4 剣豪の佩刀であったのか?


 園長室には、篠と一刀斎豹介がすでにいた。

 篠はデスクについて難しい顔で、ちいさい紙切れを見つめている。

 ドアをノックして入った百鬼は、さっそく篠の前で土下座しようとするが、一刀斎豹介が彼の襟首をぐいと掴んで立たせた。

「そういうのは、あとにしようや」

 刀剣研ぎ師は、こんな状況下でも口元をにやりと歪めて不敵に笑う。


「園長先生、一刀斎さん、申し訳ありません」それでも百鬼は頭を下げる。「ぼくのせいで、大変なことになってしまって……」

「いえ、それは」篠はやさしく微笑んで首を横に振る。だがその表情にはなんともいえない悲しみが漂っている。「わたくしにも人を見る目が足りませんでした。まさかあの方が比良坂天狼星であるなんて、微塵も疑っていませんでしたから」

「それはおれも同じだ」豹介が顎をこする。「全っ然、気づかなかった。いや決して美人だから疑わなかったなんて、そんなことないんだが」

 それ、言わなきゃいいのに、と雷美が思っていると、豹介が今度は雷美に謝ってくる。「雷美ちゃんにも、すまん。おれと暗夜斎のじいさんは、まんまと奴らの陽動に引っかかって、裏門に走ってたんだ。不屍者の集団が百人近い人数で押し寄せてきて、どうせ入れないんだから放っておけば良かったんだが、その中に生者の敵がまじってないとも限らない。行かざるを得なかった」

「いえ」雷美も首を横に振る。「豹介さんがいてくれても、大して変わらなかったと思います。相手は不屍者で、こちらには呪禁刀がない。たとえあったとしても、百鬼先生の話が本当なら、相手は歴史に名を残すような剣豪たちでしょうし……」


「天狼星と七人の不屍者は、正門から出て行ったのかい?」

 豹介の問いに、雷美はうなずく。

「はい。百鬼先生の見つけた正門の穴は、ほんとうに穴だったみたいです。で、天狼星はそれを封じた振りをして御幣を置いたんですが、あれが偽物か本物かはわからないんですが、とりあえず自分で置いた御幣を自分で踏み折って出ていきました。そのあとに、七人の不屍者もついて行ってましたから、少なくともあの場所には現在、不屍者が通れる穴があるのは間違いないです」


「ってことは、手詰まりだな」豹介が頭を抱える。「こちらには呪禁刀はない。絶対防壁には穴がある。手持ちの食糧は尽きかけているが、でも、水道が復旧したところをみると、食料の納品も再開される可能性は高い」

「防衛部隊は、どうなってますか?」百鬼がたずねる。防衛部隊、すなわち剣道部である。

「さあ?」豹介は首をかしげる。「武道場で、顧問のおっさんが大声で喚き散らしていたから、まだ戦えるんじゃないか? だが、ここから生者が攻めてくるか否か?だな。不屍者がくるのなら、剣道部の出番はない」

「呪禁刀がないから、あたしの出番だってないですよ」

 雷美がため息をつく。


「百鬼先生に連絡を受けて、とりあえず呪禁刀の登録証を確認したのですが」篠はデスクの上に並べられた紙片を指した。「やはり、剣豪の佩刀であったかどうかというのは、ちょっと分からないですね。ただ、『新月』という呪禁刀は、鑑定の結果、大和守秀圀という人の打った刀なのですが、これはちょっと調べた感じだと、新選組の土方歳三の佩刀であったらしいという話があるんです」

 ハガキよりも小さい、古くて黄ばんだ紙切れが八枚、デスクの上に綺麗に並べられていた。日本刀は一振りに一枚、登録証というものが存在し、そこにその刀剣のちょっとしたデータが記載されている。長さであるとか、なかごに切られためいであるとかだ。ただし、記載されているのはせいぜいそれくらいで、その刀がこれまで誰が手にしたものであるのかは分からないのだ。

