5 生死の境


 飛葉があわてて新聞紙の包みを開く。中から零れ落ちたのは、銀色の棒状のもの。日本刀の剥き身の刀身が、鈴の音のような金属音をたててアスファルトの地面に落ち、と同時にいくつかの刀の部品があたりに散らばる。鉄の鍔がちん!と鳴って地を打ち、刀の柄が転がりだし、あかがねの丸板が飛び散った。

 骸丸は、分解された状態で箱に納められていた。このままでは使用できない。

 人斬り河野が、終わったな、とでも言いたげに苦笑し、そして走り出した。

「ちぇえええええええいっーーーー!」

 楽し気な雄叫び、示現流でいう猿叫えんきょうを放って地を駆け、茫然としゃがみこんでいる飛葉に迫り、まさかりを振るうが如く、豪快にして必殺の一撃でもって飛葉の身体を……。

「わぁぁぁああああああーーーー!」

 横から絶叫しながら走ってきた自転車が、刀を振り下ろしかけた人斬り河野に突っ込む。


 自転車の激突をくらって横ざまに倒れた河野と絡むように地面に投げ出された聖林学園の制服は、倒れた自転車を蹴飛ばし、どたどたと地面を這いずってその場から離脱すると、慌てて立ち上がりながら、制服のベルトに差してあった木刀を抜き放つ。

「おらぁぁぁぁっ!」

 気合とともに鍔付き木刀を構えたのは、全身汗だくの萬屋錦之丞。必死にママチャリでここまで雷美たちを追いかけて来てくれたらしい。

「てめえ、ふざけやがって」

 お楽しみを邪魔された河野が立ち上がり、抜き身を片手で肩に担ぐと、空いた手で制服の埃を払った。

「園長先生!」木刀を構えた錦之丞が絶叫する。「ここはおれが食い止めます! 早く逃げて下さいっ!」

「あっはっはっはっはっ。ざまぁないな、河野!」

 背後からの哄笑。

 振り返り、雷美は驚愕に目を見開く。

 そこにいたのは、全身血まみれで、ぼろぼろに裂けて泥だらけの長ランを引きずった纐血城高校の男だった。さっきワゴン車の下敷きになって、血まみれで倒れていた男。血まみれであるが、すっくと立ったその姿に負傷の気配は全くない。

「うるせえ、小池」

 吐き捨てるように言い返した河野は、手にした刀を蜻蛉八相に振り上げる。

「小池、おれはこの木刀野郎をる。おまえは、そっちの兄ちゃんを叩っ斬って、骸丸を奪え」

「承知」


 小池と呼ばれた男は、車に轢かれても破損しておらず、微塵も美しさの失われていない腰の刀を抜き放つと、剥き身の骸丸を茫然と見下ろしている飛葉めがけて、撃ちだされた弾丸のように駆け出した。

 あっと叫んで雷美も駆け出す。

「市川さん!」

 篠が止めようと叫ぶが間に合わなかった。


 駆け込んだ小池が、銀色の刀を渾身の力で振り下ろし、地面に膝をついた飛葉は身を守るように腕をあげ、その彼をかばうように抱き着いた雷美もろとも斬られ──、てはいなかった。

 篠は目をぱちくりとまたたかせる。


 アスファルトまで振り下ろされた小池の刀は、なぜか空振りしている。そして感電でもしたみたいに動きを止めた小池は、びくびくと全身を痙攣させており、よく見ると、その腹部に銀色の刀剣が突き込まれていた。

