第3話 聖林学園の朝
1 目覚めた場所は学園
翌朝目覚めたとき、市川雷美は身体中が痛くて思わずうめいてしまった。
このまま寝心地のいいベッドから出ないでおこうかと、本気で思った。
だが、そういうわけにもいかない。
美しい朝日が差し込むホテルの一室みたいなこの部屋は、聖林学園職員寮の来賓用個室。バスルームや洗面台がつき、アメニティーまで充実しているから、実質ホテルの個室となんら変わらない。
雷美はやわらかいシモンズのベッドの中で、痛みに顔を歪めながら寝返りをひとつうつと、起きる決心をつけた。
とりあえず顔を洗い、歯を磨き、制服に着替える。制服は昨晩、篠に命じられて錦之丞が持ってきた聖林学園の制服だ。
はっきりいって、着たくない。これを着たら、なんかこの偽装要塞学園の生徒にされてしまいそうだからだ。
篠の説明によると、この聖林学園は、不屍者の軍勢を迎え撃つために、篠の父、物理学者でもあり民俗学者でもある
雷美は髪を梳き、後ろできっちりと縛る。昨日つかっていたゴムがどうしても見つからないので、アメニティーセットに入っていたゴムをつかう。
新品の制服を着た自分の姿を鏡に映してみて、溜息をつく。白いシャツの胸元に
きのう着てきた制服は、昨晩ダメにしてしまった。白のセーラー服なのに、返り血だらけとかあり得ない。あれはちょっともう着れない。まあ、三人も人を斬れば仕方ないか。
むかし剣術を習っている事をこっそり打ち明けたクラスメートに、こんなことを訊かれた経験がある。
「え、剣術習ってるの? 剣術ってあの、日本刀で人を斬るあれでしょ? ねえねえ、時代劇なんかでばったばったとヒーローが何人も悪人斬るけど、あれって嘘なんだよね。だって、日本刀って三人くらいしか斬れないっていうじゃない」
そのとき雷美は不機嫌に口をとがらせてこう答えた。
「知らないよ。人を斬ったこと、ないから」
相手はげらげら笑っていた。
が、今おなじことを訊かれたら、雷美の返答はすこしちがうだろう。
──三人斬れれば充分だよ。それ以上は無理だから。
充電していたスマートフォンをコードから抜いて、メッセージを確認する。母から「きょうは帰ってくるの? 早く帰ってきてね」という件名のメールが届いている。雷美の母は寂しがりやで、学校からの帰りが遅いとよくこういう「早く帰ってきて」メールが届くのだが、昨晩は急に外泊してしまったから、さぞや寂しい夜を過ごしたことだろう。母にしてみれば、夏休みで雷美がずっと家にいるものだと思っていたところに、突然の外泊だからショックも大きかったかもしれない。
これは、そうそうに篠に挨拶して帰宅した方が良さそうだった。さもなくば、雷美の母は寂しくて寂しくて衰弱死してしまうかもしれない。
雷美が部屋を出ると、ドアのそばでしゃがみ込んでいた萬屋錦之丞が立ち上がった。
「おはようございます」
「ちょっと、あんた、ずっとそこで待ってたの? きもっ」
「いえ、だって、雷美さんが起きたら食事にお連れしろって園長から言われてましたから」錦之丞はさわやかに笑う。「制服似合いますね。可愛い」
「殺すわよ」
「え……」錦之丞はびくりと身をのけ反らせた。
「あ……、ごめん」
雷美はおもわず指を唇にあてた。
「いえ」錦之丞はうつむき、すぐに笑顔で面をあげた。「昨日の夜、ぼくたちは雷美さんに命を助けられました。雷美さんはぼくたちの命の恩人ですよ。あなたが戦ってくれなかったら、いまごろぼくたちは纐血城高校の奴らに殺されていたから」
雷美は答えず、エレベーターの方へ歩き出した。
錦之丞がついてきて、彼女に話しかける。
「雷美さんって、何年くらい剣術を習ってるんですか?」
「え?」かすれた声で応えてしまった。「……あ、ああ、十五年くらいかな。覚えてないんだけど、二歳のころ、立ち上がった直後すでに木刀持ってたらしいから」
「一刀流って流派があるらしいですね。園長に聞きました」錦之丞が横にならんでくる。「てっきり刀を一本しか持たずにやる流派を、全部一刀流って呼ぶと思ってました」
「室町時代、
「纐血城高校の奴らは、示現流を使います。先月のことですが、剣道部の部員が二人、纐血城高校の不屍者に木刀試合を挑まれ、病院送りにされました……」
錦之丞はそこまで言って口をつぐみ、唇を噛みしめた。
昨晩あのあと、ガタガタと震えだし、何が何だか訳が分からなくなってしまった雷美を引っ張って歩かせてくれたのが、篠と錦之丞だった。二人こそ、雷美の命の恩人かもしれない。
纐血城高校の不屍者たちは、聖林学園内に入ることができない。だから、雷美たちはそこから徒歩で赤石山の上にある聖林学園まで避難した。すこし遠回りだが、山の裏にまわりこみ、そこから細い坂道をのぼるルートを辿ったのだ。
きつい坂道を登りながら、なんとか平静をとりもどした雷美に、篠が伝えたところによると、なんと纐血城高校は、バスが通る表道ぞいにある城址公園に、一か月前、忽然と出現したらしい。さっきいた場所からまっすぐ帰ると、纐血城高校の前を通らねばならないので、篠は山の反対側から登るルートを選んだのだ。
聞かされて初めて知ったが、雷美は聖林学園にくるときバスに乗ってきたから、そうとは知らずに纐血城高校の前を走ったことになる。
昨晩、篠に連れられて登った裏道は細く、車では登れない。中腹に立派な屋敷があり、篠はそこがもともとの彼女の家であり、亡父が集めた呪禁刀は当初、この家の耐火金庫に納められていたと語った。それらすべてを聖林学園に運び込み、いずれ襲来するであろう不屍者の群れと対抗すべく、この偽装要塞高校『聖林学園』にて不屍者迎撃の準備を整えてきたのは、現園長である篠だったそうだ。
篠は、いまは廃屋となった蝉足邸のうらに三人を案内すると、裏口のカギをあけて中に入った。
「緊急時ですので、靴はそのまま」とつたえ、真っ暗な廊下を奥へ進む。「秘密の近道なんです」と告げて階段をあがり、二階の扉をあけた。
そこは蝉足邸が背を預けるようにしていた崖の上である。外に出た四人は、そのまま木に囲われた小路をたどって、そのおくの石畳へ。
小さな山門をくぐって石段をのぼると、そこは赤石神社。
鳥居をくぐり、境内の裏に回り、獣道みたいな隘路をたどって大通りへ出て、やっと聖林学園に逃げこむことに成功する。
ただし、飛葉は、その場で他の三人に別れを告げて去った。篠は残るように懇願したが、飛葉は首を横に振る。いまさら裏切り者の自分に、この学園の門はくぐれないと言っていた。
篠はそれ以上引き留めなかった。
疲れ切っていた雷美は、新しい制服を渡され、そのあと案内された部屋で、シャワーだけ浴びてバッタリとベッドに倒れ込んでしまった。そこからの記憶はまったくなかった。
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