3 一刀流『一つ勝』


 大きく取り上げ、一足踏みだして木刀を振り出す。

 錦之丞が切り落とすのを確認して、雷美はうしろへ一歩さがる。

「まっすぐ大きく振りなさいよ」さっきから言っているのだが、どうにも錦之丞は勝ちたい勝ちたいで、ぶつけてくる。「ほら、最後はちゃんと下段に残心とる。かたちばかりじゃなく、ちゃんと気持ちでも残心するのよ」

「あの、雷美先生。質問なんですけど」錦之丞は稽古の途中で首を傾げる。「一刀流の一本目の『ひとかち』って、二刀で勝ちますよね。これ、本当は一刀で勝たないと、おかしくないですか?」


「ああ、それね」雷美はちょっと考え、仕方なく説明する。本来こういうことは、簡単に人に尋ねず、自分で答えを見つけねばならない種類の疑問なのだが。「一刀流の切り落としと似た技に、柳生新陰流の合撃打がっしうちってのがあるんだけど、この二つは一見そっくりなんだけど、大きな違いがあるの。新陰の合撃がっしは単発の技であるのに対し、一刀流の切り落としは連続技なんだ。技じゃなくて、技だからね。つまり、一度切り落としが入ってしまうと、あとはずうっと切り落としが入り続ける種類の技なのよ。だから、相手が二回切ってこようが三回切ってこようが、ずうっと切り落とし続けることが出来る。だけど、世の中そんな便利な技が簡単に遣えるもんでもない。当然、そうなるように遣うのが切り落としなわけで、だから、この一本目でそれを練習する。二回斬って、二刀で勝ってるんじゃなくて、一発で切り落としを入れて、一度入れたらもう逃れられないような切り落としを習得する。『一つ勝』とは、そういう組太刀なの」


「はあ……」錦之丞は明らかに理解できてない反応で首をひねる。

「とにかく、稽古を続けるよ」

「いやでも、雷美先生……」しかし錦之丞は納得いかない様子で口答え。「もしかしたら、纐血城高校が攻めてくるかも知れないんですよね? だったら、もう少し、なんていうか、実戦的な稽古をしないと、やばくないですか?」

 雷美は大きくため息をついて、構えを解く。

 稽古中なので、二人とも剣道着姿なのだが、雷美はちょっとちがう。豹介から借りた脇差を腰の帯に差している。呪禁刀ではないが、それでも素手よりずっとまし、ということで所持を篠から言い渡されている脇差だ。もうすっかり彼女の学園における待遇は、侍扱いである。


「実戦実戦、言うけどさぁ、これが一番の実戦への近道なんだよ。大きくまっすぐってのが基本で、この基本以上に実戦的なものは、この世にはないの。木刀だの袋竹刀だので、手加減なしで本気で打ちあうような稽古も結構だけど、そんなの日本のサムライはもう何百年も前にやりつくして、その結果として形が残ってるんだ。竹刀や木刀で子供の喧嘩みたいにポカスカ殴り合ったって、人は強くならない。得てして迷宮に迷いこみ、結果として自分の都合のいい結論を導いてしまうのがオチよ。だから、形通り、基本から学ぶ。そしてそれが、結果として一番の近道なのっ」

