6 ちょっと出掛けてくる
剣道部を退部した萬屋錦之丞は、アクション同好会の吹雪桜人に拾ってもらって、現在はアクション同好会員である。
が、その一方で、籠城戦がはじまった初日から、雷美に頼み込んで一刀流の稽古を少しだけつけてもらっていた。
一日一時間だけ。忙しい合間を縫って、お互いの時間を調整し、講堂の一角を借りて稽古をしていた。といっても、三日間くらいの話なのだが。
講堂にはいつも、一刀斎豹介がゴザを広げて刀研ぎの仕事をしており、ふたりは彼の邪魔にならないように、少し離れた場所で木刀を振っていた。
一刀流の木刀は市販のものより太くて短い。それを二本、雷美の分の剣道着とともに通販で購入してもらい、それを使用している。他に、一刀流では防具として鬼籠手という木刀で打たれても怪我しない巨大な籠手をつかうらしいのだが、雷美は「まあ、それはいいんじゃない? 手も臭くなるし」といって発注しなかった。
錦之丞は雷美に木刀の握り方から教えられ、足の踏み方、素振りのやり方、基本動作、礼法まで、一通り教授を受けた。
二日目にようやく形稽古、『
『一つ勝 一本目』
打ち太刀、陰。仕太刀、正眼。
雷美が陰の構えという、刀を立てて拳を胸の高さにおく、低い八相にとる。仕太刀であり、また教え導かれる側でもある錦之丞は正眼すなわち中段に構える。ただし剣道でとる正眼より一刀流の正眼はずっと高い。両腕をまっすぐ伸ばし、拳はほぼ肩の高さ。
互いに三
技自体は、あの夜雷美が仏生を倒した『切り落とし』であるが、動きは大きい。この切り落としを学ぶのが、一刀流の一本目だという。
もう、おっそろしく単純な形だった。
「たったこれだけですか?」
錦之丞がきくと、雷美はにやりと笑った。
「武術の世界には、いろんな技があるね。だが、本当に使える技ってどれくらいあると思う? 剣を持って戦うとき、そこが道場みたいにだだっ広くて地面も平らなら、あっちこっち飛び跳ねて、いくらでも技は使える。でも、足場が悪かったり、後ろが断崖絶壁だったり、もしかしたら敵と戦う場所が丸太の橋の上だったりする可能性だってある。そんな場面で使える技ってなんだ? どんなものがある? 自分の居場所を捨てずに、まっすぐ相手の真ん中に切りかける。そんな技以外使えないじゃないか。本当に使える究極の技とはなにか? 一刀流の答えは、この『切り落とし』だ。斬ってくる相手の太刀を切り落とし、勝ちたい助かりたいという自分の邪心を切り落とす。一刀流の一刀とは、この切り落としの一刀であり、一刀流は切り落としに始まり、切り落としに終わるんだ。表の組太刀五十本、小太刀、合小太刀、
「じゃあ、雷美先生は免許はもらってるんですか?」
「うんにゃ」
「でも、切り落としはできますよね?」
「さあ、どうだかね? 『これのみと思い極めそ幾枚も上に上あり
初日はそんな感じだった。その日隅っこから稽古の様子をにこにこと眺めていた鐘捲暗夜斎は、雷美がいないときは錦之丞の組太刀の相手をしてくれた。ついでに、一刀斎豹介の車から勝手に刀をもってきて、居合の最初のところを教えてくれたりもした。
が、そんなこんなの、錦之丞にとって楽しい籠城戦も、今朝がたの呪禁刀強奪騒動によって、唐突に終わりを告げていた。
頼みの綱の呪禁刀はすべて纐血城高校に奪われ、味方だと思っていた芹澤穂影こそが敵の首魁、比良坂天狼星だった。じっさいに彼女を目の当たりにした錦之丞は、とてもとてもあの美しい少女が不屍者であるとは気づかなかった。
そしてもうひとつ、不屍者が侵入できないと信じられていた聖林学園の絶対防壁は完璧でなく、何と真正面、正門の真ん中に敵の侵入を許してしまう穴があったのだ。それ自体はあの間抜けな陰陽師、山口百鬼が指摘していたことではあるのだが、錦之丞はそれを彼の美しい師匠芹澤穂影が、いや彼女の正体は比良坂天狼星だったのだから当たり前だが、てっきり塞いでくれていたと信じていた。そして、この穴の存在自体も、校内の他の生徒には秘匿されていた。
ところが、その穴を通って、あろうことか、比良坂天狼星その人が中に入り込み、聖林学園の体育館で七人もの不屍者を甦らせ、校内にあったすべての呪禁刀とともに大手を振って、再びその穴から出て行ってしまったのだ。
いま籠城している生徒たちの間には、園長先生に対する不信と敵に抱く恐怖が膨れ上がってきている。それは錦之丞も一緒だった。
だからこそ、錦之丞はいま目の前にある作業に没頭したかった。
天狼星が呪禁刀を奪った直後から、水道が開き、物資の搬入も再開された。
水と食料の供給が再び始まったというのは、それを止めていた天狼星がもうその必要がないと判断したわけであり、事実上敵の勝利宣言である。
もうお前らに用はないから、勝手に立て籠もっていろ、とそういうわけだ。
だが、不屍者の女王様よ、なにかひとつ、忘れちゃいませんか?
錦之丞は心の中でうそぶく。
そう、この学園にはもうひとつの武器、不屍者をこの地球上から一掃する、超高周波地球規模搬送波システム『テスラ・ハート』があるということを。
おれたちはまだ負けませんよ。
錦之丞はそんな気持ちを胸に、保管場所を指示された食料品を台車に積んで、廊下を進んでいた。
と、前から見慣れない制服姿がくるので、おや?と顔をあげると、相手は雷美だった。彼女は聖林学園の制服から、初めて会った時に着ていた白のセーラー服に着かえていた。近くで見ると、ぽつぽつと黒い染みが飛んでいて、事情をしっている錦之丞にはそれが血痕だと分かった。
「どうしたんですか? 元の制服着ちゃって?」
錦之丞は台車を止めて雷美にたずねる。
「まさか、もう帰っちゃうわけじゃないですよね?」
ちょっと心配になって訊いてみた。
「帰らないけど、ちょっと出掛けてくる」雷美はつっけんどんに口を尖らせる。
彼女は可愛らしいというタイプではない。精悍な感じのする美女だ。背は低いが宝塚っぽい。もうちょっと笑顔があると素敵なんだが、と錦之丞はつねづね思っていた。
「本当でしょうね?」錦之丞はわざと疑いの目線を雷美に向ける。
「ちゃんと戻ってくるつもりよ」彼女は偉そうに顎をつきだして錦之丞のことを見上げる。「それはそうと、あたしがいなくても、ちゃんと一刀流の稽古しなさいよ。素振りサボるんじゃないわよ」
「大丈夫ですよ」錦之丞は口元をゆがめて笑う。「暗夜斎先生が相手してくれますから」
「拳と切っ先を身体の中心からずらさないこと」雷美は人差し指をたてて注意をした。「んじゃ、ちょっと行ってくるから」
そう言って昇降口のある方へ歩き出す。
錦之丞は、なんか変だな?と思いはしたが、気にせずふたたび台車を押して仕事にもどった。
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