3 甦って来た者たち


 はっとなった雷美は、恐怖を忘れて呪禁刀にとびつく。

 泥人間が掴んだ部位の上と下を両手でとらえると、刀剣を素早く、車輪を廻す如く回転させた。掴んだ泥人間の手を中心に回転させたのだから、本来なら相手の手は外れて、呪禁刀は雷美の手の中に残るはずだった。

 が、まさに雷美が刀剣を回転させたその一瞬、相手はひょいと鞘を手放し、回転が終わるや否や再びがっしと掴むと、その瞬間雷美の身体がふっとんだ。


 なにが起きたのかまったく分からない。

 気づいたときには、雷美の身体は軽々と飛ばされ、体育館の床の上に転がされていた。ただし、不思議と身体のどこにも痛みがない。

 えっと床の上から振り仰ぐと、くだんの泥人間は、平然と柄の長い呪禁刀を携え、目蓋のない目で雷美のことを無感情に見下ろしている。


「ほほほほ」天狼星が艶やかに笑う。「その柄の長い刀剣は、呪禁刀『八方萬字はっぽうまんじ』、さすれば甦りし剣霊は田宮流居合、田宮平兵衛さまでしょうか。居合には柔術も含まれるといいますね。雷美さん、さすがのあなたも、所詮は現代人。遥か戦国時代に生を受けた剣豪、田宮流居合の流祖が相手では、すこぉし分が悪いのではないかしら?」

「た、田宮流の流祖……?」

 雷美は床に転がったまま、茫然とその屍体を見上げた。目蓋のない目に、唇のない口。かっと見開かれ、がちりと歯を剥きだした、その腐臭を放つ血に濡れたこの化け物が……、田宮平兵衛?

 たしかに、その立ち姿には、強烈な剣気と圧倒的な中心軸が存在する。だが、しかし、……そんなことが。


 比良坂天狼星は、ふっと振り返り、立ち尽くす七体の屍体に一礼した。

「では、みなさま、参りましょうか?」そうして、出口の方を振り返ると、雷美には目もくれず、まっすぐに歩き出す。

 七体の屍体は、ものも言わず、その天狼星に従い、黄泉の国を目指す亡者のように、意思なき姿で歩を進める。

 雷美は立ち上がり、去ってゆこうとする不屍者の群れに、背後から打ちかかろうかと身構えた。が、武器がない。とはいえ、たとえそこに木刀なり竹刀なりがあったとしても、あの泥人形には些かの痛痒すら与え得ないであろう。

 あれは、不屍者だ。呪禁刀以外で傷つけること能わず。そして今、その呪禁刀は八振りすべて天狼星とそれが従えた不屍者の群れに奪われてしまったのだ。


 この体育館に詰めた三百人の生徒と職員たちは、天狼星の集団催眠にかかって、いまも茫然自失の体で立ち尽くし、意識があるのかすら怪しい。その夢遊病者の林の中を、天狼星につき従った不屍者どもは、一列に連なって、いまこの聖林学園から出ていこうとしている。


 雷美は、心の中で、くそっ、と毒づくと、そばにあった燭台を手に彼らを追いかけた。

 このままむざむざ呪禁刀をすべて奪われてしまうわけにはいかない。一本でいい、一本あれば、あの不屍者どもを倒せる。たとえ戦国時代の剣豪を甦らせたとかいう話が本当であったとしても、いまはまだ腐臭を放つ泥人形である。うまく動けるとは思えない。

 雷美は体育館を出たところで不屍者の列に追いつくと、その最後尾の一体の後頭部に向けて手にした燭台で、音もたてずに殴りかか──ろうとして……。

 動けなかった。

 雷美が殴りかかろうとしたまさにそのタイミングで、その泥人間はひたりと動きを止めたのだ。

 左手に提げた呪禁刀も、だらりと下した右手も、まったくの無反応で、なにかをするモーションは全くなかった。だが、雷美は直感した。魂が震えるような恐怖を感じた。


 いまもし、この燭台で殴りかかっていけば、自分は確実に真っ二つになる。そうはっきりと実感した。

 雷美は振り上げた燭台を、一ミリも下ろすことが出来ず、その場に凍り付く。

 それに気づいたのが、最後尾の不屍者は、何事もなかったかのように、再びのそのそと歩みだしたのだった。









 雷美は荒れた体育館の惨状を、舞台のへりに腰かけて、足をぶらぶらさせて眺めていた。

 蹴倒された結灯台、床に放り出された幟、転がる六角唐櫃。だれかが怒りに任せてくしゃくしゃに丸めたヒナゴ弊が転がり、割れた長柄銚子に引っかかって風で揺れていた。

 比良坂天狼星が七人の不屍者を甦らせ、彼らを率いて聖林学園の正門から堂々と出て行って、すでに二時間。集団催眠と反魂香からの幻覚作用から覚めた生徒と職員たちは、軽いパニックに陥っていた。

