6 66~100


 もう腹をくくるしかなかった。もしかしたらここで力尽きてお終いかもしれない。だが、後悔はない。ここまで来たのだから。あとは行けるところまで行くのみ。

 雷美は全身の力を抜いた。

 なんだか気持ちも楽になる。いままで斬られまい斬られまいと張り詰めていた糸が、ふっと緩み、自分を縛りけていた紐がはらはらと解けたようだった。

 ひゅん!と刃鳴りの音がして、雷美は真後ろへ地生を放ち、斬って来た敵の拳を切り裂く。横から突き出された突きを受け流して、最短距離で切り返して首を斬り、逆側からの斬撃を摺り上げる。が、ここでは斬りにいかない。

 いま二人斬った。三人目は無理して斬らなかった。別にがんばって斬る必要はない。斬れる奴だけ、斬れるときに斬ればいい。



 正面の奴。突然上段から斬りかけてくる。軽く切り落として詰める。背後の奴がチャンスと見て斬りかかるが、雷美は前へすり抜けてかわし、相手は同士討ち。斬り合い突き合いして動きの止まった相手の首を二つ、まとめて斬り飛ばす。

「一気に斬り掛かれ!」

 だれかが命じて、周囲の奴らが一斉に輪を縮めようとするところを、雷美は水平に薙いでその場で一回転。その空打ちに恐れをなして、縮みかけた輪がぱっと散じて広がる。

 雷美は中段に構えて前に進む。境内の奥を直接目指さず、手水舎ちょうずやへ一直線に歩む。人垣が割れ、雷美は陰の構えにとる。

「斬れ! 斬れ!」

 また誰かが叫び、一人斬り掛かってくるが、かちりと切り落として突き。力もなにもいらない。ただ一足踏み込めば足りる。


 雷美は手水舎の柄杓を左手でつかみ、水をすくうと口元によせてごくりごくり。目だけは周囲をうかがうが、その姿勢を隙とみた一人が斬りかかり、雷美は片手斬りに手首を跳ね上げる。動脈から吹き出す血潮が手水に入ってはかなわないと、さらに一刀、相手の腿に浴びせて片足を落としてその場にひっくり返した。


 ごくごくと三杯飲んで、四杯目は刀身にかけて血糊を流す。陰の構えのまま再び歩き出す。

 雷美を囲む輪も一緒に動き、境内の奥へ移動。

 雷美は無人の野を征くがごとく歩むが、両肩のあたりに神経を集中して、ピンとなにかのセンサーを働かせる。背後から一人、斬りかかって来た。くるりとターンしつつ位置をずらし、一刀。相手の両腕が斬り飛んだ。が、もしかしたら、すこし鬼姫一文字の切れ味が落ちているかもしれない。


 ふと目線をずらすと、境内のすみに子供用の遊具が見える。質素なブランコと小さな滑り台。その手前の砂場。砂場で昼間子供が遊んでいたのだろうか。大きな砂山がある。雷美は躊躇なく砂山に近づき、鬼姫一文字の濡れた刀身をざっくざっくと突き込む。

 砂山で寝刃をとる。こうすると切れ味が戻ると知識では知っていたが、まさか自分がやることになるとは思わなかった。

 スカートの裾で刃をぐっと拭って砂も血糊もおとす。



 一瞬周囲に躊躇する空気が流れたが、息を吹き返したように三人が斬りかかって来た。三方向から同時。だが、なんだろう? 不思議な感じだ。雷美にはその三人の動きがよく見えた。足の位置、手の場所、刀の軌跡。いま現在の位置どころか、これからどこまでそれが来るのか、その正確な空間位置と時間軸が見えたのだ。無造作に斬った。脇構えから一本につながる刃筋で、びゅーんと一回転。三人の手や肩や頭が飛んでゆく。


