5 46~65


 狭い小路。前後を敵に挟まれている。が、雷美は先に進みたい。

 ならば躊躇してはいられない。

 彼女は踵を返すと、山門へ向かって走り出した。一瞬遅れて追手が追跡し、前方の新手は抜刀して突出してくる。

 前後から挟撃され、立ち止まった雷美は隠剣にとる。

 やはり切り抜けるしかない。


 じりっ、じりっと山門に近づき、間合いを測る。室内にいたときは広い場所で戦いたいと願い、広い場所に出たときはここは不利だと狭い場所を願う。

 いま雷美は、細い小路で前後を挟まれ、もっと違う場所で戦いたいと願っている。人の欲望には限りがない。楽な方へ楽な方へと行きたがる。今ももう、雷美は重い刀に辟易し、走って腿は強張り、息もあがり、柄を握る指は痛くてしかたない。このまま楽になってしまいたいと願う自分と、なんとしても生き残ろうとするもう一人の自分がせめぎ合っていた。

 山門側の敵が斬り込んできた。


 つらくてもう動きたくないのに、身体は勝手に反応する。ひゅんと太刀が巡って、下から斬り上げ、相手の拳を断つ。地生ちしょうの一手。

 敵が悲鳴をあげ、たたらを踏んで後ろに倒れる。


 それにしても、よく斬れる。斬れば斬るほど、斬れ味が増す。斬ること自体が快感になってしまう。鬼姫一文字とは、そんな刀だった。ぞっとするほどの、人を斬るための芸術品である。斬っても斬っても、刃が鈍らない。それどころか、血を吸って生き生きと刃が冴えわたる感じだ。


 背後の敵が斬りこんでくる。雷美は思わず摺り上げる。刃が冴え、相手の刃を摺り、そこから跳ね上げる。

 返す刀で一刀両断。斬り捨てて、山門へ一歩近づく。雷美が振り返って一足進むと、その分、山門の敵勢が一歩さがる。


 背後を振り返ると、刀を正眼に構えた敵が三人、横一列で詰めてきている。が、彼らの歩みは遅い。すぐにこないと見て取った雷美は山門へ向けて大きく一歩。躰を切り、肩を入れ替えての脇構えからの一刀。を盗み、敵の正眼の切っ先をこえて、直接腕を斬り落とす。すぐに脇をすり抜け、背後からの追撃を逃れて山門に入る。


 ここは狭くなっている。すこし戦いやすい。背後の三人が詰めてきている。が、なかなか来ない。三人いるので、仲間に依存している。その気持ちが攻め手を鈍らせている。こっちは、とりあえず無視。山門の向こう。そこに立つたった一人へ。


 雷美は隠剣にとって、するりと一歩。相手は姿勢がいい。すっと綺麗にさがって間を詰めさせない。

 剣道だな。

 雷美は一目で見抜いた。


 姿勢がいい。足が摺り足。踵もあがっている。低い中段、両手首は折れて死んでいる。

 雷美は大きく踏み込むとみせて、上段から間合いの外で空打ち。そのまま身を沈めて片膝つきながら、相手の膝を払う。

「あっ」と呻いて敵は刀を振るうが、立ち上がりながら真横へ位置をずらした雷美はすでに間の遥か外。剣道では、頭部と右手首とせいぜい喉と腹にしか有効打突部位がない。それ以外の防御は穴だらけ。とくに、折り敷いた時の敵の切っ先が余裕で膝に届くという『常識』はない。彼にとっての常識外れな間合いの外から一撃を与えた雷美はそのまま奥に進む。


 いまの剣道家、かなり強かったのかもしれない。彼がやられたことで、背後の何人かが後ずさる。雷美はすかさず、背後に視線を飛ばして牽制。すでに雷美を見慣れた敵は、彼女は真後ろへも長大な間合いで斬撃してくることを知っていて、迂闊に寄ってはこない。

「おいっ、密集するな!」

 後ろの連中が、山門の向こうの奴らへ警告している。

 ──余計なことを言いやがって。

 心中で舌打ちする雷美。


 だが、恐れることなく山門を越えて中に入る。前方の敵はまばら。ただし、余裕をもって全員が刀を構えている。一方雷美は、息が上がり始めていた。

 刀が重い。腕もだるい。足も疲れてきた。

 前方の二人は正眼に構えている。片方がもう片方へ声をかける。

「同時にいこう」

「おう」


 気合十分な会話。元気でうらやましい。

 二人は左右に分かれ、九十度の角度をとって同時に斬りかかって来た。案外こういうのはやりにくい。が、もう慣れた!