 ある者は泣き叫び、ある者は祭壇に怒りをぶつけて、見事に騙されて不屍者復活の儀式に協力し、鮮やかにすべての呪禁刀を奪われてしまった敗北感と絶望感を、なんとか誤魔化そうとするのだが、だれもが認めざるを得ないその現実を消し去ることができずに苦しんでいた。

 いまもどこかで窓ガラスが割られる音がしていた。



 ピリピリと雷美のスマホが振動した。画面をのぞくと、彼女の自宅から。母だろう。

 通話ボタンを押して、極力明るい声を出す。

「もしもし? お母さん?」

 母だった。話の内容は想像通り、いつ帰ってくるの?という懇願。

「ごめん、お母さん、ほんっとうにごめん。もうちょっとこっちにいないといけないの。……うん、わかってる。でもお願い。どうしても、放っておけないのよ。……うん、……うん、必ず終わったら帰るから。お願い、これだけは……。え? だいじょうぶだよ」

 雷美は思わず笑ってしまった。

「だいじょうぶたよ、カマドウマでしょ? あんなのバッタの一種だから、殺虫剤掛ければ死ぬから。……そう、……そう。それで死んだらホウキとチリトリで。……うん、わかった。ちゃんと連絡するから……。うん、また明日ね」

 ほっと一息ついて、スマホをしまう。

 いまここで、不屍者の軍勢に敗北を喫した雷美だが、彼女の母は家に出た虫一匹に大騒ぎしていた。

 雷美はやり切れなさを感じつつも、絶対にここで負けてしまうわけにはいかないと思った。ここで不屍者どもをなんとしても、食い止めなければ……。

 しかし……。



 あたしたちは、泰山府君祭によって纐血城高校を吹き飛ばすことができるはずではなかったのか? すべての不屍者を土に返すことができるはずではなかったのか?

 どこで間違ったのだろう? 騙されたあたしたちが悪いのか? 騙したあいつらが上手いのか?


 わけも分からず巻き込まれて、一緒に戦うことになってしまった雷美ではあったが、どうにも苦い後悔と煩悶が喉元から飲み込めずにいる。

 そんなところへ駈け込んで来たのが、山口百鬼だった。モスグリーンのカーゴパンツにタクティカル・ベスト。なんか鉄道マニアっぽい陰陽師は、体育館の惨状を一瞥すると、雷美の姿を見つけて、ぱたぱたスリッパを鳴らして走ってきた。


「雷美さん、無事ですか? 不屍者とやり合ったと聞きましたが」

「相手にならなかったわよ」鼻から大きくため息を吐く。「天狼星は、あれが田宮平兵衛だといったけど、本当なの?」

 百鬼は唇を噛んだ。

「園長室に行きましょう。その道すがら、簡単に説明します。ですが、その前に……」

 百鬼はその場に膝をついた。そして両手をつき、額を床にすりつけ、腹の底からの大声で叫んだ。


「申し訳ありませんでした!」

 雷美はびっくりして舞台から飛び降り、百鬼のそばに膝をついた。

「ちょっと、なにしてんのよ! やめなよ」

「すみませんでした」百鬼の声は涙に濡れていた。「最初に騙されたのはぼくでした。ぼくがあいつを、比良坂天狼星を陰陽師の芹澤穂影だと信じ込まされて、まんまとこの学園に紹介してしまった。あいつは最初からそうするつもりだったんです。いじめられっ子のぼくを焚き付け、陰陽師の才能があるって持ち上げて、半人前の陰陽師なのに、さも一人前みたいに扱って、ぼくはすっかり舞い上がっていた。あいつは、そのぼくを利用してこの学園に入り込み、呪禁刀をすべて奪っていきました。比良坂天狼星の目的は、呪禁刀だったんです。ぼくはそのために、いいように利用されました。ぼくはあいつに騙され、おだてられて増長し、愚かな舞を踊ってしまった。この責任はすべて、ぼくにあります」