 つかも鍔もないき身の刀身。そのなかごを小さい手でにぎった雷美が、ゆっくりと立ち上がり、飛葉の影から姿を現す。


上泉かみいずみ武蔵守信綱のぶつないわく」雷美はしずかにつぶやく。「兵法は、進退きわまりて一生一度の用に立てるため」

 つぶやきながら、慣れた手つきで骸丸のみねを指で挟むと、その場に片膝ついて落ちている金属パーツを拾い上げる。

 金色の四角いパーツをなかごに通し、つぎに銅のワッシャーをかませてのち鍔を嵌める。もう一枚銅のワッシャーを嵌めると、そこに柄を叩き込んだ。

 一方、腹を刺された小池は、赤黒い反吐を吐き出してその場に膝をつく。震える手で腹の傷に触れるが、呪禁刀の威力は強烈だった。

 銃弾すら全く受けつけない不屍者の身体が、まるで火に焙られたバターのように崩壊してゆく。毛は抜け落ち、頬の肉は泥のように溶け崩れ、顔をおさえる指はたちまたのうちに白い骨を露出させる。そのまま原型をとどめることができなくなった小池の身体は、湯を浴びた雪だるまのように地に流れ落ち、びしゃりと濡れた制服と、持ち主を失った二刀が地面の上に転がった。


 仲間がやられたことに気づいた河野は、ぎょっとして振り返り、木刀を構えたままの錦之丞は「雷美さん……」と呆けたような顔でつぶやく。

「ふざけやがって……」ターゲットを錦之丞から雷美にチェンジした河野は、蜻蛉とんぼに構えたまま、早足で雷美に迫る。

 示現流の歩法は、一歩一間いっけん。一間とは約百八十センチであり、畳の縦の長さに近い。その一間を一歩で歩むという驚異的な歩幅で間を詰める。

 しかし、雷美は慌てず、落ちていた竹釘のパーツを指でつまみ上げ、皮の残る方向を確認して、それを柄にしっかりと嵌めこむ。その動きと河野が斬り込んでくるのが、ほぼ同時だった。

 立ち上がった雷美は骸丸を中段の構えに差し出し、そこへ上から河野の蜻蛉よりの斬撃が振り下ろされる。

 河野は長身であり、身長が百八十センチ近い。いっぽうの雷美は、百五十センチあるかないかの、チビ。

 体格により階級分けがされていない剣道でも、背の高い方が有利である。腕が長く、相手からは面が遠い。逆に背の低い相手の面は、近い。小さく腕力も劣る雷美に、長身で体格のいい河野が、渾身の斬撃を上から振り下ろした。あの城址公園で不屍者となった木根が、剣道部の石塚と堀を病院送りにした、示現流の斬撃である。


 雷美が斬られた!

 そう思った。

 見ていた錦之丞は、全身に鳥肌が立った。

 河野が斬りかけ、雷美が中段にとった骸丸をひょいと閃かせる。その一瞬、体重をのせて振り下ろされた河野の太刀が、雷美の身体をすり抜け、思いっきりアスファルトに斬りつけられる。そして、河野の喉へ突き込まれた雷美の骸丸が、美しく反った刀身を、河野の顎の下から入って脳髄を貫通し、後頭部の頭蓋を内側からごつんと打っていた。その音が、錦之丞の耳にまで届く。


 まったく魔法のようだった。

 絶対に斬られたと思った雷美が、かすり傷ひとつ負わず、斬ったと思った河野が頭を串刺しにされている。

 雷美はきれいな継ぎ足で一歩大きくひき、河野の喉から刀身を引き抜くと、骸丸を下段、ほぼ地面と平行に構える。

 がたっと音をたてて、錦之丞の背後で仏生がバイクから立ちあがる。


「切り落とし!」仏生が呻くように叫んだ。「一刀流か!」

 雷美は溶け崩れてゆく河野をよけて前に出ると、下段のまま仏生に向き直り、しずかに告げる。

「柳生石舟斎いわく、『知らぬふりこそ、兵法』」

 ふふふと、鼻で笑った。

「面白い」仏生は不敵な笑顔で、抜刀した。


 仏生は急がなかった。遥か彼方の間合いで構え、雷美の様子をうかがう。

「おれは、見た目はこの歳だが、不屍者とは、何歳いくつで死んでも十七歳で甦る。だから、最初に伝えておくが、おれの示現流の修行年数は長い。その辺の小僧どもと一緒にはしないことだ」