 十分斬らせてから位置をずらし、右の奴の拳を跳ね上げる。片手になって刀を支えきれず、石畳まで斬りつける太刀の上を飛び越えて、もう一人の手首を斬り落とす。そのまま二人の間を抜けて離脱。まだ絶命していないし、片手は生きている。が、飛び出した雷美の正面には待ち構えていた新たな敵。中段からのちいさい斬り。こちらも小さく切り落として、喉を突いて入れ違う。


 雷美はいまがチャンスと前に出る。距離を稼ぎたい。突いた相手の脇を抜け、その奥の敵へ。こいつも反応がいい。刀の遣い方がうまい。低く取り上げて鋭い斬撃。剣道ではなく居合か?などと感じつつ、摺り上げる雷美。しゃん!と刃が鳴って、相手の刀が跳ね上がり、そのままのけ反る。


 摺り上げは、斬ってくる相手の刀を下から払いあげる技だが、これはちゃんとやると本当に、相手は後ろへのけ反るほど吹っ飛ぶ。雷美は摺り上げは苦手で、いままで一度もうまくできたためしがないが、ここでいきなり綺麗に決まった。上段にのけ反った相手の脇を払って背後へ。

 ──これ、超使える!

 びっくりするほど力がいらない。それに、相手を上段にのけ反らせると、背後に回りやすい。


 雷美はつぎの敵の斬撃も摺り上げて腋を切り抜け、背後に抜け。さらにもう一人、摺り上げて斬り倒した。

 前方に敵のいない空間ができる。雷美は走り込み、かなりの距離を進み、だが再び取り囲まれて足をとめる。が、ずいぶん進めた。

 しかし、行く手を見上げて雷美は辟易する。


 階段だった。苔むした石段が、ざっと数えて二十段。これを登らなければならない。階段での斬り合い。さすがにそんなの、雷美でも想定外だった。

 だが諦めるわけにはいかない。ここを登る以外に、聖林学園にいたる道はないのだ。



 そして、石段の上にも人、人、人。しかし雷美は躊躇なく石段にとびつくと、段上の脛をいっきに横なぎで二つ払った。

「あっ」

 声を上げて、二人が落ちてくる。


 同じ地面に立っても、案外足は斬りやすく、知らない奴は足を守るという考えすらない。ましてや段の上に立つ奴らなんて、足斬りのいい的だ。

 敵は上に立つ方が有利とでも思っていたようで、上の奴も下の奴もすっかり油断していた。雷美は石段を駆け上がり、下からつぎつぎと脛を払って行く。しかも、慌てて逃げ上がろうにも、石段は極めて急。雷美が左から右へ駆け抜けながら払った脛は、さらに四つ。いい獲物だった。石段の上に転がる四つの死体を踏み越えて。雷美は段を上る。



 が、段を上がるということは、今度は雷美が脛を狙われる番。

 真似して彼女の脛を払いに来た相手の頭を、雷美は撫で斬りにする。斬ることばかり考えて、相手は上に登りすぎていた。頭が雷美の切っ先の制圧圏内に入っているのに気づかなかったのだ。

 雷美は敵の陣形の崩れをついて、さらに石段を駆け上がる。


 上の奴らは散じるように段を駆け上がるが、雷美の方が速い速い。理由は武術にある『浮き身』という技術。これは身体を重力の束縛から解き放ち、まるで体重がないかのように動き回れる秘術である。体の重さを消せるので、足で地面を蹴らずに移動することができる。


 武術のかたには、その場で両足の位置を入れ替えるものが多々ある。ジャンプして踏み替えれば簡単だが、それでは遅い。そういった形を成立させるのが浮き身であり、浮き身を習得させるのが、その形の目的でもある。

 やり方は簡単。腰にぐっと力を入れるだけ。ただしそれは長年武術の形稽古かたげいこをしてきた雷美の感覚であり、普通の人が腰に力をいれて浮き身がかかるかどうかは分からない。慣れてくれば、力を入れずとも意識するだけで身体は浮く。

 なんとも不思議な浮き身の技だが、所詮は武術。じっさいに人体が重力加速を受けなくなるわけではないので、段を駆け上がれば脚はやはり疲れる。武術はまるで魔法のようではあるが、所詮魔法ではないのだ。


 が、脚の筋力で段を上がる相手に、浮き身で追いつくのは容易い。あたふたと段を登る敵にすうっと喰らいついた雷美は容赦なく一人、二人、三人と、逃げる足首を切り落とす。

 倒れて転げ落ちる者、石段に伏して流血に喘ぐ者たちを追い抜かし、雷美は一気に石段を登りきった。


 そこには赤い鳥居があり、その向こうは神社の境内。そして矢張りというか、大勢の敵がそこにもひしめいている。

 一気に階段を駆け上がり、脚の筋肉が攣りそうになっているが、この場にとどまるわけにはいかない。

 雷美は鳥居をくぐって、境内に入る。できれば駆け込みたかったが、もう脚が自由にならない。手も重い。体力の限界が近い。



 ああ、あそこにある手水舎ちょうずやで一口だけでも水を飲みたいと思うが、そういう状況ではなかった。

 聖林学園は、この神社の裏の獣道を抜けて大通りへ出て、その先。まだまだ距離があるが、雷美の身体は限界。気持ちは負けてはいないが、動かない身体はどうにもならない。

 抜刀した連中がわらわらと前に出てくる。三十人いるのか四十人いるのか。そいつらが適度な距離をたもって雷美を包囲する。



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