2 篠の願い
「『テスラ・ハート』が見つかったんですって?」
雷美は園長室に駆け込んだ。
見晴らしいのいい窓から、朝の光が降り注ぐ室内に、難しい顔をしたメンバーたちが肩を寄せ合って立っている。篠と三越、一刀斎豹介や鐘捲暗夜斎、吹雪桜人と萬屋錦之丞の顔も見えた。雷美が駆け込むと、みんなが一斉に振り返る。
「おう、もう復活かい?」
豹介が軽い口調で声を掛けてくるが、その表情はかすかに強張っている。
「はい、ただの疲労ですから」
慌てて着替えて走って来たから、新品の制服のリボンがうまくつけられていない。胸元をごそごそやりながら、みんなが見ている壁を覗き込もうと首を伸ばしていると、篠がきて雷美の制服を直してくれた。
「雷美さん、まずはお疲れさまでした」篠は雷美のリボンを付けなおしながら言う。「呪禁刀も、ミカヅチを取り戻していただいて、さらに未発見だった鬼姫一文字まで。これがあれば、纐血城高校と戦えますでしょうかね?」
「ないよりマシだと思いますけど」
軽い調子で言ってみる。なんだろう? 雷美は篠に違和感を感じた。『テスラ・ハート』が見つかったのなら、もう少し喜んでもいいのではないか? あの日、大浴場で彼女が嗚咽混じりに語った「『テスラハート』なんてないと思います」という話が間違いだったのだから。
篠がふっと目を上げた。雷美とすごく近い距離で目を合わせてくる。篠の目が強い力で雷美の目を射貫いてきて、そしてそこには、打ち負かすような強さと、縋るような弱さが混在してした。雷美にはその意味が分からない。篠が目で語ろうとしていることが、理解できなかった。少なくとも今までに、雷美はだれかにこんな目で見つめられたことはなかったのだ。
「?」
「それはそうと」豹介が空気を読まずに声を掛けてくる。「呪禁刀を敵から取り返すときに、剣魔を一人斬ったってのは、本当なのかい?」
「え? ええ」雷美は篠から視線を外し、豹介をみる。「一人斬りました。塚原卜伝だと言ってましたが」
豹介が、ぴゅーっと間抜けな調子で口笛を吹く。
「そりゃすごいな。塚原卜伝といえば、あの『戦わずして勝つ方法だ』とかいって、船から相手を降ろしちゃった人だろ?」
「いや、それ、ブルース・リーの映画の話ですよね?」
吹雪桜人が楽しそうに口をはさむ。
「ばっかだねえ」豹介が子供みたいに言い返す。「あれは、ブルース・リーが塚原卜伝の話を脚本に取り入れたんだぞ」
豹介が言っている塚原卜伝の話は、こうだ。
卜伝が川船に乗っていると、乗り合わせた武芸者が話しかけて来た。
「貴公、いかなる武術を使う?」
卜伝は答えて曰く。
「無手勝流である」
すなわち戦わずして勝つ技だというのだ。
「そんなものがあるなら、いまここで見せてみろ」
「よかろう。だが船中では迷惑。よし、あの中州で見せようではないか。おい、船頭。あの中州に船をつけてくれ」
船が中州に近づくと、かの武芸者は縁から飛び降りてまっさきに中州に立つ。
そこで卜伝、
「いまだ、船頭、船を出せ」
武芸者を中州に置き去りにして、卜伝は叫んだ。
「見よ。これが戦わずして勝つということだ!」
有名なエピソードである。
その卜伝を自分は斬ったのだろうか?
