2 学生食堂での朝食


 エレベーターがきて、二人はのりこむ。

 三階で降りて、北校舎へ。

 寮と校舎は地上三階を走る鉄橋のような渡り廊下でつなげられている。人が二人やっと通れるほどの幅しかなく、一応屋根もついてはいた。が風は強い。スカートの裾を押さえる必要があったくらいだ。

 それを渡って南校舎まで行ってから、錦之丞の案内で一階の学生食堂へ。


 朝食のメニューはごはんに味噌汁、焼き魚と納豆と漬物……。そんなサンプルが置かれていたが、すでに終了してしまっていた。あたりまえだ。いまは午前十時近い。朝食の時間ではない。

 錦之丞が学食の職員に説明し、特別にフレンチ・トーストを作ってもらった。

 甘くて、濃厚で、とろりとした、黄色いそれを見て、雷美は一瞬吐き気を感じたが、匂いを鼻から吸い込むと急にお腹が鳴った。ひとくち食べると、もう止まらなかった。ナイフをつかわず、獲物を噛み千切るライオンのように、熱いトーストをむさぼった。

 ぺろりと平らげ、ソースをすくって舐めとり、皿の端におちた粉砂糖をフォークでこそぎとって口に突っ込みながら、そこでふと、テーブルの向こうに園長の蝉足篠がいることに気づいた。


「あ、おはようございます、園長先生」

 軽く咳き込んでしまった。

「おはようございます、市川先生」篠は雷美のことを、笑みをたたえて見つめていた。「それだけ食欲があれば、安心ですね。昨晩はわたくしたちを救っていただき、本当にありがとうございました」

 雷美は否々と首を横に振る。

「先生とか呼ばないでください。それに、あれは、成り行き、です」

「いいえ」篠はしずかに否定する。「そもそも最初に拉致されたわたくしを、あなたは救いにきてくださいました。なかなかできることではありません。やはり、幼少時より武術を修行されている方はちがいますね」

「いえ、修行しているとかではなくて、家の隣が道場だったので……」


 お腹がふくれて、やっと生き返った気がした雷美は、昼頃のバスで帰ろうと考えていた。そのあとの新幹線はバスの時刻をみてからスマホで予約して、それでも間に合うはずだ。

「それにしても、見事な手並みでした。纐血城高校の仏生信行といえば、凄腕で鳴らした示現流の剣客にして師範。それを女性の細腕で倒してしまうとは、あれこそまさに、日本武術の神髄です」

 そういえば、ここの朝食代とか、あそこの部屋の宿泊費とかは、どうなるのだろう? 助けたお礼ということで、おごってもらっちゃっていいのだろうか?

「その市川先生の腕を見込んで、ぜひともお願いしたいことがあるんです」篠は真剣な調子でずいっと身を乗り出した。「どうか、うちの生徒たちに先生の『一刀流』をご教授いただけないでしょうか?」

「は?」

「ぜひ、お願いします」

 篠が雷美の両手をぎゅっと握り、テーブルのうえに突っ伏すように頭を下げた。その姿はまさに懇願、もしくは幼女のおねだりだった。

「え、あ、いや……」

 帰りのバスの時間を聞ける雰囲気ではなかった。


「雷美先生は、ヒーラ細胞というものをご存知ですか?」

 市川先生から雷美先生に呼び方が変わってしまった。そんなことを考えていたため、そのあとの単語を聞き漏らしてしまった。

「は? なんですか?」

「ヒーラ細胞です」

「あー、す、み、ま、せー……ん」雷美は視線を左右に泳がせて苦笑いで誤魔化した。「『生物』は選択してないんですよねぇ」

「いえ、教科書には載ってないと思いますよ」篠はにっこりと笑って、コーヒーをひと口啜る。雷美の隣には錦之丞が気配を殺して座り、篠の隣にはさっき来た生徒会長の三越玄丈という三年生がいる。彼は細身の優男で、ひょろりとした長身。銀縁の眼鏡をかけており、いかにも勉強できそう。でも、案外こういう奴に限ってスケベなんだよな、というのが雷美の評価。紹介されてから、ひとことも口をきかずにそこに腰かけている。


「ヒーラ細胞とは、一九五一年にヘンリエッタ・ラックスという女性の子宮頸癌腫瘍から取り出された細胞なのですが、この細胞は、『不死』なのです」

「え?」

 雷美ははっとして目を上げた。


「生化学者でもあるわたくしの父、蝉足せみたり藤兵衛とうべえは、この不死の細胞に着目し、ある条件を満たせば人が不死になる可能性が存在すること、またそのための方法論として、陰陽おんみょう道における『反魂はんごんの法』というものが、極めて不死の再現性が高いことをつきとめました。折しも、当時テレビ雑誌等で話題になった、日本に太古より存在する幻の死霊術。その、死者を蘇らせるといわれる死霊術師の手法が、人体の細胞をヒーラ細胞化する技法そのものであることに気づいたのです。

 父はわずかな手がかりから、『反魂の法』に関するデータを収集しようと、日本各地を巡り歩きました。陰陽道、呪禁じゅごん道、宿曜すくよう道、密教みっきょう秘儀。そこに残された文献、末裔に伝わる口伝くでん、昔話説話から都市伝説の類まで、『反魂法』に関するデータを追って、日本中を巡ったのです。

 ところがあるとき、父はおかしなことに気づきます。だれかが自分のあとを追っているようなのです。姿の見えない追跡者が、父の訪ねた場所を訪ね、父が話した人にもう一度話を聞いているようなのです。どうやら相手はかなりの老齢であるようでした。一度父は、その男の影をとらえ、姿を垣間見たことがあったそうです。怪異な老人だった、と晩年よく述懐しておりました。

 ところがあるとき、父はこの老人に先を越されてしまいます。たずねた古い神社の宮司が社殿の裏で殺されているのを発見するのです。父は恐ろしくなりました。おそらくはあの怪異な老人がこの宮司を殺したのであろうと気づいたからです。そこから父は慎重に『反魂法』の足跡をたどります。が、つねにあの老人に先を越されているようで、重要と思える文書はつねに奪われ、古来の知識をもつ人は不慮の事故に合い、あるいは不可思議な自殺によって命を絶っていました。父は『反魂法』の研究を諦めました。このままでは、自分の命も危ないと踏んだからです」


 篠はふと、口をつぐみ、テーブルのうえのカップをとると、コーヒーで喉をうるおした。

 雷美は詰めていた息をふっと吐き、となりの錦之丞と生徒会長の三越玄丈を盗み見る。

 ふたりとも、いま篠が語った話はすでに知っているのか、だまってうつむいていた。


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