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 とにかく、いまの数合で、敵は警戒し、雷美から距離をとっている。が、このまま膠着が続いても雷美に益はない。なんとかこの敵陣を突破して、山門につづく細い路に入り込みたい。あそこに入れば、道幅の関係で四方八方から取り囲まれることはない。が、それは敵も重々承知のことだろう。

 敵はぐるりと雷美を囲み、最前列の後ろにも何重もの敵。まさに十重二十重とえはたえ。いったい何人いるのか想像もつかない。


 雷美は鬼姫一文字を下段に下ろし、ずいと一足プレスしてみる。

 敵陣は機敏に反応して、雷美を囲んだ輪を移動させる。

 なんとかあの石畳の小路へ入りたい。が、そう簡単には行かせてくれそうもない。

 雷美はさらに一歩、前に出る。

 するりと下がる敵陣だが、怯えた感じがない。

「ほらほら、どうするの?」雷美は挑発してみた。「呪禁刀で斬られれば、二度と生き返らないんだよ。あんたら不屍者でも、『死ぬ』んだよ!」


 さらに一歩踏み出す。やはり、こいつら、呪禁刀を恐れていない。いや、正確には死を恐れていない。

 やっかいだ。そういう奴らは戦いにくい。これが人間なら、一人の恐怖が伝播して十倍二十倍にも膨れ上がり、大集団が総崩れになることもある。が、こいつらを相手にしていても、その感触はない。怖くなってみんなで先を争って逃げ出すという展開は、期待できそうもない。ならば、やはり血路をみずから切り開くしかないか。


 雷美は草を打って蛇を驚かすように、一歩大きくどん!と踏み込んでおいて、唐突に踵を返して、斜め後方の敵へ脇構えからの一刀を打ち込んだ。雷美の踏み込みに反応して何となく前に出てしまっていたそいつは、棒立ちして刀を打ち落とされる。


 下手な『打ち落とし』は、構えた敵の太刀の切っ先が横に流れるくらいなものだが、上手の『打ち落とし』は刀がふっとび、構えていた相手の膝が砕けて躰まで崩れるものだ。ちなみに雷美は、脇構えからの打ち落としは小学生のころからの得意技。


 彼女の打ち落としを喰らって腰の崩れた相手は、手にした太刀を半回転させて切っ先を地に突き刺してしまう。躰まで完全に崩れて身動きできない相手に寄り身で密着し、喉を裂いて入れ違う。身を沈め、潜る動きで相手の脇をすり抜ける払捨刀の技。


 入れ違って抜けた先、当然そこにも敵はいるが、呆気に取られて棒立ちしている。

 雷美は返す脇構えで巻き藁みたいに相手を斬って、さらにすり抜ける。


 この相手の腋の下を切り抜ける技『くぐる位』は、戸田流から伝わる古い遣い方。

 まず腋の下が防具外れであり、またここを斬りながら抜けると、相手の背後に位置取りできる。つまり、敵と我の位置を入れ違えてしまえるのだ。あっという間に敵の背後に回れば、そこは、その後ろに立つ敵の正面。これは、敵にしてみれば、雷美が突然視覚から出現するわけだから、たまったものではない。


 ずっと先にいると思っていた雷美が味方の向こうから突然に現れて斬りつけてくるのだ。あっと彼女の顔を見たときにはもう遅い。真っ二つにされて、自分が斬られたことに気づいたときには、雷美は彼の背後に抜けて行ってしまっている。


 雷美は容赦しなかった。棒立ちする相手を斬り、驚愕に身を竦める相手を斬り、終いには油断して抜刀すらせずニヤニヤしながら立っていた敵の首を斬り飛ばす。

 ぼーんと宙を舞ったその男の首は、地面に落ちてもにやにやと笑っていた。




「奥だぁ! そっちに行ったぞ!」敵のうちの誰かが叫んでいる。

 が、敵の指揮官の失策は明らかだった。味方を密集させすぎたのだ。取り囲んだ輪の中から抜け出した雷美は、密集した敵陣の中に斬り込み、つぎつぎと払い切り、入り身の抜け技で敵刃をくぐりぬけ、彼女の位置をまったく補足できていない敵陣の中を、芝刈り機のように不屍者を刈り取りながら進んでいた。


