3 1~29
畳に転がり、鬼姫一文字を片手で斬り上げる。すっと心地よく相手の人体をすり抜ける感触があって、悲鳴があがる。が、確認している余裕がない。二人目三人目が床に転がった雷美に斬り掛かってきていて、彼女は身を撓めながら畳の上を転がり、横になぎ払い、真下から切り上げ。訳も分からず応戦せねばならなかった。
飛び散る血しぶき、嗚咽と悲鳴。床を這うようにして逃れた雷美へ、四人目五人目が室内に飛び込んできて、白刃を振り下ろす。立ち上がりそこねた雷美は相手の刃を十文字に受け止めてしまい、がっと刃と刃が噛み合い、そのまま力任せに押し込まれ、ふたたび尻餅をつく。すんでのところで受け流して寝転がり、相手の下腹を払う。ぱっと内臓が零れ落ち、一瞬それに目が行き、つぎの敵が横から斬りつけるのに気づかなかった。あっと思って身を伏せる。運がよかった。斬りつけてきた相手はの刃は、床に切りつけ、畳を裂いて止まり、雷美の身体に深く切り込めなかった。セーラー服の袖が裂かれてちくりとした痛みが走り、白い生地に血がにじむ。雷美は下から切っ先を突き込むと、彼の身体を盾に立ち上がる。
盾にした男の身体から力が抜けてゆく。赤黒い血が流れ落ち、彼の命が失われようとしているのが分かる。間違いない。この鬼姫一文字はまちがいなく呪禁刀だ。不屍者を滅する破邪の刃だ。
さらに二人が入り口から中に駆け込んでくる。雷美は素早い摺り足で間をつめ、一人目をスルーして、室内に飛び込んだ直後の二人目に一刀浴びせ、慌てて振り返るもう一人に逆袈裟の斬り上げを与える。
斬れる……。ぞっとするほど斬れる。買ってきたばかりの包丁のようだ。斬ること自体に爽快感があった。
雷美は切り上げた動きのままさらに振り返り、つぎに入り口から飛び込んできているであろう足音に一太刀浴びせ、顔を割られて悲鳴を上げたそいつとその奥にいるもう一人に、腋下から片手突きを与える。
相手は不屍者。全員帯刀している。こちらは一人。だがひとつ、有利なのは、呪禁刀ならば不屍者をすこしでも傷つければ相手を斃せること。大きく斬る必要はない。ほんの少し、かすり傷でもいいのだ。雷美は砂に還ろうする二人の死体を飛び越えて、奥で躊躇している男に上段からの一刀を浴びせた。
「呪禁刀だ!」雷美は自ら叫ぶ。「呪禁刀を持ってるぞ」
部屋の外、裏口のドアを開いて中に入ろうとしている二人の足が止まる。抜刀していない。雷美は躊躇なく腰だめに薙ぎ、上がり框の二人の胸を裂いた。身動きとれない狭い場所で、あいては反応できずに切り崩れる。
扉の外には人がいる。雷美はドアを閉めてカギをかけることを一瞬考えたが、いま斬った二人の死体が邪魔でドアが閉まり切らない。施錠はあきらめ、廊下を奥へ走る。
階段をあがって、二階へ。とんとんと小気味よく段を駆け上がる雷美の頭上から人の顔がのぞく。さっと上から白刃が走ってくるが、雷美は身を沈め、すかさず手すりの間から刃を突き込んで相手の脛を裂く。「ぎゃっ」という悲鳴を耳に、一気に残りの段を駆け上がり、二階の廊下に飛び込んだ。
上にも人がいる!
秘密の近道がバレているのか!
驚愕するが、おちおち驚いてもいられない。
一列に並んだ数人のうち、先頭の奴が上段から斬りこんでくる。雷美は半ば反射的にその太刀を切り落とし、そのまま突き。つぎの奴、間合いが深い。雷美はぱっと折り敷いて片膝つくと、そこから真上に切り上げて相手の両拳ごと腹を裂いた。
一刀流の拳を狙った真下からの切り上げは、『
さらに踏み込み、三人目の、斬ってくる刃もろとも切り落とす太刀でそのまま頭を割る。鬼姫一文字の研ぎ澄まされた切っ先が、相手の顔面を上から下まで真っ二つに裂いた。
背後でどどどと階段を登る床音。背後からも敵。前後を挟まれた雷美はすかさず
隠剣は一刀流の構えで、脇構えの変形だ。脇構えよりも深く身を開いた一重身。切っ先は真後ろを向く。前の敵には隠剣、後ろの敵には下段となる構えだ。が、それでも二方向から同時に攻められるのは厳しい。隠剣の切っ先で後方の敵を牽制しつつ、雷美は分かりやすく視線を前の敵から外す。弾かれたように切り込んでくる前方の敵。あからさまな誘いに乗り過ぎた相手を、上から入り身の切り落としで太刀ごと両断しながら、タイミングを合わせて斬りかけてくる背後の敵へはそのまま縦に一回転して下からの地生。真下からの切り上げが相手の指をばらばらと天井へ飛ばす。
上段へ鬼姫一文字があがった瞬間を狙って、背後から突きが飛んでくる。ぱっと足を踏みかえて躰を切り、梨割りに斬ってそのまま相手と入れ違う。さらに背後から斬りかけられるが、雷美は無視して廊下の奥へ走り込む。
雷美は廊下を三歩ダッシュして、いきなり背後に斬りつけた。
追ってきていた奴が、止まれずに一刀浴びて後ろにのけ反って倒れる。付いてきていた奴が、たたらを踏む機を逃さず、一足ふみこんで下段からの逆袈裟。そのさらに後ろの奴は、冷静にさがって正眼に構える。雷美も正眼に合わせ、その体勢でじりじり下がる。
外へ続く扉。あそこから屋外へ飛び出したい。だが、あのドアを開けた瞬間が一番危ない。ドアの外には待ち伏せが左右にいるにちがいない。どう出るか?
