第6話 纐血城高校の晩餐会

1 潜入! 不屍者の城


 聖林学園の正門を出た市川雷美は、舗装路の歩道をてくてく歩き、急な坂道を下って行った。

 夕刻がちかづく空はかすかに茜に染まり、昼間の熱気がじょじょに薄れてきている。そよそよと吹く風が、頭上の木の枝をやんわりと揺らしていた。夕闇に追い立てられるように道を下ると、行く手に纐血城高校の威容が樹林のなかから現れてくる。

 正面の鉄門は開け放たれ、門番の姿もない。

 そりゃそうだ。ここに住むのは不屍者の群れ。おそれるべき敵がいるわけもない。

「だけど、その油断が命取りよね」

 そっと中をのぞきこんだ雷美は、人の気配がないのを確認して、するりと校内に滑り込む。一度中に入ってしまったあとは、大手を振って玄関へと向かう。


 纐血城高校の玄関は、学校の昇降口とはちょっとちがう雰囲気だった。硝子張りの自動ドアになっていて、なんか高層ビルのエントランスに近い。入ってみて気づいた。あ、これはホテルのロビーに似てるな、と。

 中は天井が高く、広々としたフロアだ。床は毛足の長い絨毯が敷き詰められ、柱にヨーロッパ調の装飾、壁紙はシック。絵画が飾られ、コーナーには花瓶に花が生けられている。

 学校という雰囲気ではない。最初はホテルかな?とも思ったが、やはり少しちがう。これは、あれだ。城。ドイツやフランスの古城にすごくよく似ている。


「まあ、もともとここは城址公園だからね」

 小さく呟きながら、大きな螺旋階段をのぼり、上のフロアへ。

 生徒が何人か歩いている。

 エレベーターがあり、エスカレーターもあり、そばに校内案内図のプラスチック・プレートが壁に取り付けられている。じっくり見ているわけにいかないので、通り過ぎながら横目で素早く確認。

 この上の階は『オフィス』で、周囲の建物は『兵舎』となっていた。そしてこの奥に『士官棟』と。

 推測だが、呪禁刀を与えられている七人の剣豪たちは、たぶん士官棟にいることだろう。ならば、呪禁刀もそこにあるはず。

 雷美はすれちがう男子生徒たちに軽く会釈しながら、廊下を奥に進む。


 やはり想像した通り、纐血城高校の制服は男子が詰襟のガクラン。女子がセーラー服。もちろん雷美が着ているものと微妙にデザインがちがうのだが、さすがは不屍者のみなさん、細かいことは気にしないらしい。不死だから鈍感なのか、生前の記憶があるから却って気づかないのか。なんにしろ、雷美は返り血のシミがぽつぽつとついた白いセーラー服姿で奥のエスカレーターから、さらにひとつ上のフロアへ。ここから大回廊なる通路を渡って、一番奥の士官棟を目指す。


 上のフロアに着いたところで、一人の長身の男とすれちがう。

 男の制服は他の者とちがって豪奢で、あの仏生信行が着ていた長ランをさらに派手にした感じ。襟が高く、裾が膝まで。ボタンを全外しにして、前を開け、腰に精緻な柄の角帯を締めている。刀は二本差し。スマートフォンを帯の右に差しているが、落ちないように下げたストラップを帯にいれ、ただしストラップの先端の根付は帯の上から覗いている。抜け落ちないように上から根付が顔をのぞかせているのだ。


 極めてお洒落である。

 スマートフォンを帯に差すと、下へ抜けて落下する危険がある。そこでスマートフォンとストラップを帯に挟み、根付を上から出しておけば、落下時には根付が引っかかって、スマートフォンは落ちない。逆に印籠のように、帯の下へぶら下げてしまうと、今度は使うときにいちいち根付を帯から抜く必要がある。

 彼がやるように、スマートフォンとストラップだけ上から差しておけば、そのまま根付ごと上に全部抜けるので使うときも便利だ。

 雷美は思わず関心してしまって、彼がこちらをじっと見ていることに気づくのが遅れた。

「?」

 雷美の問うような視線と、じっとこちらを見つめる彼の視線が合う。

 あれ? この人だれだっけ?

 雷美の中で、なにかの記憶が引っかかった。彼の刀の柄頭に、髑髏の意匠があった。

 骸丸だ……。えっ!

 そして次の瞬間、彼の腰から銀光が迸り、雷美の胸に落雷が落ちたような衝撃が走る。反射的に跳躍して躱したつもりだったが、激しい衝撃に身を撃ち抜かれて、雷美はそのまま気を失った。




 目覚めたとき、雷美はどこかのホテルのスイートルームのベッドの上に寝かされていた。

 どこのホテル……?