 雷美はポケットに気配を感じる。予測が的中して、スマホが振動した。片手で太刀を保持し、左手でスマホを取り出す。周囲に目を配りながら耳に当てた。

「もしもし? お母さん? ごめん、いまちょっと取り込んでいるから、またあとで」

 片手正眼で、ゆっくりと回る。周囲を睥睨し、敵陣を下がらせる。見える。全部が見える。そして、奴らがなにをしようとも、気配ですべて感じ取れる。

「……え? 漂白剤? なかったから、容器は捨てたけど。……うん、ごめん、買わないとないわ。うん、……またあとで、ね」

 通話切って、スマホをポケットにもどす。




 真正面から一人。脇構えにとって滑るように間を詰めてくる。怪異な歩法だった。一気に薙ぐように膝へ。が、見える。来るのがさっきから分かっていた。雷美は何事もなく足を引いて一太刀、頭を梨割りにした。

「飛び込めぇー!」

 そのタイミングで号令がかかり、前から三人、後ろから四人が突撃してくる。合わせてえーと七人か?などと計算している雷美は、ひゅん!と脚を踏みかえて、逆袈裟に斬り上げ、入れ違って斬り下ろし、その場で腰だめの一回転。たちまた五人まとめて腰斬りにされ、どたどたと五つの上半身が地に落ちる。



 再び、雷美を囲む輪が広がる。彼女が進むと人垣が崩れる。雷美は、そのまま神社の裏から、外の大通りまでつづく獣道へ踏み込む。鬱蒼とした樹木に囲われた、トンネルのような隘路。人ひとり通る幅しかない。雷美が進むと、行く手を阻む敵が刀を向けながらも小走りに後退する。雷美は下段でずんずんと進み、背後からそっと忍び寄って音もなく斬りかけてきた敵を、振り返りざまに一刀両断。斬ってくる刀を切り落としざま、頭頂から股間まで真っ二つにした。真後ろの敵も、よく見える。なにかの感覚が開いてきたのが感じられる。

 振り返り、進む。

 前後の敵は一定の距離を保って、雷美にはもう近づいてこない。

 そのまま大通りへ出る。


 アスファルトで舗装された二車線道路。歩道があり、バスも走る。が、すでに深夜に近い時間帯。街灯の光が青白く垂れこめるのみで、せわしなく飛び交う蛾の他に動く物もない。

 大通りには、やはり大勢の敵。だが、その敵陣の向こうには、聖林学園の裏門の鉄格子が見えている。やっと帰って来た。あそこまで行けば……。

 横から飛び込んできた刃を切り落とし、そのまま敵の頭を割る。不意打ちだが、驚きはしなかった。相手の斬ってくる心の動きが、自分の心に映るのだ。背後からだろうが死角からだろうが、そうそう斬られるものではない。


 真正面から一人、剣先を上下させながら、迫る奴がいる。新陰流かな、そんなことを考えていると、さっと魔太刀で空打ちをし、それに畳みかけるように斬りつけてきた。が、どんなフェイントも今の雷美には通用しない。見えるのだ。この感覚はなんだろう? 寝ていても手が勝手に痒いところを掻いているようだ。すっと刃を突き込み、切り裂いて抜ける。



 ぱちぱちぱち、と拍手が聞こえた。

 振り返ると、歩道のガードレールに一人、腰かけた長ランの生徒。他の奴らとは、制服が違う。

 雷美ははっと目を見開いた。こいつとは纐血城高校の道場で会っている。たしか名前は……。

卜部うらべ閻魔えんまっていったっけ?」

 雷美はたずねる。この男は剣魔。その身に降臨させた剣技は、鹿島新当流、塚原卜伝の技。

「ああ、そのとおり」

 暗い男だ。声も表情も暗い。

「市川雷美、よくぞここまで切り抜けてきたな。だが、ここからはそうもいかんぞ。いや、安心しろ。剣魔であるおれがお前を斬るわけではない。なぁに、おれがこの烏合の衆である雑兵どもを指揮するというだけのことさ」

