4 重位VS武蔵
「われわれも、少し合わせるか」
東郷鉄鎖が市川海老奈を誘って、中央に出る。鉄鎖が手にしているのは、木刀というよりは木の枝。一掴みほどの太さはあるが、まっすぐで、ただしまったく削られていない。すくなくとも刀の形はしていなかった。
対する海老奈は、細身の木刀。女子や子供が使うような、細っこい木太刀だ。
長身の鉄鎖がすうっと棒を
もし東郷鉄鎖が東郷重位の技を得ているのなら、彼が使う示現流は善吉和尚より伝授された最古のもので、薬丸示現流が分派する以前の技であるはず。雷美はてっきり、鉄鎖が
しゅーという長い息を吐きながら、一足で常人の二歩以上の距離をホバーするように飛び込み、一息に棒を振り下ろす。手と丹田が合致した、これ絶対受けたら刀ごと叩き折る系の一撃。天空から一直線に落下する霹靂のごとき一打である。
が、それを海老奈は涼しい顔で、小刀でひたりと受け止めた。細身の小刀の刀身から一瞬紫煙が上がるが、海老奈の細腕はびくともしない。受けると同時に右手の大刀でぽんと鉄鎖の肩を叩いている。
鉄鎖は構わず棒を振り上げる。まるで肩を三寸斬られたくらいで、おれは死なないとばかりに、同じ太刀筋で連打する。
海老奈はそのたびに、小刀で受け、大刀で受け流し、そして鉄鎖の身体をぽんと叩く。が、鉄鎖は意に介さず、一点集中、同じ太刀筋で意地を通してくる。そしてとうとう鉄鎖の手にした棒が、海老奈の頭をとらえた。太い棒が、彼女の頭頂に打ち下ろされ……、びゅんと下段まで空振りした。
正確にさがった海老奈の頬を掠めるように、鉄鎖の木刀が空振りしたのだ。
海老奈は瞬きもせず、鼻梁にヒットする数ミリを躱して顔の角度を変えただけで、正確に鉄鎖のあの落雷のような切っ先を見切って下がっていた。
そしてまたもや、ぽんと鉄鎖の頭を大刀で叩く。
海老奈の剣は、異形だった。
彼女は眼をすがめ、尖らせた口を歪めて無表情に相手の剣をあしらい、そして見切っていた。ふだんの明るい彼女とは、別の顔である。
雷美は瞠目し、そしてふと目線を外すと、壁際で居合の一人稽古を行う田宮刀内の姿が目に入る。
刀内は、二尺八寸ほどの長刀を腰に差し、腰をおとした状態からの抜刀を行っていた。長刀の柄は、通常の物に比して長い。刀身が長いことを計算にいれても、それでも明らかに長い柄だった。
刀内が腰を下ろし、かすかに身を浮かせた瞬間、刀の鯉口から銀光が走り、伸ばした腕のさきに抜き放たれた刀身が手品のように出現する。神業のような抜刀である。それはまさに、腰から銃弾が放たれたかと錯覚するほどの刃の速度だった。
そういえば雷美はむかし師匠から、
その後、雷美は剣魔たちの剣技をしばらく見学させてもらった。
途中であの仔猫みたいな女子生徒がやってきて、「お風呂の用意ができました」と雷美に声を掛けてきたので、案内されて浴場へ移動した。
その道すがら、考える。
比良坂天狼星が剣魔を甦らせたがために、ことによると失われてしまっていたかもしれない日本の武術が甦った。不屍者を生み出すことは、あながち忌むべきことのみでもなく、世の中にプラスになることもあるのではないか?
