4 不死身の不屍者


 ワゴン車のエンジンが激怒した大型犬のように吠え、車が急発進する。

 後部座席で篠と飛葉がすっ転がるが、無視してアクセルを踏みつけ、強烈な加速に引っ張られる身体をハンドルに掴まって固定し、つかまったままハンドルを操作する。

 急発進したワゴン車は、止めてあった大型バイクを二台とも跳ね飛ばし、がくんと揺れながらガードレールに一直線。雷美は慌ててハンドルを切り、ワゴン車の行く手を車道の真ん中へと修正する。


 ガラス一面に細かいヒビが入っていて、視界が悪すぎる。

 そんな中でも、無理やりアクセルを踏みつけ、車道をなんとか走る。

 雷美は運転免許なんてもちろん持っていない。当然自動車を運転するのは、いまが初めて。見よう見まねでペダルを踏んでいる。自分としてはすごいスピードを出しているつもりだったが、スピードメーターをちらりと見ると、時速は三十五キロ。びっくりするほど遅かった。

 しかも、いまはとりあえず直進しているからいいようなものの、このあとどうやって曲がればいいのか分からない。ハンドルを回せば車は曲がるのだろうが、なにをどうやってこの巨大な輪っかを回せば……。しかもいま運転席には、胸を何発も撃たれてぴくりとも動かない一条の身体があり、土嚢のように重たいその両腕はハンドルにかかったまんまだ。


「市川さん!」

 さっきから後方で園長先生がなにか叫んでいる。自分のことだと思わなくて気づかなかったが、雷美ははっと気づいて鋭く振り返る。その拍子に、車の横を走り抜けてゆく黒い影が目に入った。

 長ランの裾をはためかせて大型バイクに跨った纐血城高校の生徒。ノーヘルで腰に差した刀の鞘がバイクの脇に垂れている。一瞬で雷美の運転するワゴン車を抜き去った大型バイクは、前に出るや否や、ワゴン車の前に飛びだしてきた。車体を横に向け、みずからワゴン車の前で転倒してくる。

 アッと思ったときには、もう遅い。

 ワゴン車は倒れたバイクの上に乗りの上げ、がっくんと揺れて激しく停車した。


 雷美は身体をダッシュボードに激しく打ち付け、一瞬息が止まるが、それどころではない。助手席に素早く移動すると車外に飛び出し、すでに外にいて「早く!」と叫んでいる篠のいる方に駆け出す。

 飛葉が両腕に呪禁刀の箱を抱え、少し先で待っている。

 なにがなんだか分からないながらも走り出した雷美は、ちらりと振り返ってワゴン車のフロントを確認すると、車体の下にひしゃげた大型バイクが挟まり、ワゴン車はその上にのりあげて前輪が浮いてしまった状態だった。

 バイクに跨っていた生徒の長ランがその下に裾を広げており、地面に投げ出された手と足が見えた。白い肌に赤黒い血の筋が流れている。

 えっ! あたしがひき殺した!?


「不屍者は不死身です。あの程度では死にません」前を走る篠が声をかける。「早く! このまま聖林学園まで走りましょう。学園内に不屍者は入れないから! あそこまで逃げれば、助かるからっ!」

 篠と飛葉が並んで走り、脇道へ駆けこむ。雷美も必死でついてゆく。息の限り走ったが、すぐに後方から大型バイクの排気音が迫って来た。さっきワゴン車で跳ね飛ばしたはずだが、壊れてなかったのか。雷美は舌打ちしつつ、振り返る。


 二台のバイクに跨った、二人の長ラン。ひとりは明らかに背が高い。纐血城高校の切り込み隊長だという仏生信行。

 この細い街路で、あり得ない速度を出した二台は、あっという間に走る三人を抜き去って前に出る。そこでターンして、行く手を塞ぐようにバイクを止めた。

 三人はあきらめたように足を止め、肩で息をしながら二台のバイクと二人の纐血城高校生を睨む。


「河野、かまわん。やれ」バイクのシートから腰を上げずに、仏生がもう一人に指示した。

 河野と呼ばれた男がバイクから鷹揚に降り、ゆっくりと近づいてくる。

「あれが、『人斬り河野』か」飛葉が雷美の横でうめく。「人を斬るのが楽しくて楽しくてしょうがない奴だって噂だ」

 飛葉の声がふるえている。

 が、篠は冷静に指示を出した。

「呪禁刀を。不屍者を倒せるのは、呪禁刀しかありません。『骸丸むくろまる』を出しましょう」


 一瞬躊躇した飛葉だが、すぐにその場に膝をつくと、腕に抱いていた段ボールを地面に下ろし紐を解く。指がふるえて上手く外れないようだが、強引に引き千切り、箱の蓋に手を掛ける。

「河野! 骸丸だ! 注意しろ。そして、確実に奪え!」

 バイクの上の仏生が指示を飛ばす。

 河野が笑いながらうなずき、腰の刀に手を掛けた。慣れた様子でするりと抜き放ち、夏の青空を映して白刃が白く光る。

「斬り合うんですか」

 びっくりして雷美が篠を振り返るが、篠は力強くうなずく。

「飛葉くんは元聖林学園剣道部でした。だいじょうぶ、有段者なんです」

「でも……」

 人斬り河野が抜き身を垂直に突き立て、高い八相の構えに取る。両拳を顔の横、こめかみの辺りにとる独特の構え。祈り捧げるように天に向けて突き立てられた、はがねの刃。安定した体幹。


「纐血城高校の生徒たちは、古流剣術の示現じげん流を使うといいます」篠は囁くように語る。「あれは示現流蜻蛉とんぼの構え。あの構えから振り下ろされる斬撃は古流剣術の中でも最速だといいます。でも、飛葉くんの突きも速い。絶対に負けません」

 篠が祈るように、そして自分にいいきかせるようにつぶやく。

 飛葉が震える指で箱の蓋を投げ捨て、中につまっていたパッキンを掻き出し、その奥から、新聞紙に包まれた、薄っぺらい、歪曲した物を引っぱり出す。

「え?」

 篠が息を呑む。雷美も同時に舌打ちした。



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