4 百鬼の秘密兵器
『怒りは加速し、重力は偉大なり。時は語り、光は変化する』
「この一文の中に、アルファベット三文字が隠されているんだ」桜人が紙面を指さす。「で、その三文字をあのキーボードに打ち込めば、扉が開く仕組みらしい」
「適当に打ち込んでみちゃダメなの?」
錦之丞が無邪気にきく。
「いいわけないでしょ」雷美が呆れ声でかえす。「それで開くんなら、暗号いらないじゃない」
「ご明察」桜人がにやりとした。「園長の推測では、何度か間違えると自壊装置が動く危険があるらしい。しかもそれが、一回でも間違えるとアウトなのか、三回くらい間違えてもセーフなのか分からない。なので、もう絶対これが正解ってのが出るまで、入力はしない、とそういう話だ。二人とも、正解を思いついたら、おれのとこまで連絡してくれ。おれが一応この暗号解読の担当だから。雷美さんも、お願いますよ」
「へーい」
フェイクだと知っているので、ついつい御座なりな返答になってしまった。
「アルファベット三文字なんだよな?」錦之丞が真剣な眼差しで文面を睨み、首を傾げる。「四行の文になってない?」
「いいところに気づいた」桜人は指をぱちんと鳴らした。「そうなんだよ。文は四行。にもかかわらず、答えのアルファベットは三文字。そこが謎なんだ」
「怒りって、英語でなんていうの?」
雷美は聞いてみた。
「anger」
即答する桜人。あれ? 英語が得意なのかな。
「じゃあ、加速は?」
「accelerare」
これも即答。
「じゃあ、最初の文字はAじゃないの」
「そう。それはみんな気づいているんだ」
「そうなの?」
雷美は口をとがせらせる。なんかちょっとバカにされた気がする。
「重力はgravityだし、偉大はgreatで、次の字はG」桜人はすらすらと
「へーい」
雷美の返答はやっぱりおざなりになってしまった。
まあ、『テスラ・ハート』が実在しないとすると、あの扉があっけなく開かれてしまっては、囮が消失してしまう。そのために難しくしてあるんだろうから、謎は簡単に解かれないほうがいい。
もっとも、雷美が考えて解けるような謎でもない気がするのだが。
「ときに、剣道部の方は、どうしてるの? 馬場コーチ、逃げちゃったんでしょ」
「ああ、真田ががんばってるけどね」桜人がちょっと頭を抱えるそぶりをみせる。
聞いた話では、雷美が全身血まみれで聖林学園に帰ってきたときはまだ、馬場コーチは学園内にいたらしい。
が、そのあと、雷美の、噴水みたいに返り血を浴びた姿と、手に提げた血刀を目撃し青い顔で彼は自分の個室に駆け込み、翌日には彼の部屋はもぬけの殻になっていたそうだ。
「きっと近いうちに纐血城高校の総攻撃が始まるから、そのときは剣道部が主力になって動いてもらわにゃならんので、きっちり体制を整えておいてもらいたいんだけど」
「そうなんだが、真田もコーチ不在でがんばってはいるんだよ」
桜人の言葉は力がない。
「あんだけ偉そうなこといっておいて、あのジジイ」錦之丞が舌打ちする。「いざとなったら逃げるなんて、大人として恥ずかしくないのかね」
「しかも人の姿見て逃げるなんて、失礼だわ」
「いや、あれは、ちょっとした悪鬼羅刹状態でしたから」
「ちょっと錦之丞、あんた、あたしに命をすくってもらった過去を忘れたわけじゃないでしょうね?」
「あのときも、返り血浴びてましたね」
「浴びるでしょ、斬ると血が噴き出してくるんだから」
「あのぅ、二人とも、おれ、次があるから……」
「おーい、桜人」ドアの向こうから声が掛かった。三人が目を向けると、三越玄丈が早足に渡り廊下をやってくる。「雷美さんも錦之丞も、手が空いているなら園長室に集合してくれ。百鬼先生がもどったらしい。大事な報告があるんだそうだ。あと、ついでに豹介さんにも声かけといてくれー」
急いでいるらしく、三越はそのまま踵を返してもどっていってしまう。
三人は顔を見合わせると、とりあえず届いた荷物は講堂のすみに置いておいて、園長室へ急行することにする。
身支度として、雷美はまず腰の帯に鬼姫一文字を差す。とにかく帯刀。それが雷美のいまのルールだ。
三人がばたばた片付けをしていると、講堂の奥から声が掛かる。
「おーい、『豹介さんにも声かけてくれー』って言ってなかったぁ」
聞こえていたみたいなので、豹介は無視して三人は講堂をあとにした。
園長室で待っていた山口百鬼がテーブルの上に広げていたのは、箱に入って並べられた何本もの包丁だった。
「包丁ですか?」
覗き込んだ桜人が先に来ていた篠の顔を見る。
「はい、包丁です」
篠は嬉しそう。
が、百鬼は「すみません、こんなのしか用意できなくて」と落胆をあらわにしていた。
「これ、なんに使うんです?」
腰の刀を壁の刀掛けにのせた雷美が、後ろから篠たちの顔を交互にみる。
