第2話 暴力と兵法と

1 奪還作戦


 市川雷美は最初、自分がとてもうまくやったと思った。

 聖林学園からマウンテンバイクで坂を駆け下り、市街地に入ったあたりで前を走る黒塗りのワゴン車を発見した。それがさきほどの誘拐犯が乗っているものであると、彼女はすぐに気づき、十分距離を置いて追跡した。

 ワゴン車はしばらく走ると、ハザード・ランプを点滅させて路肩に停車し、ナンバープレートを覆っていたボール紙を外すために、乗っていた男が外に出て来た。

 反対車線の歩道を走っていた雷美は何食わぬ顔で篠のスマートフォンを取り出し、その男の写真をとる。

 男は目出し帽を脱いでいた。街中ではかえって目立つと判断したのだろう。


 そして、ふたたび走り始めたワゴン車を慎重に追跡する。

 赤石市は、普通の地方都市であり、市街の中央に駅があり、その周辺に役所とオフィスビルと商店街が放射状に広がる。

 ワゴン車は、駅前を抜けて、少し走り、住宅街が始まるあたりで脇道に入った。

 距離を取り過ぎていて、一瞬見失ってしまったが、周囲を丹念に捜索し、黒いワゴン車をなんとか見つける。


 場所は、建設中のマンション。まだ土台と二階部分までしか作られていないマンションは、もちろんコンクリート打ちっぱなし。屋根のある工事現場といっても差し支えない。

 工事は中断されているようで、巨大なアコーデオン・カーテンでふさがれた入り口の内側にトラックや重機の姿はない。がらんとした空き地があるのみ。脇からこっそりのぞき込むと、砂利のままの搬入口に、さっき追跡していた黒塗りのワゴン車があった。


 聖林学園に連絡するよりさきに、雷美は警察に通報した。

 ワゴン車の追跡に失敗した場合、学園のパソコンからGPSで園長先生の位置を特定してもらう予定でいたが、追跡自体に成功したので、手順をすっとばして警察に通報する。

 相手は拳銃をもった暴漢三人。人質もある。

 そこに飛び込んで行って園長先生を助けるなぞ、雷美や錦之丞たち高校生のできる範疇のことではない。これはもう警察が介入するレベルの犯罪であった。


 篠のスマホで110番通報すると、電話がオペレーターにすぐにつながり、「事件ですか? 事故ですか?」とたずねてくる。

 雷美は冷静に「事件です」と告げ、ことのあらましを極力明確かつ丁寧に相手に伝えた。

「わかりました。すぐに現場に警察官を派遣します。その場を動かないでください」

 落ち着いた声で命じられた雷美は、通りの反対側から現場の外の様子を窺いつつ、警察が到着するのを待った。


 だが、しばらくしてやってきたのは、自転車に乗った制服警官一人だった。

 え?と思った。ひとり? しかも制服で?

「現場はどちらですか?」

 緊張感のない様子で制服警官はたずねてくる。

「こっちです」

 雷美は警官を案内し、通りを渡って、犯人グループに気づかれないか冷や冷やしながら、くだんの工事現場の前で「ここです」と伝えた。


「はあ、ここねえ」

 警官は、ゲートのすき間から中をのぞき込むと、「はいはい」とつぶやく、手にしたボードになにやら書き込むと、「じゃあ、上に報告しておきますから。あとはこっちで処理しますので、そちらはお引き取りください」

 え?と思ったが、相手は警官だし、処理するといのうだから大丈夫なのだろう。このままここにあたしがいても、邪魔になるだけだし、と思い、その場を立ち去ることに決めた雷美だったが、ちょっと首を傾げてしまう。


 こんな、小学生が10円玉拾って交番に届けに来たときみたいな対応で、だいじょうぶなのだろうか?

