6 武道場の剣道部


 二人は篠にしたがって武道場に足を踏み入れる。

 板張りの道場内は、熱気と喧騒、汗と防具の放つ悪臭でむっとしていた。

 中では何組かの部員が防具をつけて激しい実戦形式の打ち合いを演じており、壁際に正座した残りの部員たちが彼らに声援を送っている。

「馬場コーチ」

 腕組みして立っている、頭に毛がほぼない男性に、篠が後ろからそっと声をかけた。紺のポロシャツにスラックス。腕の太く体格の良い彼は厳しい表情で振り返り、腕組みをとかずに一礼する。


「馬場コーチ、こちらが一刀流の市川雷美先生です」篠は雷美を紹介する。「雷美先生、こちらが当学園の剣道部を見ていただいている馬場コーチです」

「どうも、市川雷美です」

 雷美はぶっきら棒に一礼した。

「どうも、馬場です」

 馬場コーチはさすがに腕組みは解いたが、仏頂面は崩さず、上から見下ろすようにして頭をちょっとだけ下げた。

「馬場コーチ、練習の方はどうですか?」

 篠は前に出て、コーチと会話を始める。

 雷美はその場からうごかずに、道場内での試合をなんとなく眺めた。

「雷美さんは、剣道はするんですか?」

 錦之丞が小声で訊いてくる。

「しないわね。『剣道』は『剣道』。これはこれで完成された競技のひとつなんじゃない? 剣術とはほぼ無関係でしょ。防具付けて竹刀振り回しても、あたしじゃ勝てないんじゃないかな?」

「でも、仏生を……」

「あれは、あれ。あたしは、『剣術』の専門家だから」雷美はちいさく肩をすくめる。「剣道ってのは、面小手胴という決められた部位を打突するのが目的の競技でしょ。剣術の目的は、究極は、生き残ることだから、すこし物事の次元がちがう」

「あの、雷美さん、さっきも言いましたが、じつは雷美さんがくるまえに、おれたちの剣道部の人間が二人、纐血城高校の奴に木刀で挑まれて病院送りにされているんですよ。……それで」


「そんな必要はありませんよ!」

 突然響きわたった大声に、雷美たちばかりでなく、道場で練習している部員たちまでもが、ぴくりと動きをとめて押し黙った。

 大声で叫んだのは、剣道部の馬場コーチ。コーチが真っ赤な顔で睨みつけている相手は、だれあろう園長先生こと蝉足篠。大柄なコーチに睨まれても、しかし篠は表情ひとつ変えずに涼しい顔で話を続けた。


「いえ、馬場コーチ。やはりいまの剣道部は、雷美先生に一刀流を教えてもらうことが必要だと、わたくしは考えてるいるのです。これは先日、石塚くんと堀くんが大怪我をさせられたことからも分かると思うのですが、やはり剣道ばかりではなく、いまは剣術という古武道からのアプローチもいい勉強になるのではないでしょうか? わたくしは昨夜、雷美先生が纐血城高校の不屍者、仏生信行と戦う姿を目の当たりにしました。ぞっとするほど、美しい戦いでした。わたくしには、いまの剣道部には、あの雷美先生の剣技が必要であると、確信した次第です」

「古流剣術のかた稽古なんか、実戦ではまったく役に立ちません。相手がどう動くか分かっているかたの反復練習に、どんな意味があるのですか? 剣道でも、古流の形稽古をやっている者が試合で有利というデータは皆無です。古流剣術なんぞ、ただの形骸であり、歴史の遺物です。あんな盆踊り、現代武道にとってまったく意味がない。江戸時代ですら、防具や竹刀の発達により進化した斬り合いの技術が、鎌倉時代の形稽古中心の古流を凌駕していたのですよ」


 篠は困った顔をして雷美の方を振り返る。が、すぐに気を取り直したように馬場コーチに向き直ると、「そうですか、残念です」と一言告げ、一礼すると雷美たちの方へ戻って来た。

 が、馬場コーチは収まりきらないようで、こちらへ顔を向けて錦之丞に怒声を放つ。

「萬屋! お前、練習にも出ないで、そこでなにやってる! やる気ないなら、すぐにでも退部届を書け!」

 驚いた篠が馬場コーチを振り返り、ひとこと言おうとするのを、錦之丞自身が止めた。

「園長先生、かまいません。ぼくも剣道部をやめようと思ってましたから」

「萬屋くん。もしかして、あの夜、石塚くんたちが襲われたことに関して、あなたが責任を感じているのかしら。だとしたら、あれは……」

「いえ」錦之丞は首を横に振る。強く振る。「そうではないです。ただ、なんか、ぼくの性に合わないな、とそう前から思っていただけで」

「そうですか」

 篠は残念そうに目を伏せた。

「園長先生!」馬場コーチはまだ収まりがつかないのか、大声を出している。「なんでも、おかしな拝み屋を呼んだらしいですね。百鬼とかいう。神様にお祈りして、不屍者が死んでくれるとでもお思いですか! まじないで纐血城高校が消えてなくなってくれるといいですな」

 篠は言い返さなかった。



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