「剣術に修行年数は関係ないと、師匠から教えられました」

 雷美は足を大きく踏み開き、高い中段、いや正眼に取る。軽い半身。切っ先は相手の左目につけ、拳は肩の高さかと思えるほど高い。

「その一刀が出せるか、出せないか、だと」


 対する仏生は示現流蜻蛉とんぼ八相。左拳がこめかみの位置にくる構え。躰は正対。

 こう構えると、身体の中心がさらされ、いかにも無防備に見える。また蜻蛉からの斬撃は垂直に斬り下ろされるため、本来の八相からの払い斬りとはならない。

 薩摩藩士の代名詞でもある示現流だが、その源流は鹿島・香取の秘太刀であり、もともとは関東の剣技である。一切防御をせず、攻撃のみに特化した示現流であるが、そこにはきちんとした戦闘理論がある。


 香取神道流の基本は、敵がこちらを突き、あるいは斬ってくる刃を右もしくは左にさばいて、入れ違いに斬撃する。が、示現流では、この左右にさばくという動作を省略している。突き、あるいは斬ってくる敵の刃をかわさず、そのまま斬り飛ばして敵を斬る。躱すと斬る、ふたつのことを同時にやるくらいなら、いっそ斬るだけの一手のみ。そこにすべてを収斂させた方が、生死を極める斬り合いの世界では、かえって生き残る確率があがる。それが示現流の解答である。

 そしてそれを実現するためには、斬撃の強さ、速さ、そして逃げない心を鍛錬する必要があった。


「おれは纐血城高校には感謝している。死霊術師の比良坂ひらさか天狼星てんろうせいさまにもだ。死んだ老剣士であるおれを蘇らせてくれて、若い頃にさんざん鍛錬した剣術の技を使う機会を与えて下さった。そしてここで、女子とはいえ、天下に名高き一刀流の遣い手と真剣勝負をすることが出来る。お嬢さん、覚悟しなさい。示現流の打ちは、『雲耀うんよう』といって、落雷してから雷光が閃くまでの時間のうちに斬り終える。切り落とすことなぞ、出来やしないぞ」

 雷美はこたえなかった。

 大正眼にとり、やや顔をあおのかせ、のほほんと構えている。


 仏生は動き出した。鋼球が転がるような、重く滑らかな足運び。一気に間合いを詰め、白刃にきらりと青空を映し、つぎの瞬間、霹靂が天地を割るごとき一刀が、雷美を真っ二つにと斬り下ろされる。

 雷美は同時に踏み込み、構えたその太刀を、龍が顎を開くがごとく一振りした。


 しゃん!

 鋼の刃が鳴って、仏生の太刀がアスファルトまで斬り下ろされる。勢いよく空振りし、中段に残ったのは、骸丸。その刃が、仏生の拳に乗っていた。掠り傷ひとつない雷美が容赦なく間を詰める。


「あっ」拳をかすかに斬られた仏生が呻く。手指を赤黒く染めながら、二撃目をと太刀をふたたび蜻蛉に振り上げるが、その手首の関節を雷美が切断。

 片手を失い、血を噴き上げつつも、のこった片手で切りかける仏生の刃と血のしずくを躱して、身を沈めた雷美は仏生の腋の下をくぐって背後にまわり、鮮やかな一文字斬りで仏生の首をねた。


 ごとん!と岩が落ちたような音をたてて、仏生の首がアスファルトに落ちる。

 ばったりと巨木が倒れるように地に沈む仏生の、首のない巨体。

 大きく一歩引いて下段残心にとった雷美は、相手が動かないことを確認して、ほっと息をついた。

「伊藤一刀斎いわく、『この世に弓鉄砲無かりせば、わが兵法は天下一なり』。雲耀だかなんだか知らないけど、一刀流の『切り落とし』は天下一だ。勝ちたかったら、弓鉄砲でも持ってこいっての」


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