5 不屍者の晩餐
雷美が部屋に戻ると、ほどくなしてあの猫子がやってきて、二着のドレスをベッドの上に並べた。
「どちらにします?」
なんというのだろう。どっちも思いっきりドレスだった。カクテルドレスとかイブニングドレスとか、なんかそういった感じのやつだ。
片方はピンクで、キャバ嬢が着るようなどぎついやつ、もうひとつは白のシックなやつ。もう白一択しかないのだが、食事に白はハードルが高い。
「こっちにするけど、ソースとか飛んだらごめんね」
雷美が白のドレスを取り上げると、猫子は笑う。
「ソース飛んだら、また新しいの作ればいいですよ。これは天狼星さま専属のデザイナーが雷美さんを見て作った二着だから、頼めばまた作ってくれますって。で、そのデザイナーも例によって天才ですので、一目見ただけでサイズがわかるらしいですよ」
「そんな人ばっかか?」
「天狼星さまは、天才が好きですから。あ、お着替え手伝いましょうか」
「だいじょうぶ。こう見えて、肩の関節は柔らかいから」
ファスナーは一人で上げられるという意味でいったのだが、猫子には大爆笑された。
着替えたら、メイクは猫子にしてもらい、準備が整うと猫子に連れられてホールへ行く。
ホール? 食事するのに? と思って中に入ったら、中央にでっかいテーブルがあって、前の方の低い舞台の上に、楽団がいた。バイオリンとかチェロとかを持った人が全部で四人。こういうのカルテットっていうんだろうか? その四人が静かな曲を演奏している。
ここで、食事するのか。
ちょっと呆れた。
長いテーブルがあり、すでに何人かが席についてる。
海老奈が雷美に手を振って、となりの椅子を指している。彼女もドレス姿。ど派手なパープルの、胸が抉れて爆乳の谷間全開。ちかづくと、背中も下まで、それこそお尻の割れ目が見えそうなくらい開いていた。
テーブルの上座にはすでに和服姿の天狼星がいて、にこにことこちらを見ている。
「もうすぐみんな集まりますから」
「こういうとき、絶対遅れてくるのが、戦馬だよな」海老奈が口をとがらせる。「あいつ、土方歳三なんだから、ルール守らない奴は切腹させるんじゃないのかよ」
「呪禁刀からコピーできるのは剣技のみなのだろうな」真面目に答えるのが柳生紫微斗。「だいたい切腹させても死なないから。掃除が大変なだけだ」
「やめてよ、食事中に」
話をふっておいて、海老奈が文句つける。
「すまない」
素直に謝る紫微斗。案外心が柔らかい。そしてこの、心の柔らかい奴は、剣が強いことが多い。
そうこう言ううちに、まだ来てなかった東郷鉄鎖が席に着き、夢想権化が席に着き、けっきょく土方戦馬が最後だった。
彼がやっと席に着くと、海老奈がすかさず「遅い」と指さし、だが戦馬は「時間には間に合っているぜ」と言い返す。
なにはともあれ、全員そろったので、天狼星が合図して食事がスタートした。
各自のグラスに食前酒がそそがれ、海老奈は一息に赤く透き通った液体を飲み干す。
雷美の飲み物だけはグレープフルーツ・ジュースだが、海老奈の前に新しく置かれたグラスに注がれていたのは赤ワインみたいな酒だ。
「それ、ワインですよね?」
「うんにゃ、キールロワイヤルとかいう飲み物」
「一気に飲んで、悪酔いしないんですか?」
「しないよ、不屍者だもん」
「ああ……」
給仕の男性たちが、オードブルの皿を並べる。
「サーモンとイクラのジュレでございます」
ガラス器に盛られた、ゼラチン質と魚の赤身が、まるで美しい宝石のようだ。綺麗に盛られた料理を、雷美はスプーンですくって一口。
「……おいしい」
おもわず声がでた。顔がにんまりとしてしまうのを止められない。
が、はっと我にかえって周囲を見回す。
海老奈も紫微斗も、粛々と料理を口に運んでいた。無駄話は一切なし。上座の天狼星と目が合った。彼女は透き通る青い瞳で雷美のことを見つめ、ふっと頬を緩める。
「よかった、雷美さんに喜んでいただいて」
「いえ」
思わずうつむく雷美。熱い頬をそっと手で隠す。
つぎに運ばれてきた、カボチャとジャガイモの冷製スープも絶品だった。雷美は思わずため息をつき、じっくり味わうようにスプーンの先から冷たいスープをそおっと啜った。
「なかなかいい味ね」隣で海老奈も称賛している。「ジャガイモとカボチャの甘みがいいわ」
そして次は、メインの皿のひとつめ。鹿肉のオレンジソース煮バルサミコビネガー風味。
もう香りからしておいしそうだった。ナイフで慈しむように、柔らかく煮込まれた肉を小さく切り取り、雷美はそれをそっと舌の上にのせた。
「!」
思わず声を上げそうになる。なぜなら、あり得ないくらい、しょっぱかったからだ。いくらなんでも、塩をふりすぎている。辛いほどに、しょっぱかった。
思わず顔をしかめ、咳込みそうになって肉を吐き出し……かけて動きを止めた。
テーブルについた全員が、なにごともなかったように、そのデンジャラスなまでにしょっぱい鹿肉をおいしそうに食べていたからだ。
雷美はとりあえずジュースをごくごくと飲み、口の中の鹿肉の塩を洗い流してから、無理やり何とかそれを飲み込んだ。
そして、こっそりと周囲の反応をうかがう。
──みんなこれ、しょっぱくないのだろうか?
