第4話 反撃の陰陽師

1 美しき陰陽師


 その女性は幻想のように美しかった。

 篠の美しさが太陽のような健康美であるとするならば、芹澤穂影の美しさは淡雪のような儚き美であった。

 蝋のように白い肌。色素が薄く赤茶けた長い髪。風が吹くと折れてしまいそうな細い肢体。そしてなによりも彼女を特徴づけるのは、その目だ。彼女の瞳は、シベリアの湖水のような、澄んだ青色であった。日本人には珍しい、清涼な碧眼なのである。

 その宝石のように透き通った目で雷美たちを見つめ、穂影は柔らかく微笑みながらゆっくりと一礼した。


「どうも、初めまして。芹澤穂影と申します」

 なにか関西弁を思わせる独特のイントネーションがある。その美しい立ち姿も相まって、なんとも不可思議に響く艶のある声だった。

「暑うございますね」

 いいながら、白いハンカチで鼻のあたまをちょんと拭う。その仕草が妙に可愛らしくて、雷美は思わず微笑んだ。隣では、萬屋錦之丞が魂を抜かれたようなため息をついている。一番うしろからは、一刀斎豹介の小さい拍手が聞こえてきていた。

「ようこそ、いらっしゃいました」篠が前に出て挨拶する。「聖林学園園長の蝉足篠です」

 穂影は、白いノースリーブのワンピース。足には籐のサンダル姿。他にはなにも身につけていない。手にはレースの日傘を折りたたんで持つだけで、ハンドバッグの類も所持していなかった。


「途中、纐血城高校の不屍者に、襲われたりはしませんでしたか?」

 呑気で能天気な篠の問いに、穂影はにっこり笑う。

「不屍者がきたら、その不死の呪いを解いてやる迄です。それが分かっていて、不屍者の方で、あたしを避けているのじゃないでしょか」

 穂影は、ひょいと膝を曲げると踵を上げ、指を伸ばしてサンダルのホックを外す。なんとなくその不器用な姿がかわいい。

 この人が……。雷美は息をのんで刮目する。この人が本当に不屍者の群れを殲滅するほどの術をつかう陰陽師なのだろうか? とてもじゃないが信じられなかった。

 ここまで来る途中の廊下で、穂影は篠とおなじ二十九歳と聞かされたが、目の前の美女はまるで十代のように幼く見える。が、たしかにメイクはちょっと濃い。


「篠先生?」スリッパを素足につっかけた穂影は、子犬のような無邪気な目で、長身の篠を見上げた。「折り入ってお話がございます。どこか場所を選んでいただけますか?」

「はい。では、園長室でいかがでしょう」

 穂影はうなずき、周りに立つメンバーを見回す。「何人か、信頼のおける方だけ集めて、お話をさせてください」

「この場に信頼のおけない人物は一人もおりません。ですが、大勢いては話しにくいこともございますね。ややこしいお話でしょうか?」

 穂影は桃色の唇を噛んだ。

「ありていに申し上げて、あの纐血城高校のしゅを解くのは、ちょっと難しそうなんです」

 一同のあいだに、やはりそうかという種類の、かすかな動揺が走った。




 そこから先の詳しい話を穂影から聞くのは園長室で、ということになり、篠は、雷美と錦之丞、一刀斎豹介、そして山口百鬼を指名して、最上階にある見晴らしの良いあの場所に向かった。

 園長室は、片側の壁一面がガラス張りの展示コーナーになっており、八振りの刀剣が飾られている。

 昨日まで展示されていなかった『骸丸』も、いまは片隅の刀掛にこしらえのまま乗っかっていた。


 園長室に案内された穂影は、びっくりした目で八振りの呪禁刀を見回す。

「これは凄い」ため息まじりに言葉を吐き出す。「この刀、一本一本がまるで神宮じんぐうクラスの術式を封じ込まれていますね。これなら、たしかに不屍者ごとき一撫ひとなでで滅されてしまいましょう。うん…………」