「そうそう、雷美ちゃんの言う通り」

 隅で刀を研いでいる一刀斎豹介が口を挟んでくる。いつもの場所でいつもの敷物の上。傍らには長持ながもちのように大きな道具箱。

「人生は短い。堂々巡りをしている間に、あっという間に歳をとる。師匠のいうことは、素直に聞くもんだ」

 豹介ちらりとを見た錦之丞は、小さく肩をすくめて雷美にささやく。

「なんか、説得力ありますね、あの人がいうと」

「ダメな大人の見本だからかな?」

 ぼそぼそ喋っているところに、入り口の扉が開いて、吹雪桜人が段ボール箱を抱えて入ってくる。


「おう、吹雪!」

 さっそく反応する一刀斎を雷美がたしなめる。

「ちょっと、豹介さん、いいから早くそのミカヅチ、研いじゃってくださいよ。化粧研ぎじゃないから、すぐ終わるっていったの、豹介さんでしょ」

 言われててシュンとなって、仕事にもどる豹介。だが、実際に彼の仕事はどちらかというと、早い。すでに一本目の呪禁刀・鬼姫一文字は綺麗に研がれて雷美に渡されている。


 仕事に集中する豹介を残して、雷美と錦之丞は桜人を迎えに行った。

「荷物届いたよ、雷美ちゃん」

 吹雪は入り口近くの床に段ボール箱を降ろした。

「袴なんだけど、言われた丈だと子供用になるけど、いいの? あとサラシね」

「ありがとうございます」

「サラシ?」錦之丞がびっくりする。「なにするんですか? サラシなんて」

「お腹と胸に巻くのよ。うっさいわね、女性の下着にあれこれ言うんじゃないの」


 雷美は校内では、もうずっと剣道着で過ごすことに決めていた。理由は動きやすさと帯刀、そしてもし斬り合いになった場合、剣道着ならば多少は身体を守ってくれるという判断からだった。

 まず分厚い刺し子は、斬りづらい。藍染めは殺菌作用がある。剣道用の袴は生地が厚く、動きやすさに比して頑丈で、だらりと垂れた布は斬りづらく、日本刀の刃をかなりの確率で弾いてくれるはず。


 それに、鬼姫一文字の研ぎが終わっているので、雷美は二十四時間それを所持し続ける生活になる。

 普段から帯刀だ。セーラー服だと、重い刀を手に持っている必要があるが、男性用の角帯を締めておけば、その帯に差しておくだけでいい。もうずっと、剣道着を着て、刀を差して活動するつもりだった。

 ただ、女子の帯刀には、ひとつ大きな障害がある。これは知らない人が多いと思うが、帯が決まらないのだ。


 角帯というものは、かなり低い位置で締める。腰骨の下である。正確には帯の上端は腰骨にかかるのだが、中央線は腰骨の下。そこまで下げないと、刀の鞘が腰骨にあたって痛いし、差した位置も動いてしまう。

 が、女性の身体は男性とちがい、ウエストがくびれているので、この角帯があがってしまうのだ。そこでサラシを巻いて腹を太くし、帯を低い位置に固定する。また、きつく巻いたサラシは腹を刺された場合、内臓の飛び出しを防いでくれる。


 さらに、袴は、「剣道」では帯を締めないため、腰骨の上下に紐をかけるが、本来男子の和服は帯が中心であり、刀を差すのも帯なら、袴をつけるのも帯なのである。

 小笠原流の袴の着装では、袴の上端は角帯に合わせると教える。つまり、臍の下に来る。理由は明確。、である。

 となると、剣道などよりもかなり低い位置に袴を着装するため、畢竟丈の短いものが必要になり、背の低い雷美の袴は子供用となってしまった。


 また、いつもはバスケット・シューズを履いていたのだが、戦時ということで、こちらも通販で調達してもらった編み上げブーツに変えた。袴にブーツだと、なんだか和洋折衷で坂本龍馬っぽい。

「あ、あとこれもお願い」

 桜人が謎のプリントを出してきた。

「あ、暗号か」錦之丞が受け取りながら紙面に目を走らせる。「雷美先生、意味わかります?」

「あん?」雷美は興味なさそうに、鼻を鳴らす。というより興味がまったくない。「ああ、あの壁に彫られてた文章か」

 一応プリントを受け取り、一瞥。


『怒りは加速し、重力は偉大なり。時は語り、光は変化する』


 そう印刷されている。

 こんな暗号だったっけ。雷美はそういえばあのとき、自分は銅板の文章を読んでいなかったことに気づく。

 雷美はもう一度、その文面に視線を走らせた。

 意味不明だな、と思った。


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