「これ」満足げに頬を綻ばせた篠が、どや顔で百鬼の包丁コレクションを指さす。「呪禁刀なんです」
「えっ!」
そこにいた全員が、声にならない驚きや、喉をついて出たような声をもらす。
「呪禁刀を作れたんですか?」
三越玄丈が心底驚いた顔で百鬼をみる。
「ええ」静岡からもどったばかりの陰陽師が、しずかにうなずく。「呪禁刀作成の手順はある程度蝉足教授が残してくれていたんですが、一番肝心な資料がなかった。それをイザナミ流を伝えている村で発見したんです。比良坂天狼星の生前の資料のなかに、紛れていました。おそらく天狼星は、この資料が必要だったのではなく、蝉足教授に与えないために、隠匿していたのだと思います。ですが、これらの包丁。たしかに呪禁刀なのですが、不完全なんです。まず、ぼくの技術では、これより大きい金属に呪禁刀の能力を吹き込むことが出来ません。もうひとつ、呪禁刀は本来、剣豪なり、それに近い人間の佩刀、すなわち愛着というか、信仰というか、そういった気持ち、もしくは実際に人の血を吸っているとか、すぐれた剣技によって揮われたとか、とにかくその刀剣の『記憶』が重要になります。それがないと、ちゃんとした呪禁刀は作れません。となると、現代刀では呪禁刀は作れない。古刀、新古刀などはすぐに買ってこられるものでもない。となると、元になる刀剣は入手困難であるし、時間もない。仕方なく、イザナミ流の村の各家庭を回って、使われていた包丁をいただいて、急遽作成しました」
百鬼はちいさく肩をすくめる。
「これで、不屍者は殺せるのかい?」
後ろから豹介が顎で指す。
「もうしわけないんですが、たぶん、としか言えません」
「しかも、包丁かぁ」雷美は腕組みした。「纐血城高校の生徒は、真剣で武装してくるだろうし、この包丁は剣道部の人たちに使ってもらうことになると思うんですけど……」
「包丁で、日本刀相手にするのは、ちょっと厳しいな」豹介が、雷美の言葉を継ぐ。「よし、まだ通販が届いているようなら、鉄パイプを発注してくれ。サイズはこちらで指定する。で、簡易な
「おおー」桜人が感嘆して小さく拍手する。錦之丞と百鬼もならって手を叩いた。
「そういやあ、今回は通販とか水道とかは止められてないんですか?」
百鬼が園長先生を振り返る。
「はい」篠は考え考え答える。「まだ止められていません。ですが、これは奇襲の前触れではないかと……」
「そうか」豹介が顎をこする。「『テスラ・ハート』がいつ見つかってもおかしくない状況だからな。それが動けば、不屍者だろうが剣魔だろうが、一網打尽の木っ端微塵なわけだ。前回は呪禁刀を手に入れたいという天狼星の思惑が絡んだから、その攻め手は複雑だった。だが、今回は、とにかく『兵は拙速』で攻めてくる可能性が高いぞ」
「物資の搬入を急がせます」桜人が急ぎ足に出て行こうとする。
「いや」それを豹介当人がとめた。「まて、桜人。物資の搬入は通常の納品だけにしてくれ。もし纐血城高校が、こちらの『テスラ・ハート』発見間近という情報を得たら、あちらさんはすぐにでも攻め込んでくる。こちらが籠城戦の準備をしていれば、そこに感づかれる危険もある。ここは、いつも通りの平常納品だけにして、普段とちがう動きはしないことにしよう」
「でも、感づかれたら、纐血城高校は攻めてきますよね?」
桜人は豹介の目をのぞこきむ。
「くる」豹介は断言した。「これはまず間違いないことなんだが、この聖林学園の上層部には、敵のスパイがいる。ここにいるメンバーの中にいる可能性が高いが、一般生徒かもしれない。そいつから既に纐血城高校へは情報が飛んでいるとみて間違いないだろう」
「でも、それにすぐ反応したら」雷美は口を挟んだ。「大事なスパイの存在がこちらに知れてしまいますよ」
「構わない」豹介は言い切った。「『構わない』、と判断するだろう、比良坂天狼星は、な。あいつにしてみれば、もうこの聖林学園を残しておく必要はない。いつぶっ潰しても構わないんだ。その必要もないと考えているかもしれない。だが、もしここに『テスラ・ハート』があるとしたら、どうする? 天狼星は『テスラ・ハート』を奪う、もしくは完全に破壊するという選択肢を取るはずだ。そのために力任せに攻めてくる。全員皆殺しにすることすら厭わない。それほどの手段をとっても、『テスラ・ハート』は封印したいはずだ。となれば、スパイの発覚なんぞ、些事だよ。どうでもいい。スパイごと殺してしまっても構わないと考えるはずだ」
「つまり……」錦之丞が頭を働かせる。「すぐにでも攻めてくる、かも、……しれない?」
「その通り。早ければ今夜にでも攻めてくる。つまり、物資の搬入を心配している場合じゃないってことだな」
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