 さらに一人、二人と斬り飛ばし、三人、四人と血路を開き、五人、六人撫で切りにして入れ違い、密集した敵陣を屠ってゆく。

 背の低さをありがたいと思ったのは、今夜が初めてだ。

 雷美は、敵の左右に入れ違い、脇を切り抜けて、喉を裂き、そこからさらに一人、二人と斬ったとき、ふいに自分の目の前で人垣が崩れたことに気づいた。


 さっと視界が開け、あたりが広くなる。すぐ目の前に、石畳の小路。

 雷美は目の前を走って横切る間抜けな敵を一刀に斬り伏せ、くるりと振り返ると、ここで一度、鬼姫一文字に血ぶるいをくれた。

 びしりという音をたてて、地面に血のしずくが一筋走る。



「市川雷美ぃ!」彼女を追って来た一団の先頭に立つ男が、目を血走らせて怒声をあげる。「ここからは、絶対に生きては返さんぞ。確実に仕留めろとの天狼星さまのお達しなのだぁ! このおれが、この手で、おまえを……」

 雷美は片手に構えた鬼姫一文字の切っ先を向けた。

「口先の兵法は」そこでいったん区切り、にやりと笑って続ける。「畳の上の水練。さあ、かかってこい!」

 相手は手にした刀をこめかみの位置まであげる。示現流の蜻蛉とんぼか。

「ちぇぇぇぇぇーーーーーい!」

 雷美は正眼にとり、ひとこと。

「深夜だというのに、近所迷惑な」

 びゅんと刃鳴りをあげた薩摩の秘太刀が、雷美の正眼を打ち砕かんと振り下ろされる。そこを雷美はひょいと下段に抜いた。


 抜き技というのは、上手い人にやられると思わず声が出るほど驚かされる。そこにあったはずの太刀が消失するからだ。「うっ」とうめきつつ、普段の稽古の成果か、左の蜻蛉に太刀を振り上げてしまう示現流の男。そこを追っかけるように下からの地生が斬りあがり、男の右手首が切断された。「うぁぁぁぁーーー!」彼は絶叫し、左片手で太刀を振り下ろすが、斬り上げた雷美はその形から切り落とし。体重ののった乗り身の一刀でもって、頭頂から腹部まで斬り下ろした。


 雷美はいっしゅん、やばい!と思ってあわてて刀身を相手の身体から引き抜く。ずりりという重い感触を残してなんとか鬼姫一文字を敵の腹から抜くことが出来た。

 いままで人を斬った感触から、斬った直後でないと血肉が固まって刀が抜けなくなることを感覚的に理解していたのだ。


 雷美は、そこから大きく一歩引いて、下段残身。左右に目を走らせ、敵の陣形を確認する。半円状に包囲した敵の数はいまだに圧倒的。全部で何十人いるのか分からない。が、おそらく今の男が指揮官。彼が斬られて一時的に敵の軍勢は動きを止めている。このチャンスを逃さず……。


 雷美はばっと陰の構えにとると、身を翻して走り出した。

 とにかく一メートルでも二メートルでも距離を稼ぎたい。

 すぐに背後から敵勢が追ってくる足音が響くが、まだ距離はある。

 雷美は鬼姫一文字を陰、というより右の肩に担いで走る。この形をとるのは、まず走りやすく体に密着させるためと、万が一の転倒で怪我をしないためである。

 石畳の小路に飛び込み、まっすぐ前方の山門をめざすが、記憶にあるのとちがって随分遠い。そして所詮は女子の駆け足。すぐに背後から敵の気配が迫り、足音が耳のすぐ後ろに響く。

「たあっ」

 敵の発した声に反応して、雷美は跳躍し、空中で振り返り、そのまま斬りつけながら落下する。

 案の定、走っていた相手は、雷美の足元を狙っており、彼女はそれを飛び越えて敵の頭上から頭を梨割りにしていた。


 つんのめるようにして絶命した敵の身体と刀を踏まないように着地して、雷美は後続の敵に切っ先を向ける。

 これ以上走るのは意味がない。なぜなら、山門の向こうからも敵の軍勢が飛び出してきたからだ。

 まずい。どこまで行っても敵がいる。

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