思案を巡らせつつ、正眼の切っ先を相手に向けたままじりじりと後退して、出口のドアに迫る。あまり近づきすぎるのも危険。
やはり目の前の奴を斬って後続の足をとめ、思い切って外に飛び出すしかない。こちらは一人。躊躇している時間は、敵を有利にする。
雷美は一足踏み込むと下段へ転じ、相手の正眼を崩すとそのまま霞太刀に斬りつけた。訳も分からず片手首を落とされた敵が茫然としているうちに、ぱっと背を向けてドアに取り付き、勢いよく開けると、一瞬身を引いた。ドアの外、左右から二刀が同時に切り付けるが、拍子を外して飛び出した雷美は無事に外へ逃れ、そのまま敵中に飛び込む。
ドアのそとは、砂利敷きのちょっとした広場。車二、三台が止められるスペースがある。
が、この開けたスペースには、日本刀を構えた黒い学生服の生徒たちで溢れていた。
真ん中に飛び出してしまった雷美を取り囲むように、抜き合わせた刃を向けて、じりじりと間を詰めてくる。
まずいな。下段に構えた雷美は、四方を牽制するように、ぐるりと一回転。その動きに反応して、黒い制服たちは一瞬白刃を下げるが、すぐに輪を縮めだす。
狭い室内は不利だと思って外に飛び出したが、とんだ計算違いだ。完全に取り囲まれてしまっている。
纐血城高校は、あり得ないくらいの人数を雷美の追撃に投入しているらしい。これはもう、この人数相手に切り抜けて生き残ることは、ちょっと難しい。ここらが潮時だろう……。
──がんばれ、がんばれ。
ふいにそんな声が耳に甦る。
雷美はふっと懐かしさに目を細めた。
あれは何年前だろう? 彼女がまだ小学生の低学年だったころではないか?
うちの道場では稽古の最初にまず素振りをやる。一刀流の太い木刀を使って行う素振りは、最低でも二千本。だいたい二時間を超える。あのころの雷美はまだ子供用の細くて短い木刀を使っていたのだが、それでも二時間オーバーの素振りはきつかった。途中で手が動かなくなって、やめてしまうこともしばしばだった。
そんなとき、師匠の鷹沢善鬼は木刀を素振りしながら汗一つかかず、息も乱さず雷美の方を見て、「そら、がんばれ、がんばれ」と声を掛けるのだ。
あのとき、木刀を放り出して、家まで泣いて帰ってしまってもよかった。だが雷美はそうはせず、ふたたび木刀を振り上げて、無理やり素振りをつづけた。あのとき諦めなかったから、いまの自分があるのだ。
「やあぁっ!」
背後にいた奴に斬りつけられ、雷美は反射的に下段から太刀を跳ね上げながら入れ違う。それを合図に、周囲にいた奴らがいっせいに斬り掛かってきた。まるで獲物に群がるサメの群れだ。
いっせいに斬り掛かられた雷美は、訳も分からず手近の刃を受け流し、弾き飛ばし、頭上に迫る白刃を、身を沈めて相手と入れ違いながら腋の下をくぐって、くぐるついでに切り裂いた。たたたたたん!と踊るような足遣いで切り抜け、振り返ると、三人を切り伏せていた。
え?と思う間もなく、押し寄せる波のごとく、第二波がわっと殺到してくる。
なにをどうするかなんて、とても決められない。が、身体は勝手に動いて、相手の太刀を跳ね飛ばし、すり抜け、入れ違い、びゅんと横に薙ぐと、一人の敵が下半身だけこのして、腰から上がなくなっていた。
見ればまた三人、血だまりの中に新たに倒れている。
何が何やら自分でも分からないが、とにかく言えることは一つ。
──ほ、
一刀流の流祖伊藤一刀斎景久は、京都において、愛妾に大量の酒を賜り、不覚にも寝入ってしまい、その愛刀『
危機を察知して目覚めた一刀斎は刀を探すが無い。死に物狂いで蚊帳のそとに逃げ出し、そばにあった酒器を投げつけて応戦し、斬りかけてきた敵の刀を太刀取りに奪って斬り合い、九死に一生を得たという。そして、その折につかった乱戦の中を生き残った太刀使いを、後世に一刀流の『
そしていま、めちゃくちゃな乱戦のなか、雷美の命を救ったのが、その払捨刀である……と思う。
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