2 鬼姫一文字


 雷美は目を走らせた。

 壁の隅に、木で作った粗末な箱がある。ベニヤを張り合わせた縦長の箱で、そこに木刀やら竹刀やらが雑多に突っ込まれていた。ぼろぼろの居合刀の柄も見えた。

 おそらく蝉足教授は、自分で呪禁刀を使うことも想定して、多少の稽古をしていたようだ。箱の足元には、埃をかぶった剣道の籠手と、指が分かれたナギナタ用の籠手が放り出されている。


 蝉足教授の心理になってみよう。

 呪禁刀は金庫の中だ。ふいに不屍者が襲ってきたら、対応できない。ならば、あの稽古用の道具のなかに一本隠しておく……というのはどうだろうか?

 雷美は早足に近づいて、木箱にささっている居合刀を抜き出し、鞘を払ってみる。

 中からは、打ち合わせてぼろぼろになった合金製の刀身がでてきた。

 いや、そもそも居合刀のなかに真剣の刀身を入れるのは難しい。居合刀自体が、分解できないから。居合刀の柄と刀身は接着されてしまっているものなのだ。


 あとは、竹刀と、ささくれた木刀。

 剣道形用の木刀、太い素振り用の木刀、太くて短い直刀の木剣は警視庁流の木刀か? それと袋竹刀。ただし布で包まれているので、おそらくは戦後一時期だけ行われた、剣道とはべつの『しない競技』用のものだろう。これはレアだ。実物は初めてみた。


 そうした雑多でオンボロなお宝の中から、雷美は一本の木刀を取り上げる。

 太くて、反りがある。素振り用か、もしくは直真影流や天然理心流などで使われる極めて太いタイプの木刀にも似ているが、これはちがう。だいたい、木刀に目釘なんかつけないのだ。こいつは一見木刀に偽装した白鞘しらさや、すなわち刀剣保存用の拵えだ。

 木を隠すには森の中、白鞘を隠すには木刀の中か。

 雷美の取り上げた木刀みたいなそれは、木刀とは全然ちがう重さをしていた。


 雷美は緊張しつつも、鯉口の上下を両手でつかんで、ぐっと握りこむ。すっと力が吸われる感触があって、鯉口が切れる。鞘からさらりと抜き放ち、刀身を月光にかざす。

 鎬造りの刀身。のたれの波紋が優美に流れるすらりと伸びた姿は、雪原にたたずむ鶴のように美しい。月光をうけて霜降りが映え、重みのあるはずの刀剣が絶妙の反りでもって、その重さを雷美の手の中に沁み込ませてくる。


 雷美の肘のあたりに、ぞわっと鳥肌がたつ。

 ──これ、名刀だ。

 そのとき、庭の一角にいくつかの黒い影がうごめいた。

 纐血城高校!

 さっと緊張が走る。

 闇に眼をこらすと、二人、三人と、つぎつぎと黒い制服姿が腰を落とした体勢で庭の中に入り込んできている。彼らが腰に差した刀の、黒塗りの鞘が月光を白く反射させている。


 まずい。いま突入されたら、この白鞘の刀では戦えない。そしてもうひとつ、これが本当に呪禁刀であるかも分からない。

 とにかく、いますぐの敵の突入を阻止しなければならなかった。

 雷美は壁に駆け寄ると、電気が止められていないことを願いつつ、室内の明かりのスイッチを入れた。

 ぱっと天井で白色光が爆ぜ、一瞬で室内が光に満たされる。

 雷美はまぶしさに目をすがめながらも、電灯がついたことに身じろぎする庭の纐血城高校の生徒たちに、これ見よがしに自分の姿をさらしつつ、手にした刀をよく見えるように上げた。

 庭の生徒たちの動きがぴたりと止まる。


 雷美はわざと鷹揚に動き、床の間の刀掛けから空の拵えをとりあげる。とにかく柄を変えないと、斬り合いは難しい。もしこのまま無事に聖林学園に帰る気が少しでもあるのなら、刀の鞘も放置してここを立ち去ることはできない。

 雷美はいちど部屋の中央で仁王立ちし、外の敵を牽制する。

 そうしておいてから、畳に膝をついて刀と拵えを横たえた。先に拵えの鞘の方を手に取り、下げ緒を解いて腰に巻いてきつく結ぶ。


 そして、そのあと柄を取り換えるのだが、そのためには、それぞれの目釘めくぎを抜かなければならない。目釘は竹製で、ちょうど菜箸さいばしの先端部分を切ったものとほぼ変わらない。ただし一部に竹皮が必ず残されている。

 この目釘は目釘抜きという専用の小道具をつかって外すのだが、見回したがそんなものは近くにない。雷美は仕方なくペン立てにたっているドライバーをもってきて作業にはいる。柄にほぼ埋まった目釘をドライバーの先端で押し出し、指でつまんで抜き取る。白鞘を外し、安っぽいはばきを放り捨て、今度は拵えの方の目釘を抜く。


 一瞬庭を見回して、敵の様子を確認。あつまった人数はあきらかに増えており、いまやほぼ全員が身を隠す意思をすて、立ち上がっている。ガラスサッシをぶち破って突入してくるにしても、サッシというものは、なかなか割れるものではない。が、それにしても人数が多い。あれ全員にいっせいに飛び込まれたら、さすがの雷美も手も足も出ない。

 そんなことを考えつつ、刀身をつかむと、なかごに刻まれた『鬼姫一文字』の銘が目に入る。銘があるということは、やはり呪禁刀か? それとも、そうとは限らないのか?

 手早く拵えの方の銀色のはばきを刀身に通し、切羽、鍔、切羽となかごに通して柄を差し込む。慌てたので逆に入れてしまい、引っかかったので急いで入れなおす。ガラスの外では、学生服どもが一斉に動き出していた。

 震える指で目釘をとり、一度口に含んで湿らせてから、皮の向きを確認して目釘穴に叩き込むのと、入口のドアから室内に飛び込んできた学生服が刀を振り下ろすのとが、ほぼ同時だった。


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