「いや、そんなことないって」雷美は百鬼の背中を撫でる。「騙されたのは、みんな同じだから」

「たしかにそうです。ですが、天狼星がみなさんを騙すのに、ぼく自身がもっとも貢献したというのも事実です。A級戦犯は、やはり誰が見てもぼくであることは明らかです」

「でも、まあ、あたしにそんなに謝る必要も、ないんじゃない?」

「いえ、もう少しで雷美さんは命を落とすところでした」百鬼はやっと顔をあげた。「あの不屍者は特殊な不屍者なんです。稲田村の『太夫たゆう』という神職者の方にいろいろ話をうかがってきました。あれは呪禁刀に封じ込まれた呪詛しゅそを一部開放する『剣魔顕現けんまけんげん』という秘法らしいです」


「ケンマケンゲン?」雷美は百鬼のまえに正座した。「なにそれ?」

「呪禁刀を作る技術はすでに何十年も前に失われているのですが、その作成元となる刀剣には、いくつかの条件があることが、文書には記録されています。ひとつは人を斬っていること。もうひとつは、それが剣聖剣豪の佩刀であること、です。あれらの刀は、いずれも過去に剣豪といわれた名人達人が所持し、じっさいに使用した刀剣なのです。そして、その佩刀である刀剣には、とうぜん持ち主の剣技が宿っている。天狼星はその剣技を、蘇らせた不屍者に読み込ませる秘儀を使いました。それが『剣魔顕現』です。ですから、天狼星が言ったように、あの不屍者が田宮何某なにがしという剣豪であるかというと、それは正確ではありません。おそらくは反魂の相性がいい、剣魔の子孫、すなわち田宮何某の血を引く死者を不屍者として甦らせ、その剣技を降臨させていると推測します」

「つまり、あれは田宮平兵衛本人ではなく、田宮平兵衛の血を引くだれかを甦らせた不屍者である、そういうこと?」

「はい」

 百鬼はしっかりとうなずく。彼にちょっと元気がでてきたみたいで雷美はほっとしつつも、「でも、ちょっと待って」と続ける。

「……ということは、その話が本当なら、比良坂天狼星のもとには、いま過去の剣豪の技を受け継いだ不屍者が七人いるってことになるよね?」


「そうなりますね」うなずいてから百鬼は気づいたらしい。腕組みして、うーんと唸った。「相手は通常の武器では死なない不屍者ですし、呪禁刀があれば殺せますが、相手は剣豪の剣技を降臨させているわけだから、もしこちらに呪禁刀があったとしても、斬り殺すのは……」ちらりと雷美の方を見上げて「無理、ですよね?」

「あのさぁ、知らないかもしれないけど、田宮平兵衛ってのはね、居合の道祖といわれる林崎甚助の直属の弟子なわけよ。居合の田宮流なんていったら、日本最大最強の居合の流派なわけで、その流祖の田宮平兵衛なんて、史上最強の剣客の一人なんですけど」

「うーん」百鬼は頭をがりがりと掻いた。「まいったなぁ」


「そっか」雷美は納得した。「天狼星は呪禁刀を恐れていたわけじゃないんだ。その剣魔が欲しかったんだ。もしかしたら呪禁刀は、まだ日本のどこか眠っているかも知れない。それを見つけ出して、だれかが自分たちを斬りに来るかもしれない。でも、もしそのときに、歴代最強の剣豪たちが味方についていれば……」

「雷美さん、とりあえず園長先生に会いに行きましょう」百鬼は立ち上がった。「いまさら手遅れかもしれませんが、あそこにあった八振りの呪禁刀がだれの佩刀であったかくらいは、聞いておきたい。そのあとで、これからどうするか? そして、敵がどう出てくるか? そういったことを考えましょう」

 雷美も立ち上がるが、ちょっとあきらめたように嘆息する。

「まあ、天狼星にしてみれば、あたしたちなんてもう敵でもなんでもないかも知れないけどね」

「いえ、そんなことはないです」百鬼はきっぱりと言い切った。「まだ逆転のチャンスはあります。蝉足教授の『テスラ・ハート』です。あれさえ見つけることができれば」

「そうか」

 雷美ははっとした。そういえば、たしか不屍者をこの地上から一掃してしまう凄い発明品があるとかないとか、そんな話であった。

 呪禁刀のない今、頼りはその『テスラ・ハート』のみとなる。

 だがそれ、本当にあるのだろうか? あったとして、見つけることができるのだろうか?

 雷美は、歩き出した百鬼の背中を追いながら、疑問に思わざるを得なかった。

 あるとしたら、どうしていままで見つけられなかったのか? 果たして、今まで見つけられなかったものが、そう簡単にいま、見つけられたりするのだろうか?


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