2 木根


 木根の名前は、錦之丞も知っていた。

 錦之丞は別の中学の出身だったが、石塚と堀は同じ中学に通っており、二人ともそこの剣道部に所属していた。そして、噂では、そこでちょっとした問題を起こしたらしい。

 二年のときに、後輩として入部してきた一年生の新人をターゲットにして、執拗なしごきを施し、その一年生を事故死させたというのだ。

 別の人の話だと、それは練習中の事故死ではなく、帰宅途中の交通事故であるとか、あるいはいじめを苦にした自殺であるとかいう話も聞いたことがある。

 だが原因はどうあれ、結果として命を落としてしまったその一年生の名前が、たしか『木根』だった。


「おまえ……、木根」石塚の頬は血の気がひいて白い。いま月光の青をうけて、その頬は蝋でできたように血の気が失せていた。「生きていたのか」

「いいや、おれは死んだよ。安心してくれ」

 木根と呼ばれた男は背が低く、顔はニキビであばた面。だが、その目はまるで、義眼が嵌まっているかのような蒼い色の光を放っていた。

「だから、おまえたちの暴力、執拗ないじめ、そして殺人を証言する者はいない。だがな、おれは忘れてないぜ。死して尚、あのときお前たちから受けた痛みと屈辱を胸に、ここにこうして立っているわけさ。先輩、あのころはお世話になりましたね、いろいろな意味で」

 言い放つと、木根という男はげらげらと笑い出した。棺桶から飛び出してきたガイコツがカタカタ鳴るような笑い方だった。


「おまえ」横から堀が詰問する。「ほんとうに木根なのか? 偽物なんじゃないのか?」

 それは堀の希望的観測、というか、一種の祈りだったのかもしれない。

 が、木根は冷徹にそれを否定した。

「本物ですよ。正真正銘本物の、木根幸一です。反魂はんごんの術で甦らせてもらいました。あのゲームやアニメなんかによくあるやつです。死者の灰から過去の記憶を取り出して、不死の細胞にそれを読み込ませると、生前の人間を十七歳の状態で生き返らせることができるんです。絶命時の年齢如何に関わらずね。ご存知でしたか? だから、ぼくはあのころより、4歳くらい成長して生き返っています。先輩たちと同い年ですね」

「なにをバカなこと、言ってやがるんだ」

「ときに、先輩方、今夜は剣道部の稽古でしょうか? そういえば、むかしはよく先輩方に稽古に付き合わされましたね。実戦形式の練習とかキツかったなぁ、だって三対一でしょ。どうです? ひさしぶりに、ぼくと実戦形式の稽古、しませんか? あのころみたいに、ルールなし手加減なしのやつを」


 言うや否や、木根は手にした木刀を顔の横で垂直に構えた。

 左拳がこめかみの辺りにくる、異様に高い八相はっそうだった。錦之丞は、こんな異様な構えはいままで見たことない。構えとは、かならず中段にとるものだと思っていたからだ。


「おい、ふざけるな!」石塚も、ぱっと手にした木刀を構える。なかば反射的な動きにみえた。相手が構えたから、自分も構えた。そんな感じだ。

 石塚の構えは、普段通りの剣道の中段。両拳を腹の前、切っ先は喉の高さ。ただし、あまり攻める気はないようだ。いつものように、切っ先を左右にひょいひょいと動かして相手を牽制する動きはない。


 二人が構えて向き合ったため、錦之丞は反射的に石塚から離れた。他の者たちも、二人から距離をおき、石塚と木根は人垣のなかで対峙することになる。

「おい、木根。バカなことはやめろ」石塚は言いながら、構えた木刀の切っ先をひょいひょいと動かし始めた。口ではああいっているが、すでにやる気になっているらしい。「これは木刀だし、ここには防具だってない。こんなので試合は出来ないぞ!」

「あのころだって、防具はなかったじゃないですか」木根は楽しそうに笑う。こちらは顔の横で突っ立てた木刀を微動だにさせない。

「おい、木根。舐めたこと抜かしてると、こっちも本気でいくぞ」石塚がじりじりとり足で間合いを詰め始める。本当にやる気のようだ。

「是非、本気でお願いしますよ、先輩。でないと、あなた、死にますよ」薄ら笑いを浮かべながら、木根が前に出た。すうーっと、ふつうに歩くみたいにてくてくと間合いを詰め始める。


