彼にしかわからない道具がいっぱい詰まっている。「えっと、どこだっけな? ……たしか、この辺に」


 刀内はぴくりと片眉を吊り上げて、腰の刀に手をかける。柄が長い独特の拵え。居合の神速の抜刀の秘密が、この長い柄にあることは、田宮流の秘事であった。

 彼は今この瞬間、抜く手も見せずに一刀斎豹介を両断することができたが、ふたつの理由でそれをしない。

 ひとつは、距離が少し遠くて、深く踏み込まないと剣先が届かないこと。もうひとつは、この研ぎ師がなにを取り出すつもりか、多少興味があったこと。


 一刀斎豹介は道具箱のなかを漁り、目当てのものを見つけ出せずに腰をあげ、しまいには中を覗き込んでがちゃがちゃと上の物をどかし、ようやく探していた物を見つけたようである。


 ぐっと掴んで、左手で引っ張り上げた。

 黒塗りの日本刀。ぼろぼろの柄に、漆の禿げた鞘。なんかひどい拵えの刀だった。

「なんだ、そりゃ」刀内はあきれたように口を歪める。「ひどい刀だな」

「人も刀も見た目じゃないぞ」立ち上がった豹介は、作務衣の帯にぼろぼろの刀を差し、するりと抜刀する。抜き方が素人ではなかった。


 だが、刀内は、おもわず笑ってしまう。

「まさか、おれを斬ろうってんじゃないだろうな、研ぎ師の兄さんよ?」

「そのまさかだよ」豹介は飄々と笑う。「見た目はボロだが、こいつはなかなかの名刀でね。知っているかな? 伝説の刀剣『甕割り一文字』ってやつを」

「なに?」

 あまりのことに、刀内はぽかんとしてしまう。



 『甕割り一文字』。一刀流流祖伊藤一刀斎景久の佩刀にして、一刀流正統の証。一刀斎から一刀流二代目小野次郎衛門に伝えられ、そののち小野家から無刀流山岡鉄舟に与えられたと伝わるが、そののちようとして行方の知れなかった伝説の刀剣である。

「それは、本当に本物の、甕割り一文字なのか? だとしたら、なんでお前が持っている」

「本物だよ」豹介はおどけて言う。「なんでおれが持ってるかって? 不思議じゃないだろう? おれは、一刀斎、伊勢崎町一刀斎豹介だからさ。あ、あと、これは知らないでしょ。甕割り一文字って、じつは呪禁刀だってこと」

 豹介はにやりと、不敵に笑った。

「ここで、死んでもらうぜ、田口さんよぉ」

「田宮だ!」

 ぱっと顔貌を怒りで朱に染めて、田宮刀内は長柄の差料に手をかけた。


 呪禁刀『八方萬字』。三尺の太刀。三尺とは九十センチ。柄は一尺五寸、すなわち四十五センチとこれまた長い。

 ずいと鞘を突き出して、刀内はするすると間を詰める。


 対する一刀斎は、気楽な調子で甕割り一文字を低い八相、陰の構えにとる。

 居合の抜刀は、おそろしく速い。達人の抜き放つ真剣は、まるで近距離でぶっ放される拳銃のようだ。そして、その神速の抜刀を凌駕する剣速は、剣術にはない。刀内は絶対の自信をもって居合の間合いに入ろうとした。


「柄に重りを仕込んでいるか」

 見山けんざんの目付で見抜いた一刀斎が指摘する。

「!」

 ぴくりと反応し、歩をとめる刀内。

「長い柄を重くし、抜刀の瞬間右手を通常の斬撃とは逆の、左に振ることにより、柄を内側へ振り込む。その力が切っ先に伝わって、梃子の原理で剣先は神速の抜刀を生む、か」


「なるほど、よく見抜いた、一刀斎」刀内は不敵に笑う。「だが、わが萬字まんじ抜きの秘術を解き明かしたとて、その雷速の抜刀を止めることは、おぬしには出来まい」

「これとのみ」

 豹介は陰にとって、するすると前に出る。刀内は応じて歩み寄り、刀の柄にかけた指を絡めて、鯉口をそっと切る。

「思い極めそ、幾枚も」

 豹介は肩で攻めて一重身へ。刀内は電光のような抜刀。鞘引きとともに白刃が銃弾のように撃ちだされる。

「上に上あり」

 豹介は左半身の陰から、一足踏み込んで右半身まで。かちゃりと鋼の弾け合う音を響かせて、左一重身にとった豹介の甕割り一文字は、田宮刀内の頭頂から鳩尾まで、まっぷたつに切り裂いていた。豹介はそこからぐっと丹田を落とし、一番下まで斬り下ろす。

吹毛すいもうの剣」


 頭から股間まで縦に裂かれた田宮刀内は、左右に割れて講堂の床に転がった。

 豹介は、甕割り一文字に一度血ぶるいをくれると、道具箱に歩み寄り、中から襤褸布を取り出して血糊を拭う。

「一刀流の陰刀いんとうは、そもそもが抜刀封じの技よ」ふたつになって転がる刀内の死骸に語り掛ける。「いかな神速といえど、所詮右からきて左へ行くだけの太刀。最初から最後まで刀身の陰に身を隠したおれの身体に、その刃が触れようはずも無し」


 低い八相である『陰の構え』は、いっけん身体の右側に剣を突っ立てた構えに見えるが、実は刀身は身体の正中線上にある。刀が右なのではなく、身体が左に向いているだけなのだ。

 一刀流の『陰刀』という技は、陰から正眼に突く形が主だが、ここから逆の陰、『陽』まで突き込んだとき、垂直に立てた刀身の陰に身体は隠れ続け、横に薙ぐ抜刀が届く瞬間は寸毫もない。

 刀身をぬぐった甕割り一文字を腰の鞘に納めると、豹介は出口に向かって歩きだす。

「まあ、心配はないと思うが、一応手伝いにいく、かな?」


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