5 湯煙に咽び泣く
脱衣所で制服を脱ぐ。
聖林学園には職員用の浴場というものがなく、男子寮と女子寮にのみ大浴場があり、職員もそこを使う。うわさでは女子寮にある大浴場の方が男子寮のものより遥かに豪華だという。
板張りの脱衣所はかなりの大きさではあるが、それでも全校女子生徒がいっぺんに入ることはさすがにできないので、入浴の時間割というのが、クラスごとに決まっていて毎週ローテーションする仕組みだ。
ただし、いまはその時間割外。午後三時前という時間帯なので、生徒は入ってはいけない時間。もっとも、大浴場の運営が再開されたことは、まだ連絡されていないので、他に人がいるはずもないのだが。
篠と並んで服を脱ぎかけた雷美は、一瞬躊躇し、となりを盗み見ると、思い切りよくスーツを脱ぎ捨てる篠の動きに観念して制服を脱ぎ去った。
雷美より速いペースで脱衣した篠は、スーツのしたに派手な赤の下着をつけており、服の上から分からぬ大きな胸が深い谷間を刻み、ウエストは腿と同じくらい細く、乳色の肌は絹のように滑らかだった。
そんな彼女の前で服を脱ぐのは躊躇われるのだが、相手がぽんぽんと身にまとったものを取り去っていくのだから仕方ない。引っ張られるように雷美も下着をとり、あまりない胸を手でかくして、勢いよく洗い場にへ向かう篠についていった。
二人でかけ湯して、大きな湯船に浸かる。
明るいうちに入る大浴場は、前に来た時とは光線の角度がちがって、異様に明るく見える。
日に透ける白い湯気。すぐ隣で、髪をアップにまとめて、「ふーっ」とおっさんみたいな息を吐いている篠。ほんのりと赤く上気した彼女の頬と、湯面に揺れる白い裸体に雷美は同性ながらも少しどきどきした。
「さすが、雷美さんは、鍛えられた身体してますねえ」篠が汗ばんだ顔を向けて微笑む。「筋肉のつきかたとか、もう憧れちゃいますよ。やっぱり武術やってると違うんですね」
「いえ、武術は、力を使っちゃ駄目だから、筋肉がつくようじゃあまだまだってことですよ」
「そうなんですか?」
「日本の武術はすべて、ゼロの力で戦います。合気道だってそうじゃないですか。剣術も居合も柔術も、みんなそうです。だって、そうしないと、結局力のある者、体格のいい者が勝つことになるから」
「そうなんですか。あー、でも、あたしももう少し筋肉欲しいなぁ。雷美さんみたいな、鍛えられた筋肉のある、引き締まった身体とか、憧れちゃいますよ。でね、ほら、豹介さんが筋肉が凄いじゃないですか。あの人も絶対鍛えてますよね。で、あたしこの前、言ったんです。『男の人の筋肉ってすごいですよね』って、そしたらあの人、すごくむくれた顔して、『筋肉くらい男に勝たせてくれよ。あとは全部、女に負けてるんだから』って。そんなことないですよね」
篠が楽しそうに笑い、その声が湯気に濡れた壁に反響している。
「でも、園長先生もスタイルいいじゃないですか」
「あたしのは、たるんでるだけですよ。もう、あっちこっちぷにぷにで」
けらけら笑う篠。
やがて二人は黙り込んだ。
雷美が待ち、篠が意を決して口を開いた。
「雷美さん、もうあたし、駄目かもしれません」
雷美は沈黙をもって促す。
「この聖林学園に、『テスラ・ハート』なんてものは、無いんだと思います。調べれば調べるほど、そんなものは無いという結論に行き着くのです。ここは偽装要塞学園です。偽装なんですよ。偽物なんです。父はここに、この場所に、不屍者を寄せつけようとした節があります。ここは、不屍者を、その王、いえ女王である比良坂天狼星をおびき寄せるための罠だったのではないか?と、わたくしは思っているのです。この場所に不屍者たちを集めて攻撃させる。そのために、正門には唯一の穴が開いている。いい城は弱い場所が一ヶ所あるそうです。そこに敵を集めて殲滅するのです。そのために呪禁刀を集めた。もし『テスラ・ハート』が本当にあるのなら、もし地球上からすべての不屍者を消滅させてしまうような機械がこの学園にあるのなら……、呪禁刀はいらないはずです。
この学園の中に不屍者が入れなくするメカニズムも、超高周波電流ではなく、陰陽道的な防壁でした。父は反魂の術を調査する過程で、陰陽道の符呪にもずいぶん詳しくなっていました。そこから一歩進んで、専門の電磁気学と生体化学にそれを応用させ、もしかしたら電磁気的に不屍者を滅する理論を構築したのかもしれません。ですが、そんな研究資料は、父の残した遺産の中には、ひとつも見当たりませんでした。もしかしたら、父はそこまで行きつかなかったのかも知れない。とうとう不屍者のメカニズムを科学的に解明することはできなかった。
だが、知ってしまったのです。この世を不屍者の世界にしてしまおうと企む恐ろしい死霊術師の存在を。そしてそれを殲滅するための作戦を立案したのでしょう。
この偽装要塞学園に不屍者を集めて、呪禁刀で斬り殺そうとした。そして、不屍者をこの学園におびき寄せるための餌が、不屍者を地上から一掃してしまうという架空の機械『テスラ・ハート』だったのです。父は『テスラ・ハート』なんてものは完成させなかった。いえ、造ろうとしたかも怪しい。そもそも、そんなものは、無かったのだと、わたくしは思っているのです。そして、その、有りもしない『テスラ・ハート』が、さも有るかのように振る舞い、みんなに期待をさせ、幻の希望をあたえて、勝ち目のない戦いに赴かせようとしているわたくしは、最低の人間です」
篠は手で口を押えると、喉からこみあげてくる嗚咽を噛み殺し、その身を震わせた。湯に浸かった肩が激しくふるえてさざ波が立つ。雷美はそっと彼女の肩を抱いた。
慰めの言葉は思いつかなかった。この人のために自分ができることは何だろう。
どう考えても、雷美にできることはひとつしかなかった。彼女はそっと篠の身体を抱きしめ、その耳元に口を寄せた。
内緒話でもするみたいに、その耳朶に声を吐きかける。
「園長先生、あたし、ちょっと出かけてきます。すぐ戻るので、安心してください」
雷美はたちあがり、湯から上がると、体中の水滴を払いながら、なかば走るように脱衣所をめざした。
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