早逝してしまった天才を甦らせ、社会の役に立たせることもできる。人が死んでしまえば、その人間のもつ才能も技術も一緒に失われてしまう。だが、その人を不屍者として甦らせれば……。
雷美はすこし、分からなくなってしまった。
纐血城高校の大浴場は、聖林学園の女子寮の浴場に比べると、豪華絢爛だった。
少し薄暗いライティングに趣があり、使われている石材も大理石や御影石、最新式のシャワー設備や豪華なサウナ室、巨大な湯船はプールみたいで、壁際には滝が設えられている。
であるにも関わらず、なぜか誰もいなかった。
雷美を案内したあの仔猫ちゃんは脱衣せず「お背中流しましょうか?」とたずねてくれたが、雷美が断るとそのまま退室してしまう。この子は入らないのかな?と首をかしげつつ、雷美は一人、湯につかった。だれもいない大浴場というのは、なにか湯の中から怪獣でも出てきそうで怖い。たしかに纐血城高校は女子生徒が少ないが、すでに日が暮れたこの時間、ほかの生徒が一人もいないのは不思議だった。あるいは、だれかが気を利かせて雷美専用にしてくれているのか。
湯が、胸の傷に沁みるが、我慢して浸かっていると、入り口のドアが開いて、誰かが入って来た。白い湯気を透かしてその姿を見ると、細身の白い裸身がするりするりとこちらへ歩いてくる。
長い赤髪。細い身体は雪のように病的な白。そして、その瞳は宝石のようなアイスブルー。比良坂天狼星だった。
彼女は、とくに前を隠すでなくもこちらに歩いてくる。男を虜にせずにはおかないような妖艶な肢体。細いウエストと美しい脚。ぷっくり膨らんだ胸乳が歩くたび、淫らに揺れていた。
彼女は湯船のふちで片膝つくと、手桶で白い裸身にかけ湯し、するりと湯に身を滑り込ませる。
長い髪を縛りもせず、湯のなかに海藻のように流して、雷美のそばまで進んでくる。
「雷美さん、お稽古はどうでしたか?」
するすると波をたてて雷美の横まできた天狼星は、頬を寄せるように近づいてきた。彼女の吸い付くような肌が、雷美の肩のあたりにちょっと触れる。
「ええ、とても素晴らしかったです。あれほどの剣技はなかなか……」
雷美はちょっと緊張してうなずく。
「どうでしょうか、雷美さん。ものは相談なのですが、うちの高校に転校してきませんか? 最初はもちろん、生きたままでいいです。よく考えて、あるいは年老いて没してからでもいい。剣魔として甦り、あたしと一緒にこの世を統べませんか? あなたが不屍者となるまでに、あたしは絶対一刀流の剣技が封じ込まれた呪禁刀を探しますし、それまでに絶対、もう二度と人の死ぬことのない世界を作り上げておきます」
「ええ、でも」雷美はちょっと眉をしかめた。「二度と人の死なない世界を作るためには、すべての人間を皆殺しにする必要がありますよね?」
「人は、放っておけば死にます。わざわざ殺す必要もありません。そして、死んだら、すぐに生き返らせればいい」
「全員?」
「まさか」天狼星はぷっと吹き出した。「いままで生きていた人間を全部生き返らせたら、大勢居過ぎて、陸地には立錐の余地もありませんよ。優秀な人だけ、生き返らせます」
「優秀な?」
「豊かな才能に溢れ、高い技術を持つ、優れた人間だけを生き返らせます。それって理想的な世界だと、思いませんか?」
「無能な人間は生き返らせませんか?」
「だって、生き返らせても、意味ないじゃないですか。それに、生き返らせないといっても、それはその無能な人間がただ死んだままというだけの話です。死んでいるんですから、生き返らせてもらえなくても、傷ついたりしませんよ」
「まあ、そうですけど」
「雷美さん、このあとみんなとお食事いたしましょうよ。すごく腕のいいシェフがうちにはいるんです。すでに亡くなられた方なんですが、伝説の料理人なんです。その方が腕を振るってくれるんですよ。ぜひ雷美さんにもご賞味いただきたく、わざわざこんなところまでやってまいりました。一糸纏わぬ、はしたない恰好でごめんなさいね」
「いえ、お風呂ですから。いい湯です。とても素敵です、ここ」
雷美の返答をきいて、天狼星は自虐の笑みを浮かべた。
「造る必要ないのに、造っておいてよかった。ほら、あたしたち不屍者は汗をかきませんから、入浴する必要ないでしょ? だから、ここ、だれも使わないんです」
「え? 汗かかないんですか?」
「かきませんよ。だって、火に焙られても死なないんですから、暑いくらいで、いちいち汗なんてかきません」
天狼星は、ふっと鼻で笑う。
「不屍者は、便利でしょ?」
「はあ、まあ……」
曖昧にうなずく雷美に、笑顔をおくった天狼星は、立ち上がると「では、お食事、準備が整いましたら使いの者をよこしますので、是非いらしてくださいね。ちゃんと服も用意しておきますから」
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