7 ただの剣術です


「園長先生?」雷美は武道場で繰り広げられる剣道部の激しい稽古を見渡しながら、篠にたずねてみた。「先生は、ここの剣道部に呪禁刀を持たせて、不屍者と戦わせるつもりなんですか?」

 しばらく沈黙があり、言葉を選びながら篠は答える。

「あわよくば、と考えていました。わたくしも学生時代剣道部に所属していて、そこで学んだことも大きかったのです。剣道には、ほかのスポーツにはない精神性があると思うのです」

「それは認めます。柔道みたいに、技あり二つ合わせて一本なんて変なルールはないし」


「ですが、昨晩、雷美先生の技を見せつけられて、わたくしは痛感いたしました。剣道では不屍者は倒せないと。あのとき雷美先生は、あの仏生信行の、まるで天から降ってくるような斧鉞ふえつのごとき剛剣を一刀のもとに切り落としてみせました。ぞっとして、わくたしの全身から汗が吹き出しました。雷美先生はあのとき、剣刃下で一歩踏み出し、まるで霹靂へきれきのごとき仏生の一刀を踏み折るかのように切り落としました。手でせず、足でせず。あれこそがよく謂う、気剣体一致の境地でしょう。わたくしも剣道をやっていたからよく分かります。竹刀の打ち合いの果てに、あの一刀はありません。何年何十年と剣道を続けても、あの場所に立つことは、絶対に出来ないでしょう」


「ただの剣術です」雷美の返答は素っ気ない。「何百年かまえに作られた剣術は、ただの武術です。それ以上でもそれ以下でもない。でも、それを作った人たちの血は、いまもあたしたちの中に流れています」とここでぺろりと舌をだして笑う。「……と師匠がいってました」


 つぎに雷美が案内されたのは、講堂だった。

 だたし、ここには聖林学園の生徒はおらず、がらんとした板の間に、体格のいい男が片膝をつき、敷物の上でリズムのいい一定の動きを繰り返していた。

 木の台に固定された砥石。その前に置かれた水桶。男の両手には、細長い銀色の刀身。


ぎ師?」

 雷美が首を傾げる。

伊勢崎町いせさきちょう一刀斎いっとうさい先生です」

 篠が紹介し、研ぎ師は顔をあげた。

「やあ、篠先生。相変わらずお美しい」男は屈託なく笑い、立ち上がった。


 傍らに棺桶みたいな巨大な木箱がおかれている。どうやらそれが彼の道具箱であるらしい。蓋が開いていて、中に砥石やら刀のパーツやら刀そのものやらがぎっしり詰まっているのが見える。彼は、そのなかからボロい手拭いを出して、手をふきながら近づいてきた。

 長身で、作務衣の上からも、その鍛え抜かれた筋肉がうかがえた。「おや、そちらのお嬢さんはもしかして」

「はい。うわさの市川雷美先生です」

「どうも、市川雷美です」

「はじめまして。研ぎ師の伊勢崎町豹介ひょうすけ一刀斎です。あ、一刀斎っていうのは、研ぎ師の号です」

「研ぎ師の先生なんですが、一刀斎という名前だったので、てっきり剣術の先生かと勘違いして呼んでしまったのです」

 篠が照れくさそうに笑う。


「いやあ、いい学校ですよね。山の上にあるから、風通しがよくって涼しい。仕事がはかどります。美人もいるし」伊勢崎町一刀斎豹介は白い歯を剥いてにかっと笑う。「しばらくここにいるつもりです。なんか、研ぎの仕事も入ってきそうだし」

「変な人ですね」

 雷美は思いっきり当人の前で感想をのべた。

「ええ」篠も否定しない。「でも、いろいろアイディア出してくださるんですよ。籠城戦の準備も、豹介さんのアイディアです。食料を備蓄しろと。あと飲料水の確保とか」

「へえ、そうなんですか」

 雷美がちょっと感心していると、奥のドアからもう一人、講堂内に入ってくる。

 痩せた老人。涼しげな麻の着流しに、やわらかそうな朱の帯。その腰に、脇差を差している。


「あれ?」雷美は思わず声をあげた。見たことがある人だったからだ。「もしかして、暗夜斎あんやさい先生ですか?」

「ん?」白い頭髪を五分刈りにした老人は、きらきらした瞳を向けて、おおっ!という表情を向けてきた。「なんだ、もしかしてワン子ちゃんじゃないか」

「そ、その呼び方はやめてください」雷美はちょっと頬を熱くして両手でさえぎる。

「ずいぶん大きくなったなぁ。あのころ道場で子犬を抱っこしてた女の子とは思えないぞ。でも、猫目はあのころのままだな」

「お久しぶりです」

「鷹沢のやつは病気らしいな。悪いのか?」

「ええ、かなり。でもまだ死にそうにないです」

「じゃあ、一刀流の市川雷美先生とは、ワン子ちゃんのことだったか。ワン子ちゃん、雷美なんて名前だったんだな」

「もう! そのワン子ちゃんはやめてください」

「ははは、悪い悪い」暗夜斎は白い坊主頭を掻く。「しかし、さもありなん。一刀流を習う者は多いが、きちんと使える奴は少ない。鷹沢に鍛えられたワン……雷美ちゃんなら、納得だ」

「いえ、その、えっと」


 ちょっと照れる雷美に、篠が横から嬉しそうに声をかける。

「お知り合いでしたか。やはり剣術家同士の交流というものでしょうか。鐘捲かねまき流居合の鐘捲かねまき暗夜斎先生をご存知とは」

「いやまあ、一刀流の流祖、の方の伊藤は、鐘捲自齋の弟子ですから、いろいろと交流があるんです」暗夜斎は快活に笑い、いたずらっぽい視線を伊勢崎町一刀斎へ向ける。「ところで雷美ちゃん、ちゃんと居合の稽古は続けてるかい?」

「あ、いや、それは」

「よし、ちょうどいい。あとでやってみよう」暗夜斎は嬉しそうに指をパチンと弾いた。「おい、一刀斎。そこの箱にたくさん入っている刀を二本くらいちょこっと貸してくれ」

 豹介の傍らの木箱を指さす。


「いや困りますよ」研ぎにもどっていた豹介が文句をいう。「これ、お客さんから預かった刀なんですから、居合の稽古につかわれちゃ堪らない。あとでぼくの車から稽古につかえる刀を探してきますから、少し待っててくださいよ」

「あの三尺三寸の大太刀がいい。あれを雷美ちゃんのまえで見事に抜いて見せてやるから」

「ですから、あれはお客さんのですって」


 一刀斎と暗夜斎が言い争う講堂に、生徒会長の三越玄丈が入って来た。

「園長先生、陰陽師の芹澤穂影って人が、いま校門のところに来ていますよ」

「ああ、穂影先生が到着しましたか」

 篠は嬉しそうに破顔したが、三越玄丈は不機嫌に唇を引き結ぶ。

「陰陽師の先生かぁ」暗夜斎が首を傾げながら、顎をなでる。「本当に拝むだけで、不屍者どもが消えてくれるのかなぁ」

「とりあえず、お迎えにはいきましょう」

 篠が歩き出し、そこにいた全員が興味にかられてついて行く。半信半疑、者によっては、その陰陽師の瑕疵かしを見つけてやろうと意気込んで。

 そして、このあと、雷美たちは、陰陽師・芹澤穂影という美女に会うのであった。


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