5 ほんとうにそんなことがあるのか


「あの、では、ぼくはここら辺で」百鬼が思い出したように立ち上がった。「三日後の『泰山府君祭たいざんふくんさい』に向けての準備がありますので。いま、すでに、いろいろと物資が搬入されてきていて、急いでうちの師匠の荷物をピックアップしないと、籠城戦用の食糧なんかに紛れてどっかに行っちゃいそうなんです」

 百鬼がたちあがったので、篠も立ち上がる。必然的に三越玄丈と萬屋錦之丞も立ち上がり、雷美もあわてて立ち上がる。


 そそくさと学食を出ていく百鬼を見送りながら、雷美は篠にたずねた。

「三日間だけここにいてくれっていうのは、その『うんちゃらなんちゃら祭』が終わるまで、ということですか」

「そうです」

 しずかに肯定する篠の横から、錦之丞が「『泰山府君祭たいざんふくんさい』ですよ」と訂正をいれてくるので、「うっさいわね」と言い返しておく。


「さきほどお名前の出た芹澤穂影先生が、死者を慰める祭式をとりおこなっていただけることになっているのです。それが『泰山府君祭』といって、陰陽道ではこの世に満ちた命の流れを正常なものに戻す祭式であるといわれているのだそうです。芹澤先生によると、この泰山府君祭を執り行うことりにより、この世の不屍者は殲滅できる、とのことなのです」

「ほんとうにそんなこと、あるんですか?」

 雷美は首をかしげる。三越玄丈の言う通り、お祈りするだけで、あの強力な不屍者がこの世から消えてなくなるなんてことが、あるのだろうか?


「ほんとうにそんなことがあるのか?」篠はしずかに微笑んだ。「わたしはここ十年、毎日毎晩、その疑問につきあたります。不屍者のこと、呪禁刀のこと、そして陰陽道のこと。でもそのたびに、必ずどこかから助ける手が差し伸べられ、光が差して、行くべき道を指し示してくれました。雷美先生との出会いもそうではないでしょうか? わたくしはきっと『骸丸』が雷美先生との出会いを導いてくれたのだと思っているのです。日本刀には、そういう力があると思いませんか」

 雷美は口をへの字に歪めて答えなかった。

 よく言われることだが、刀というのは、その人にふさわしい物が向こうからやってくるのだそうた。いや、日本刀の方で、その持ち手を選ぶのだとも言われている。いずれにしろ、刀剣は人より長生きである。畢竟ひっきょう、刀剣は所持するものではない。お前が生きている間、お前がそれを預っているに過ぎないのだ、とは雷美の師匠の鷹沢善鬼の言葉である。


「雷美先生」篠はまっすぐに真摯な視線を、雷美に送ってきた。「わたくしは、芹澤穂影先生を信じてみたいのです。そして、三日後の泰山府君祭ののちには、この世の不屍者はすべて滅んでいると思いたいのです。ですが、そうなれば、不屍者の王・比良坂天狼星も黙ってはいないでしょう。あの手この手で妨害を行い、場合によっては芹澤先生の命を狙ってくるかもしれません。ですので、あと三日。三日だけで結構です。どうかこの聖林学園にご逗留いただき、わたくしたちのことを、その類まれなる剣技で守っていただきたいのです。いかがでしょうか?」

 雷美は静かに目を伏せた。

「承知しました」そう言って目をあげ、にっこりと笑う。「これも成り行きですね。三日後の泰山府君祭まで、あたしなんかで良ければ、お手伝いさせていただきますよ」

 ま、三日位いいか。とそのときの雷美は思ったのであった。



 そのあと、雷美は園長の蝉足篠たちにつれられて校内を案内された。

 いま聖林学園は籠城戦の準備で忙しい。夏休み中で授業はないのだが、多数の職員と生徒が寮に残り、不屍者の襲撃に備えている。

 百鬼が不安を口にした正門から、大型のトレーラーが校庭に進入してきて荷物を降ろしている。台車に積まれた食料品が、冷凍、冷蔵、常温の三種にわけられ、それぞれの保管庫へ向けて運ばれてゆく。現在その指揮をとっているのは、なんと高校生。クリップボード片手に、搬入業者へ荷物を置くゾーンを指示し、一方で空台車を持ってきた生徒へは、運ぶ荷物とその行き先をつぎつぎと指示している。

 が、その生徒。恰好がちょっと変だった。

 たすきがけして袖をまくりあげた浴衣──縮の上物──に、裾の擦り切れた古い藍染めの袴──おそらく使い古した剣道用──をつけ、足には白足袋と雪駄。そして腰には大小の刀を差していた。

 長髪で、けっこう精悍な面構えの美男子なのだが、その服装はまるで時代劇から飛び出てきたようだった。


吹雪ふぶき、すまん」生徒会長の三越玄丈が気さくに声を掛け、相手も手を挙げて合図を返してくる。「あとで変わるから、もうちょっと待っててくれ」

「三越、いいからこっちはおれに任せとけって。たぶんお前より、おれの方が上手いから。で、そっちの美少女はだれ?」

 雷美のことを指さす。

「こちらが、市川雷美さんだ」三越が雷美を紹介した。

「おー、あの、うわさの凄腕用心棒さん。え? こんな小っちゃいの?」

「あんた、初対面でさ、いきなり小っちゃいとか普通言う? 市川雷美です。身長は百五十です」

 雷美は手を差し出した。

「いいじゃん、そのまえにちゃんと美少女っていったんだから」相手は手のひらをかるく袴の尻で拭いてから、雷美の手を握り返す。「吹雪ふぶき桜人さくらとです。よろしく」

「それ、呪禁刀? あんた、剣道部じゃないでしょ」

 雷美はちょっと面白そうに笑った。この吹雪桜人という生徒。おかしな奴だ。

「これは、居合いあい刀」ぽんとつかをたたく。「お察しの通り剣道部じゃない。アクション同好会の殺陣師たてしだ。どうして剣道部じゃないってわかったの?」

「刀の差し方を知っているからよ。剣道の人って、帯を締めないでしょ。あんた、刀はちゃんと使えるの?」

「いや、格好だけ」桜人は苦笑した。「殺陣師だからね。剣の扱いに関しては、今ちょうど美少女の師匠を探している。小っちゃくてもいいから。──あ、そっちの荷物は常温だけど要冷に運んで」

「見つかると、いいね」雷美は手をひらひら振るとその場から離れた。「いま忙しそうだから、あとでまたくるよ」


 雷美が篠のところに戻り、一行は移動を開始する。

「つぎは武道場に行きましょう」篠が先に立って歩きだす。

 三越だけは、搬入を手伝うということで、この場に残った。

 篠に従った雷美は、錦之丞と三人で、校舎の裏にまわり、中庭を走る屋根付きの渡り廊下を進む。武道場に着かないうちから、剣道部のどったんばったん床を踏む音や、激しい気合の声が響いてきていた。

「あんた、練習に出なくていいの?」

 雷美が不思議そうに聞くと、剣道部であるはずの萬屋錦之丞は自信満々に答えた。

「ぼくは雷美さんの世話係ですから、いわば特命を受けている身です」


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