 薄暗く笑う閻魔は、指を唇にあてると、ぴいっと鋭く指笛を吹いた。


 大通りに立っていた軍勢が、ぱっと規律正しく動き出す。綺麗な陣形をととのえ、四角い方陣を組むと、ざっと足音をそろえて雷美を四方から囲んできた。

「市川雷美よ。訓練された軍陣というのは、こういうもののことを言う。おまえの剣技はなかなかのものだが、この一糸乱れぬ完全同期された多人数の攻撃から、逃れられる者は、居なぁい」

 くつくつと喉の奥で笑った閻魔は、手を挙げると、さっと振り下ろして攻撃の合図とした。

 四方八方から、一斉に敵勢が、ほぼ同時に雷美に斬りかかり、幾本もの刃が彼女の頭上に振り下ろされた。

 ぱっと血煙があがり、重囲した輪の中から雷美が魔法のように抜け出てくる。そしてその場で腰だめに一刀で一回転。彼女の周囲三百六十度で、何人もの学生服がばらばらと斬り倒された。

「なに?」

 閻魔が驚愕に目を見開くが、雷美は落ち着いたもの。

 鬼姫一文字の刃を月光にかざして関心している。

「しっかし、よく切れるな、この刀は。一度に八人か」

 にやりと笑って、閻魔を見返す。彼女の周囲は、腰から上を切り落とされた下半身ばかりが八つ、切り株のように立っており、そこだけ敵がいない空き地となっている。まるで麦畑にぽっかり空いたミステリーサークルのようだ。


「馬鹿な」ガードレールから腰をあげた閻魔は息をのむ。慌てて唇に指をあて、もう一度ぴいっという号令を発し、さっと手刀を振った。すかさず雷美の周囲に殺到する訓練された兵士たち。が、その幾本もの刃が振り下ろされたとき、その輪の中に雷美はいない。

 つるりと抜け出て、再び一回転。

 ばらりと八人、また斬られた。

「あんた、知らないだろう」雷美は苦笑した。「塚原卜伝のあとの時代に生まれた極意だからね。これは一刀流の秘術『八方分身はっぽうぶんしん』。たとえ敵が百万いようとも、いちどに斬りかけるは八人が限界。その八人に対し、八方向へわが身を振り分け、襲い来る八本の刃のうち、遅いもの速いものを見分けて切り抜ける。敵三歩動くところを我は一歩動いて、その八人を捌ければ、敵が百万人いようと、あたしは勝つ。それが一刀流。それがその極意『八方分身』さ。いくらやってもいいが、何度やってもあたしが勝つよ。でももう十分じゃないのかな?」雷美は小さく肩をすくめた。「ここまでで百人くらい斬ったみたいだし」

 卜部閻魔はちっと舌打ちした。が、すぐに暗鬱な笑いを浮かべて前に出る。

「そういうことなら、仕方ない。たかが小娘一人に大人げないとは思うが、不肖この卜部閻魔、塚原卜伝がその剣技、披露せねばならないようだ。纐血城高校の軍勢が、百人斬られて、はいそうですかと撤退もできん」


 するりと腰の刀、呪禁刀を抜き放った。

 長い刀だ。たしか銘は『ミカヅチ』といったはず。刃渡りで二尺八寸、八十五センチちかくある長刀だ。

 雷美は小さく嘆息する。

「やっぱ、そうなるよね」

 血に濡れた鬼姫一文字を、スカートの裾でぐっと拭い、血糊を落として正眼に構える。

 閻魔は手で合図して、配下の軍勢を下がらせた。

「卜伝はな、生涯に敵をたおすこと二百と十二人。その際、一度も手傷を負わず。十七やそこらの小娘が、太刀打ちできる相手ではないぞ」

 すうっと上段霞に構える。強烈な圧力がかかった。

 雷美は半身の正眼にとって切っ先を相手の目につける。その切っ先が、ふるふると震えるのを感じた。

 ──さすがにちょっと、これは相手が悪いかな?




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