第7話 百人斬り

1 ここにもう一つ、ある


 雷美は夜道を走っていた。

 月が青く輝き、森の中を照らしている。まるで深海にいるような青い死の光だった。

 どうせすぐに追手がかかる。まず間違いない。連れ戻しはせず、その場で斬り捨てだろう。比良坂天狼星は雷美のことを許しはすまい。不屍者として甦らせても、反旗を翻されては厄介だ。斬り捨てられて、肝脳地にまみること間違いなし。


 雷美のみたところ、ほとんどの不屍者たちは天狼星に絶対服従の気風があった。甦らせてくれた者への感謝の気持ちか、あるいは創造主への畏怖か。

 しかし、剣魔たちはちがった。天狼星に従う態度ではあるが、それは猫子などに比べてすこし弱く、独立独歩の特性がよく見えた。それが剣魔であるからだとするのなら、雷美を剣魔として甦らせることは、天狼星にとってリスクがありすぎる。彼女の結論は、雷美は使えないので、抹殺。不屍者としては甦らせない、だろう。


 望むところだ。

 あんな人間もどきに、人の振りをしている化け物なんぞにされてたまるか。

 雷美は息の続く限り走って走って、そうして聖林学園に逃げ込み、あそこで力およばずとも、仲間たち──本当の人間たち──に囲まれて最後まで戦いたいと心に決めていた。

 最後の瞬間まで。命が燃え尽きる、死の瞬間まで。

 人は死ぬ。死ぬから人なのだ。死なない人は、燃えない炎と同じ。そんなものは、存在しないのだ。


 雷美は息を切らせながら、坂道を下っていた。

 彼女はまっすぐ聖林学園に向かってはいない。まっすぐ坂を登れば早いのだが、おそらく聖林学園に着く前に、それでは追手に追いつかれてしまう。そこで一度坂を下り、赤石公園を抜け、そこから裏道を登って、あの蝉足邸を抜ける秘密の近道を通るルートを選択していた。あのルートを知らない纐血城高校は、雷美に追いつくのに手間取るだろう。気づいて赤石山の裏道へ向かっても、蝉足邸を抜ける近道は知るまい。


 彼女は坂の下にある赤石公園に差し掛かったあたりで、息があがり、歩き出した。乱れた呼吸を整えながら、背後を振り返り、追跡者の影を探すが、後方に人の気配はない。もしかしたら、まだ気づかれていないのかもれしない。

 すこし早足に、公園の出口から細道に入り、生垣に囲われた木戸から蝉足邸に入る。裏口に回り、あのとき篠が開けっ放しにしたドアが開いていることを願ってノブを回す。


 かちゃりと低い音をたててノブが回り、果たして重い木製のドアが開いた。

 ほっとしつつ、中をうかがい、何の気配もないのを確認してから、失礼しますと心の中でささやいて、靴のままそっと廊下にあがる。このまままっすぐ、廊下の奥の階段をあがって……。


 雷美は足をとめた。

 ふと、部屋の奥に人の気配を感じたからだ。

 さっと身を固め、動きをとめる。じっくり数秒、耳を澄ますが物音はしない。が、確認する必要がある。そっと室内をのぞき、視線を左右に走らせた。

 中は畳の大広間。庭に面してガラスサッシが床から天井まで嵌められ、月光に洗われる芝生が銀色に光っている。

 室内も月の光であかるく、人の気配はない。すこし中に入り、人が隠れられるスペースがないか一瞥するが、ここはただの書斎であるようだ。壁一面、本棚。そのうちの一角だけ金属の扉。その扉は開いている。


 雷美はそっと忍び寄って、その金属扉の中をのぞく。

 人はいない。というより、人が隠れるほどのスペースはなかった。これは金庫のようだ。おそらく刀剣用耐火金庫。もちろん内部は空っぽ。ここに蝉足教授が集めた呪禁刀が最初に保管されていたのだろう。

 どうやら、人がいたように感じたのは、気のせいだったみたいだ。少し神経が過敏になっているのかもしれない。


 振り返ると奥の壁に床の間があり、そこに一振りの日本刀が刀掛けにのって飾られている。

 螺鈿の美しい鞘。柄は黒の革巻き。縁金ふちがねや鍔、目貫の一部に金が使われていて、高価な印象。下げ緒は綺麗に蝶結びにされていた。

 雷美は一見して真剣ではないと喝破した。

 拵えが高価だが、ここに放置されているのだから、もしかして刀身が偽物の居合刀ではないか? そう思ったが、一応の確認で手に取る。異様に軽い。やはり刀身無しの拵えだけだろう。


 鯉口をきって、刀身を抜いてみると、繋ぎの竹、俗にいう竹光であった。

 つまり、鞘と柄だけの、これは予備の拵えということか? 中身の刀身は持っていかれてしまったのかもしれない。

 が、その瞬間、雷美の脳裏に、過去の場面が鮮烈に甦る。


 そう、あれはいつだったか? 遠いむかしの気もするが、ほんの一日かそこら前の話だ。

 園長室で刀の登録証を睨んでいた篠の姿。腕組みして、難しい顔をして八枚の登録証を睨んでいたのだ。

 彼女が睨んでいた登録証は、全部で八枚あった。あのとき雷美は、なにかがおかしいと感じたのだが、なにがおかしいのか分からなかった。だが、いま、彼女はあのとき感じた違和感の正体を理解した。


 ……そう、登録証は八枚無いはずなのだ。なぜなら、骸丸を持ってきたのは雷美自身であり、そのとき登録証は持ってきていないし、だから篠に登録証が渡されたはずもない。だのに、あのとき登録証は八枚あった。それはどういうことか? それは、呪禁刀はもともと全部で八振りあったということだ。刀がなくて登録証だけ発行されるわけがない。

 もともとあった八振りのうち、一振りが消えている。そこに雷美のもってきた骸丸が加わって、いっけん登録証と刀剣との数は合っているが、雷美は登録証を持ってきていない。

 とすると、消えた一振りがどこかにある。天狼星は持っていない。もう一振りあれば、もう一人剣魔がいるはずだ。


 篠も知らない。あれば、雷美に渡したはずだからだ。

 篠は、ここにあった呪禁刀全部を学園に運んだと言っていた。おそらく登録証と突き合わせてはいないはず。金庫の中の刀を全部運んで、それっきりなのではないか。彼女の性格的に。

 ……とすれば、ここにもうひとつ、呪禁刀がある計算になる。拵えだけあるわけがない。登録証と同じで、刀身がないのに、拵えだけあるはずがないのだ。

 ここにもう一振り、呪禁刀がある!





 

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