しかし、テーブルについた他のメンバーは、雷美の視線に気づかず、もくもくと鹿肉を口に運んでいる。
「けっこう濃い目な味付けね」海老奈が口を開く。「でも、あたしはこれくらいが好みかな」
雷美は、「ごめんなさい、鹿肉は苦手なの」と言って給仕の男子にそれを下げてもらった。
そしてつぎのメイン皿。牛ホホ肉の網目焼きバジル風味。
これもおいしかった。他のみんなも味を誉めている。
だが、雷美はそれどころではなかった。正直、恐怖に身がすくんでいた。
ここにいる奴らは、ものの味が分からないのだ。分かった風なことを言っているが、塩の薄い濃いが分からない。不屍者であることの代償として、酒に酔わず塩辛さにも絶対の耐性がある。そもそも食べる必要すらないのかもしれない。
暑い日に冷たい水をのんでおいしいと思う感覚、寒い日にコタツに入って足先からあったまってほっこりする安心感。それらを彼らはまったく感じない。不死となる代償として、それら人間的な喜びをすべて
こいつら全員、もはや人間ではないのだ。人間でない者どもが、人間のふりをしているだけなのだ。比良坂天狼星に初めて会った時、彼女はこれみよがしに白いハンカチで鼻の汗を拭いて見せた。だが、あれはちがう。演技だったのだ。さも自分が汗をかく人間である演技。さらに汗をかかないことを気取られないための、ごまかし。彼女のすることは、すべて詐術。人を騙すことばかりだ。
剣術だってそうだ。
たしかに古の剣豪の技をいまの時代に復古させることは素晴らしい。だが、師匠は、鷹沢善鬼はどう言った?
──刀は人より長生きだから、人はそれを所持するのではなく、一時期預かるものなのだ。そして、剣の技は、人の身体を通してしか伝わることが出来ない。だから、つぎの世代にきちんと伝える。その流れを流派という。
技であり、知識であり、教えであるものを、親から子へ、師匠から弟子へ、伝え、手渡し、受け継ぐ。それが文化であり、生命ではないのか?
はるか未来、たとえば人類が滅びてしまった一億年後とか二億年後とかに、あらたな地球の知的生命体が、琥珀に封じ込められた蚊の体内から、蚊が吸った人間の血のDNAを取り出し、そこからかつて栄えた『人類』という生物を再生したとして、その人類は、言葉も喋らなければ、歌も唄わないだろう。
果たしてそれが『人間』といえるだろうか?
否。絶対に、否!
そんなもの、人間ではない。
人は言葉をしゃべり、歌を唄い、感情をぶつけ、利害を考え、喜び怒り、悲しみ、そして楽しむものだ。生命は、やがて失われると分かっている、夜空に開く大輪の花火のようなもの。消え去り、生まれ、次代へ繋げるから尊いのだ。
絶対に失われない生命になんの価値がある? 死なない不屍者に、生きる意味があるのか?
こいつらは、人間ではない。なぜなら、人間にとって一番大事な物が、ないからだ。それを人は、あたしたちは、『人間』とは呼ばないのだ。
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