 そのとき雷美は、そこに並べられた八枚の登録証をみて、不思議な違和感を感じた。なんだろう? なにかがおかしい。そう思った。しかし、つぎの瞬間、篠の口から出た歴史上の人物の名前に、すべてがふっとんでしまっていた。


「土方歳三だぁ?」豹介が素っ頓狂な声を上げる。「それ、冗談だろ? ちょっと有名すぎないか? それに時代が新しすぎるだろ」

「いえ」百鬼が否定する。「呪禁刀を作る技術が失われたのは数十年まえだといいますから、ギリギリ間に合うかと」

「こりゃあ、蝉足教授が苦労して呪禁刀を集めたことが却って仇になったな」豹介は唇を噛む。「いや、ことによると、天狼星がそう仕向けたと見ることもできる」


「稲田村で、比良坂天狼星について、話を伺ってきました」百鬼が静かに語りだす。「言い伝えの域をでないのですが、比良坂天狼星、当時はまだ芹澤天狼星だったのですが、彼女は生まれてすぐに両親を亡くしています。双子の弟がいたのですが、その弟、破軍星という名前ですが、彼もやがて病で失い、彼女はその弟を死霊術によって生き返らせようとしたらしいです。そして驚くべきことに幼い天狼星は、弟の骨に反魂術を施し、ほぼ完ぺきに彼を甦らせたらしいのです。が、その技は不完全で、三日もたたずに弟の身体は腐って溶けてしまったといいます。

 そこから天狼星は、死霊術を極めようと精進を始めたのだとか。彼女はやがて成人して死霊術師として名を馳せます。そのころの彼女の力をもってすれば、死者の魂を呼び出して語らせる『口寄せ』という霊術は、ほぼ完璧にこなせていたらしいです。彼女は新聞などで話題になり、名前も売れます。そんな中、彼女は一人の男性に出会って恋をします。当時有名な剣道家だったそうです。が、不幸にもこの剣道家は飛行機だか船だかの事故に遭い帰らぬ人になったそうです。それから、彼女は気が狂ったという話でした。稲田村の太夫から聞いた話では、気が狂ったようになった彼女は、死んだ人間を完璧に生き返らせる方法を求めて、いずこともなく姿を消したのだという言い伝えが残っているそうです。記録によると、天狼星は、人が死ぬことのない幸せな世界を作りたいと、よく語っていたとか」

 百鬼が語り終えると、豹介は深いため息をついた。

「それはつまり……」


「はい」百鬼がうなずく。「比良坂天狼星は、生者のいない不屍者だけの世界を作ろうとしているのです。たしかに、そこは、人が死ぬことのない幸せな世界かもしれませんが」

「そのために、生きている人を根絶やしにしようというのでしょうか」篠が悲し気につぶやく。「それはおかしいです。本末転倒です。あきらかに、なにかがおかしい。止めなければなりません。比良坂天狼星の望むような、そんな世界に、この世をしてしまうわけにはいきません」

「とにかく、こうなってくると、ぼくたちの力ではなんとも仕様がありません」百鬼は篠に、ずいと一歩近づいた。「あとはこの学園に隠された『テスラ・ハート』に希望を託すしかないのですが、どうでしょう、園長先生。見つけられると思いますか?」

「はい。見つけなければなりませんね」篠は答え、しかし彼女らしくなく、すこし意気消沈した様子でデスクについた。

 肘をつき、開いた両手に顔をうずめる。


「難しいですか?」

 百鬼が近づき、たずねるが、篠は「いえ」と細かく首を横に振る。そしてしばらくそのままでいた。

 やがて、顔から手をどけると、なにか吹っ切れた表情で雷美をみる。

「雷美先生、どうでしょう? 久しぶりに、お風呂にでも入りませんか? ここしばらく水道が止められていましたが、さきほど復旧したらしいのです。で、さっそく女子寮の大浴場にお湯を張らせたのですが、そろそろ溜まっていると思いますから」

 ちょっと虚を突かれたが、雷美は「はい」と答えておく。

 たしかに水の使用制限がかかっていたため、ここ何日かは湯船に浸かっていない。お風呂に入りましょうという篠の誘いは極めて魅力的だった。


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