 呪禁刀に碧眼を向けた穂影は顎に指をあて、なにか考え込んでしまう。

 その隣では、一刀斎豹介が、口をぽかんとあけて刀剣の展示を眺めている。

「初めて見せてもらったけど、こりゃ凄いなぁ。美術品として価値のある刀剣もあるが、ほとんどが実用品ばかりだ。逆になかなかこういうコレクションってないよな。これ全部、結構血を吸って、結構研ぎ減りもしてる。相当これまでに不屍者を斬ってきたってことなんだろうな」


 一方、雷美と錦之丞は、ソファー・セットの末席について、ちょっと居心地悪そうにしている。雷美は小声で錦之丞に「なんで、あたしたちが呼ばれてるのよ?」と尋ねたが、錦之丞からは「うーん」という低い唸りしか返ってこなかった。

 篠はテーブルの上に、氷の浮いた冷茶をならべ、「先生方、お茶をてましたよ」と声をかけている。ちなみにガラス器に入った冷茶は、煎茶ではなく抹茶。薄茶うすちゃであった。

 ソファーに腰をかけた穂影は、「あら、抹茶なんですのね」とちょっと目を丸くするが、篠の返答はすこし意外。

「生ごみがでなくていいんです」

 そんな理由かよ!と、突っ込むべきか否か、一瞬迷い、黙っていることに決めた雷美は、冷抹茶を一口すする。

「結構なお点前で」

 飲み終わらないうちに言ってしまった。


 篠が席に着き、それで全員が着席した。

「穂影先生、さきほどのお話を詳しくお聞かせください」

 篠が口火を切る。

「そうですね」アイスブルーの瞳で一同を見回して、芹澤穂影は言葉を紡ぐ。「ここに来る途中、纐血城高校の前を歩いてきました。あれは、凄い。賽の河原の石を切り出して積み上げています。黄泉の国の建造物です。あんなものを作り出す比良坂天狼星とは、恐るべき神通力をもった死霊術師でしょう。はじめあたしは、不屍者といってもその数せいぜい数十人であろうと高を括っていました。が、あの纐血城高校という不屍者の城塞の内部には、おそらく何百人クラスの不屍者が収まっています。あの一帯だけ、黄泉の重圧で龍脈が歪んでしまっていました。あれほどの死霊術式、果たして通常の『泰山府君祭』で滅することができようとは、とうてい思えないのです」


 これで三日後に帰るのは難しくなるかな。雷美が思ったのはそんなことだった。だが、もし本当に穂影のいう通り、あの纐血城高校を『泰山府君祭』とやらで消し飛ばすことができなければ、この聖林学園はどうなるのだろう? そして、もし、本当にその死霊術師の比良坂天狼星なる怪物が、この世を不屍者の国にするつもりであるのならば、それは笑いごとでは済まされない大事件ではあるまいか。


「え? それは、ほんとうですか? お師匠様」

 穂影の言葉に一番驚いたのは、だれあろう山口百鬼。彼はさきほどの現場にいなかったので、この話を聞くのは初めてとなる。

「うーん、ちょっと難しいねぇ」穂影は眉間に皴を寄せる。「ところで、篠先生。百鬼から、この学園に存在するかもしれない『テスラ・ハート』なる機械の話を聞いたのですが、なんでも不屍者を地上から一掃してしまうことができるとか。それは本当の話なのですか?」

「父が残した記録では、そうなっております。地球を包む電磁的定常波にのせて、ヒーラ細胞の不死性を阻害する超高周波電流を全世界に放送できるそうです。しかも、地球自体の電場、磁場を理由するため、ほとんどエネルギーを使わないフリーエネルギー・システムであるとか」

「そんなことが……」

 篠の説明に、穂影は軽い衝撃を受けたようだった。


「ええ、理論上はたしかに可能です」しかし篠は首を横に振る。「ただし、その『テスラ・ハート』、校内に隠されているのは確実なのですが、いったいどこに隠蔽されているのか。父が残した日記やノートを調べているのですが、隠し場所に関した記述は皆無なのです。いま生徒会長の三越くんが中心になって校内を捜索してくれているのですが……」

「見つけられると、思いますか?」

 穂影はシビアな表情でたずねる。

 篠は強くうなずいた。

「見つけてくれると、信じています」


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