4 陰陽師


 雷美は、学食の入り口を振り返った。

 背の低い男性がこちらへ、てくてくと早足でやってくる。体が細く、髪が長めで、全体的に頼りない印象。カーキ色のティーシャツにカーゴパンツ。ポケットがいっぱいついたグリーンのタクティカル・ベストを着こんでいる。なんかすごくオタクっぽい。

「ご紹介しますね」篠はにこやかに立ち上がると、を掌でしめす。「こちら、陰陽師おんみょうじの山口百鬼先生です。現代の安倍晴明あべのせいめいです」

 雷美は、「はあ……」と立ち上がる。


 百鬼先生は、いっけん中学生くらいに見えるが、近くで見ると皴が深く、あごのしたには剃り残した鬚が伸びている。あとで聞いたら二十二歳ということだったが、初見の印象は四十二歳。チビで童顔だが、すごく老けて見える。

「そんな、現代の安倍晴明だなんて」首をすくめながら、百鬼は自己紹介する。「陰陽道をたしなむ山口百鬼と申します。土御門つちみかど流の流れを汲んでおります」

「どうも、市川雷美です。師匠にいわれて、呪禁刀『骸丸むくろまる』を聖林学園に持ってきました」

 と、それだけで終わりにするつもりの雷美に、篠が余計な補足説明をしてしまう。

「雷美先生は、一刀流の達人なんですよ。あの仏生信行を昨晩、倒したんですから」

 達人はオーバーであるが、いちいち否定はしなかった。どうも蝉足篠という女性は、こういったことを大げさに伝える性格らしく、それはこの『百鬼先生』もよくわかっていることだろう。

 とりあえず一同が着席すると、勢い込んだ感じで身を乗り出した百鬼が、篠に報告をはじめた。


「聖林学園の周囲の塀を確認しましたが、やはりこれは、陰陽道による結界処理が施されているようです。具体的には、銅板によるレリーフのしゅと真鍮製の人形ひとがたが、塀に等間隔に埋め込まれています。つまり、園長先生が思っておられたような、『テスラ・ハート』という器械から発せられる超高周波電流による防護壁といった科学的なアプローチではなく、純粋に呪術的な障壁でした」

「そうですか」

 篠はため息まじりにうなずいた。

「ええ。それともうひとつ」百鬼はそっとテーブルについた他のメンバーの顔色をうかがう。「言ってもいいですか?」

「はい、どうぞ」篠はにっこりと肯定する。「ここにいるメンバーは信用できますから」

 雷美は、あたしもか?と思ったが、だまっておく。


「実は」百鬼は難しそうな顔で声をひそめる。「正門の門柱の間隔が広すぎる気がするんです。あれはでは、正門の中央ならば、不屍者が侵入できるのではないか……と」

「えっ?」

 その場にいた全員がはっとなった。

 聖林学園は不屍者に侵入されない。それがここまでの大前提だった。だが、もし、あの呪禁刀でしか倒せない奴らが、もしもだ、大挙してこの聖林学園内に攻めてくるなら……。


「百鬼先生、それは本当ですか?」

 驚愕に目を見開き、篠が確認する。

「いえ、絶対にそうかと問われると……」しかし、百鬼は自信なさげに眉尻を下げた。「ぼくの感覚では、あきらかにあそこだけ符呪ふじゅの間隔が広いのです。ただ、これはちょっと感覚的なことなので、すみません、のちほどぼくの師匠が参りますから、そのときに再検証させてください。ただ、ことがことだけに、一応警告しておこうと思ったんです。みなさんに余計な心配かけてしまったかも知れないのですが、万が一ということもありますので」

「あ、では、芹澤せりざわ先生がいらしてくださるのですか?」

 ふたたび篠が顔を輝かす。

 ?という顔をした雷美に気づいて、篠は簡単に説明してくれた。


「じつは、芹澤穂影ほかげ先生は、ご高名な陰陽師の先生で、現代の役小角えんのおづのであるといわれているのです」

 またそれか、とちょっと雷美は辟易したが、顔には出さない。

「じつは芹澤先生のことは、サムライを募集した際に知己を得た別の陰陽師の方から教えていただいて、連絡をとったところ、快くご協力を承諾していただいたのですが、なかなかお忙しい方のようで……」

「そこで、弟子であるぼくが来た次第です」はにかんだ様にうつむく百鬼。「まだまだ不詳の弟子でして、大して役には立たないのですが」

「そんなことはありませんよ」

 篠はにっこり笑って百鬼を励ます。雷美はすこし篠に呆れながらも、こういう先生がうちの学校にいてくれてもいいな、とふと思った。


「しかし、園長先生」それまで黙っていた三越玄丈が、ふいに不機嫌そうな声をあげた。「陰陽師だかなんだか知りませんが、本当に祭壇つくって拝んだだけで、あの強力無比な不屍者どもが綺麗さっぱり消えてなくなると、そう思っているのですか?」

「三越くん」

 篠がたしなめる様に三越を一瞥するが、彼の不平は消えない。

「ぼくたちは今日まで、命を張って不屍者と戦ってきました。あいつらが永遠不滅の命をもち、バットで殴ろうが包丁で刺そうが大した怪我もせず、やっと負わせたかすり傷でさえ、ものの十秒で消えてしまうことを骨身にしみて知っています。そんな奴らが、ちょっと拝んだだけで、パソコンのデータじゃあるまいし、跡形もなく消えてしまうなんて、信じられないと言っているだけです」

「三越くん、百鬼先生も芹澤先生も、わたくしたちのためにわざわざ……」


「あの!」

 百鬼が大きめの声でさえぎった。

「わかっています。わかっているつもりです。ぼくたち陰陽師というのは、たしかに占い師の一種です。それを大きく超えるものではありません。ですが、いえ、ですから。それがよくわかっているからそこ、チャンスを与えてほしいのです。ぼくの師匠の芹澤穂影は偉大な陰陽師です。たしかに加持祈祷で敵の軍勢を退けることは難しいでしょう。でも、ぜひ挑戦させてほしいのです。決して信用してくれとは言えません。ですが、チャンスだけでもください」

 三越はだまってうつむいた。

 その場になんともいえない気まずい雰囲気が流れる。



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