 いやちがうな。首を回して気づく。きっとここ、纐血城高校だ。

「お目覚めですか? あなた、きのうから丸一日寝てましたよ」

 舌っ足らずな声が耳元で響く。

 目を上げると、ショートヘアの女の子。童顔で、猫のように大きな目をしている。

「お怪我は心配ないとのことですよ」

「ああ、そうか……」雷美は上掛けの中から手を出して額にあてた。「あたし、斬られたんだっけ?」

「いえ、切られたのは、服だけです」彼女がいう。「あ、でも、肩の皮膚もさくっと、ちょっとだけ切れちゃってましたけど、絆創膏貼っておけば治るって、天狼星様が」

「え……」

 雷美は気まずげに頭をあげた。

 比良坂天狼星に、ここへ忍び込んだことが、バレている……。

 というより、もしかしたら、彼女が雷美の命を救ってくれたのかもしれない。さっきの、いや昨晩のあの男は骸丸を腰に差していた。ならば、あの六道冥還祭のときに甦った不屍者のうちの一人だ。とすると当然、雷美のことも見知っていよう。雷美からはあのときの泥人形の見分けはまったくつかなかったが。あいつらからしてみれば、そんなこともない。

 しかし、あの顔どこかで……。


「傷は大したことないので、起きたらこちらの道着に着替えて、道場での稽古に参加するように、と天狼星様からのご伝言です」

「え? なんですって?」

 身を起こしてみると、足元のあたりに刺し子の白道着と藍染めの袴が畳んでおいてある。

 このままこの女子をぶん殴って逃走するか?と一瞬思ったが、彼女もどうせ不屍者だと気づく。殴っても怪我はしないだろうし、気も失わないかもしれない。


 雷美はあきらめて着替えることにした。ベッドから出ると、自分がだらんとしたスウェットみたいなパジャマみたいなものを着せられていることに気づいた。

 ふと見ると、そばの文机の上に彼女のお財布とスマートフォンが置かれている。そして当然だが、彼女のスマートフォンのランプは点滅していた。

「あちゃー」

 雷美は額に掌をあて、あわててスマホに手を伸ばす。

 不在着信と未読メールの山だった。もちろん母から。

 あわてて通話ボタンを押し、自宅にリダイヤルする。

「もしもし、お母さん? ごめーん、ちょっとスマホを忘れて外出しちゃって。……うん、……うん、心配ないから。えーと、ちょっと予定は分からないんだけど、いろいろ頼まれちゃって……。うん、……あと二、三日で帰れると思うけど。……うん、また、電話するね」

 雷美はスマホを置くと、そばに立つ女の子に一礼する。

「ごめんなさい」

「いえ」猫の目のような女の子は、眉間にしわを寄せる。「親とかって、ほんとうるさいですよね。いなければいいって、いつも思いますよ」

「はあ……」

 この子、家出でもしてきたのかな? そんなことを考えつつ、雷美は周囲を見渡した。

 道着に着替えるのはいいのだが、そういえばあたしが着てきた制服はどうなったのだろう? あの返り血だらけの制服は?

「あの、あたしの制服……」

「あー」仔猫の女の子は困った顔をして、壁際のテーブルの上に畳んでおかれた白いセーラー服を指さす。「そっちは紫微斗しびと様が胸のところ斬っちゃいましたからねぇ。困りましたねぇ」

「あ、じゃあ、いいです。……え? 紫微斗?」

「はい。ここのお城のお殿様です」

「柳生紫微斗、か……」

 雷美はやっと合点がいった。


 あれは古い武道書でみた顔だったのだ。

 何十年も昔に早逝した天才剣士。たしか当時は連也斎以来の才能であるという評価を受けていたらしい。あの、柳生紫微斗だ。それが……殿様。

「あの、その紫微斗様ってもしかして、天狼星の……?」

「はい。天狼星様の旦那様です」

 やはりそうか。とすると、比良坂天狼星が恋した剣道家とは、柳生紫微斗のことなのか。それを天狼星はとうとう甦らせることに成功した。しかも、剣魔として。


 とすると、あの骸丸は、過去に柳生家の剣豪の佩刀であったということだろうか。

 天狼星は、それであの骸丸に執着していたのだ。柳生紫微斗を甦らせ、彼を不屍者の王とするためには、柳生家の剣豪の佩刀であった呪禁刀が要る。それが骸丸であり、その骸丸が聖林学園にやってくるのを、天狼星はずうっと待っていたのだ。




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