 そう思っていると、あろうことか警官は、書類への書き込みが終わると、そのままそそくさと自転車にまたがってどこかに行ってしまった。

 人質を救出したり、犯人と交渉したりとかは、しないのだろうか? いまこうしている間にも、蝉足園長の命……は無事だろうが、すくなくとも貞操くらいは危機にさらされているかも知れない。雷美が、去ってゆく自転車警官の後ろ姿を茫然と見守っていると、物陰にでも隠れていたのだろうか? どこからともなく、萬屋錦之丞が姿を現した。


「この街の警察は、あてにはならないですよ」

 振り返ると、電柱のわきにボロいママチャリが止まっている。そして錦之丞自身は、制服のベルトに鍔付きの木刀を差した、なんか討ち入り目的の高校生みたいな恰好をしていた。正直、まじか、と思った。

「あのさ」 雷美はすかさず喰いついた。「それ、どういう意味よ? ここ、埼玉県でしょ。首都圏でしょ。そこの警察があてにならないって、どういうことよ。しかも案件は、営利誘拐じゃない。重犯罪でしょ」


「相手は纐血城高校です。不屍者の集団です。すでに死んでしまった人間に警察の権限は及びません。そして、あいつらは強大な力を持っている。ものすごい金と権力を操れるんですよ。警察なんて、完全に骨抜きにされています。だって、あいつらに頼めば、人間は死んでも生き返るんですよ。そんな条件出されたら、大人なんてみんな言いなりでしょ」

「んじゃ、どうするのよ? あたしたちで助けるとでも言うの?」

「すみません、どうすればいいのか、ぼくには見当もつきません」錦之丞は肩をすくめてみせる。「現在聖林学園は園長先生が誘拐されてしまって混乱していて、まったく機能していません。命令したり指示したりする人がいないんですよ。みんな責任転嫁ばかり始めてて。当然警察も動かないし。油断してました。聖林学園に不屍者が入ってくることは不可能だから、校内にいれば安全だと高を括っていました。おそらくあいつら、纐血城高校に金で雇われた普通の人間なんです。もしかしたら、不屍者にしてやるという条件で雇われたのかもしれないです」

「いろいろわからないことばかりだから、全部わかりやすく説明してもらいたいところだけど、いまは可及的速やかに事態を解決する必要がありそうね。それより、あの園長室にあった日本刀、呪禁刀じゅごんとうっていったわね。あれ、全部あいつらにあげちゃうわけにはいかないの? たかが刀でしょ。人の命には代えられないと思うけど」

「それができれは苦労しませんよ」錦之丞は悩まし気に眉根を寄せる。「あの呪禁刀は唯一不屍者を滅することができる武器なんです。あれを渡してしまったら、われわれは──」


 雷美は錦之丞の言葉を手で制した。

「わかった。刀は渡せない。が、あいつらは刀が欲しい。そして園長先生を人質にしている。ではどうするか?」

「うーん」

 真面目に考え込む錦之丞の肘を、雷美は思いっきり引っぱたいた。

「奪い返すのよ!」

「どうやって!」錦之丞は言い返す。「相手は三人。二人はナイフ、一人は拳銃を持っているんですよ」

「んなもん、騙して分断して、各個撃破よ。あたしが、あいつらを騙して、二人と一人に分けるわ。で、一人の方に園長先生の見張りをさせるようにする。そこをあんたが後ろから襲って、その木刀でぶん殴って、園長先生を救出。あんたは一躍ヒーロー。どう? いい作戦じゃない?」

「中学生の書いたゲームのシナリオみたいですよぉ。現実感が低いと思いますが……」

「だいじょうぶ。任しときなさいよ。あんたは早く裏に回って、背後から突入する用意を整えておきなさい。あたしが、二人をつれて外にいくから。ま、極力拳銃持ったあの二階堂ってやつを連れ出すつもりだけど、あいつが残ることになったら、肚くくってね」

「そんなぁ。こっちが各個撃破されそうなんですけど」

「いいから、早く裏から回り込む! ここの裏は駐車場だから、塀越えるだけだから。あたしは五分だけ待って突入するからね。遅れないでよ」


 唇をへの字に歪めた錦之丞は、それでも腰の木刀をおさえて走り出した。走る後ろ姿が、どうにもヘッポコで頼りない事この上ないが、いまは彼に頼るしかない。

 雷美は五分だけ待って、工事現場に入った。

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