 石塚が剣先を上下させながら、応じて前に出る。

 錦之丞が、え?本気でやり合うのか?と目を剥いたとき、石塚の上体ががくっと崩れた。

 つま先を、地面から飛び出したアカマツの根っこに引っかけ、つまずいたのだ。そして、その瞬間、踏み込んだ木根が、手にした木刀を躊躇なく石塚の頭に振り下ろした。

 ばかん!という音が夜の空に響く。がくっと身を折った石塚が手で頭を庇うような動きを見せるが、木根はかまわず腰を落として、二撃三撃と左右の八相から石塚の頭を殴りつけ、そのままばったりと石塚は地面の上に倒れた。むき出しの土のうえに、黒い液体の水たまりがみるみる広がってゆく。


 錦之丞は息をつめ、地面に横たわる石塚の、黒い頭と藍染めの道着の背中を見つめる。これは、ほんとうに、現実に起こっていることなのだろうか?

「木根、てめえ!」

 堀の叫び声で、はっとわれに返る。


 目を上げると、木根に対して堀が木刀を構え、攻める気満々で向き合っている。

 が、石塚の失敗をみて、堀は前には出て行かない。地面の状態が分からないからだ。

 暗いし、目を下に落とすこともできない。中段に構え、剣先を木根の喉につけているが、そこから一ミリも前にでることができずにいる。

 木根は楽しそうに笑いながら、木刀を再びあの高い八相に構えた。


「先輩にはせっかく教えていただいたんですが、剣道の摺り足って、道場みたいに完全にまっ平らな場所でしか役に立たないんですよね」

 小馬鹿にした表情で、するすると間を詰めた木根の圧力に屈して、その場に立ち尽くす堀は身をのけぞらす。が、さすがは剣道部のエース。堀は、最後の最後に気概をみせて、高い八相から木刀を振り下ろしてくる木根に対して、県内でも速いと定評のある差し込み面を放っていた。


 堀の木刀は、木根の木刀のスピードを凌駕して、相手の額に下からこすり付けるような一撃をお見舞いしていた。これが剣道の試合だったら、綺麗に旗があがっていたろう。

 だが、堀にとって不幸なことに、ここには旗をもった審判はおらず、先に当たった堀の木刀を評価する人間もいなかった。

 木根は軽く当たった木刀に頓着せず、そのまま八相から思い切って手にした木刀を振り下ろし、さっきと同じぼこんっ!という音を響かせて、堀の頭頂部を殴打していた。


 堀は、風呂にいれられた犬がするみたいに、頭をぶるっとひと振りし、そこにもう一撃二撃と、間髪をいれずに打ち下ろされた木根の木刀の連打をくらって、膝から崩れて倒れた。

 木根は冷静に、昏倒した堀を見下ろしながら木刀を高い八相にふりあげ、すすすっと後退した。

 そして、堀が完全に動かなくなったのを確認したのち、木刀をおろし、そして錦之丞と目を合わせて訊いてきた。

「きみも。やるかい?」


 楽しそうだった。木根の蒼味がかった目に見つめられ、錦之丞はがくがくと自分の身体が震えだすのを感じた。

 否々と首を横に振る。

「だったらさぁ、早く帰りなよ」木根は冷笑を浮かべて錦之丞を睨む。「帰って、聖林学園のやつらに伝えろよ。纐血城こうけつじょう高校が来たって。園長の蝉足せみたりしのに言ってやれよ。不屍者が攻めてきたってな。おまえら人間、皆殺しにしてやるってさ。ひとり残らず生者しょうじゃを滅して、この世を不屍者の国にしてやる。それがおれたち纐血城高校の目的だからさ」


 木根は言うだけ言うと、くるりと背を向けて校舎の方に歩き出す。

 他のふたりの纐血城高生もそれに続く。

 やや歩いて木根は振り返り、そして付け加えた。

「早く行けよ。あと、そこで倒れている二人も回収していけ。さもないと、殺して、おれたちの兵隊に加えちまうぜ」

 木根は楽しそうにゲラゲラ笑いながら去って行く。


 ふいに怖くなった錦之丞は、くるりと背中を向けて走り出した。纐血城高校へも、倒れている石塚と堀にも、目の前の現実にも背を向けて。

 手にした木刀と一緒にプライドを投げ捨て、二人の仲間を見捨てて、錦之丞はその場から逃げ出したのだった。


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