雷美はなにか、あれが夢の中の話であるような気がしてきた。
塚原卜伝は、たしかに二百数十人の敵を斬ったらしいが、それ以外の戦場働きでもほとんど怪我をしなかったという。それだけ慎重であり思慮深かったのだ。だが、卜部閻魔はどうであったか? 安直に多勢で攻め寄せ、
「雷美ちゃん」暗夜斎が真摯な視線を送って来た。「敵の剣魔を斬った時、どんな状況だったね?」
「敵に囲まれてて、ずっと切り抜けてきていたから、必死で……」雷美は首を傾げた。「剣魔は、卜部閻魔って男なんですけど、そのときは一対一でした。でも、こちらも限界で、なんかぼうっとしてしまって、気づいたらなんとなく勝ってました」
「まだ剣魔は六人残っているが、全員斬れると思うかい?」
「さあ」雷美は首を傾げる。「むずかしいと思います。纐血城高校の道場で彼らの稽古を観ましたが、とてもとても人間業とは思えませんでしたし」
暗夜斎はだまってうなずく。
「……でも」雷美はあの夜を反芻するように口を開く。「襲ってくるというのなら、戦います。あのときの斬り合いは、怖かったんですけど、すごく楽しくもありました。時間と空間が自分と一体化する感覚というか、未来が見えるというか、なんかこう、説明は難しいんですけど、ものすごくハイになった状態でしたから」
「ふうむ」暗夜斎は顎にてをあてる。「やはり、それが伝え聞く一刀流の極意『夢想剣』というやつなのかな?」
「さあ」
雷美は興味なさそうに首をかしげる。正直どうでもよかった。
「……夢想剣って、なんですか?」
篠がきょとんと訊く。
「夢想剣とは、一刀流の極意で、そこまで悟達した人間は一刀流の歴史にも何人もいないという……」暗夜斎がぼうっとした調子で雷美を見下ろす。「まさか、雷美ちゃんがそこまでゆくとは……」
「いえいえ、そんなんじゃないですってば」
両手を開いて突き出し、いえいえしつつ、雷美は自分の頬が熱くなるのを感じる。
「よぉし、じゃあ」豹介がぽんと手を打った。「雷美ちゃんの極意開眼を祝して、今夜はお赤飯炊こう」
錦之丞がけらけら笑って「なんか初潮みたいっすね」と軽口を叩いたので、雷美は思いっきりぐーで、彼の背中をど突いた。錦之丞はそのあと、豹介にも頭を
「あの……、雷美さん」篠が言いにくそうに口を開く。「もし、剣魔たちがこの学園に攻めてきたとして、雷美さんは呪禁刀をとってわたくしたちのために戦っていただけますか?」
「ええ、もちろん」雷美はうなずき、なにをいまさら、と不思議に思う。「あいつらは、人間ではありませんでした。人の振りをしているだけの、得体の知れない化け物なんです。襲ってこずとも、場合によってはこちらから斬りに行くくらいの気持ちでいます」
「すみません、そう言って頂けると、わたくしも気が楽になります」
篠は腰を折り、深々と頭を下げた。
そして、奥の壁に雷美をつれてゆく。
「これをご覧ください。この奥に、どうやら『テスラ・ハート』が隠されているようなのです」
雷美は篠に示された壁の一角に目を走らせた。
壁一面の本棚が、そこだけぽっかりと隠し扉になっており、手前に開いている。中は磨かれた木材の化粧板で綺麗に板張りされ、人ひとり立てるスペースの奥に頑丈なスチール扉。そのわきに銅板があり、なにやら文章が彫られている。そしてその下に、スチールのキーボード。アルファベット二十六文字のボタンがあり、いまは消えている電子表示計が取り付けられていた。表示計には、パイロット・ランプが三つついているが、今は消えている。
「今朝、偶然見つけました」篠が雷美の背中にささやく。「この銅板の文章が一種の謎かけになっていて、導かれた正解のアルファベット三文字を入力すると、扉が開く仕組みです」
へえ、と思い、銅板の文章を読もうとした雷美は、はっとあることに気づいた。
「今朝、偶然?」
思わず篠を振り返る。
「はい。今朝、偶然」
篠は澄まして肯定する。
が、雷美はその瞬間、直感した。これは……、この『テスラ・ハート』へとつづく扉は、不屍者を聖林学園に誘い込むための『餌』であると。敵を誘い込み、殲滅する、蝉足篠の戦略なのである、と。
篠は強い眼差しで雷美のことを見つめる。
これは、信頼の視線なのだ。不屍者をこの学園に誘い込むから、そいつらをすべて呪禁刀で斬ってくれと、篠の瞳は語っていたのだ。
なんて無茶な話だろうと思う。剣豪の技を降臨させた剣魔が残り六人。さらには死霊術師である芹澤天狼星。以上七人を、雷美に斬ってくれと、篠は依頼しているのだ。そのためのお膳立てはする、と。
雷美は目を見開いて、上背のある篠を見上げる。
園長としての篠の目が語っている。
お願いします。あなたになら出来るはずです、と。
雷美は驚き、一瞬自分を疑った。しかし、自分にもし出来ないというのなら、いったい他のだれにできるというのだろう? ……いない。これが出来るのは、自分しかいないのだ。
雷美は力をこめて篠の瞳を見つめ返した。これほどまでに自分のことを信頼してくれる篠の期待に応えたい。この人の信頼にこたえて、あたしはあたしの命を懸けよう。サムライは、おのれを知る者のために命を懸けるものだから。
雷美は微かに目顔でうなずく。
篠は、ふんわりと口元だけで微笑んだ。
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