第1話 不屍者襲来

1 青い夜


 夜の青は、死者の青だと思う。

 つねづねそう思っていた。



 澄んで冴えわたる夜空には、雲がまばらに浮かんでいる。薄墨色に染まる雲は、レモンイエローに輝く月の光を透けさせていた。

 遠くで、まだ沈み切れていない夕日が、地平線の下から藍色の残陽を投げかけている。その光をうけて、雲の腹が青紫にほんのりと染まっていた。


 山頂にある私立『聖林学園』から、中腹にある『城址公園』まで。

 森のように深い木々に囲まれた坂道を、萬屋よろずや錦之丞きんのじょうたちは、軽い足取りで駆け下りていた。

 足にはランニング用のスニーカー。手には剣道形けんどうかたを練習するための木刀。着ているのは、藍染めの剣道着。ごわごわする袴の裾がからまって走りにくい。


 錦之丞が剣道部に仮入部してからもう2週間。だが、いままで運動なんてまったくしてこなかった文系の彼には、この程度のスピードでちょっと走るだけで、いろいろと消耗してしまって息もすぐに切れる。

 前を走る石塚と堀は、ふたりとも錦之丞とおなじ二年生だが、中学のころから剣道部で鍛えており、この程度の運動はへでもない。聖林学園にも、剣道の推薦枠で入学してきたほどなのだ。


 その彼らに誘われて剣道部に仮入部した錦之丞だが、すでに自分の限界をなんとなく感じてしまっていた。そもそも石塚たちと自分では、身体の出来がちがうのではないかと思ってしまう。


 聖林学園は全寮制の私立高校。剣道に力を入れていて、入学に関しては剣道部の推薦枠まである。立地も変わっていて、埼玉県『小江戸』川越のすこし北にある赤石あかし山の山頂に、時計塔のあるモダンな校舎と学生寮があった。

 山といっても高いものではないが、むかしはここに赤石城という城があり、周囲の城下町を見下ろしていたらしい。現在は、山頂に聖林学園が建ち、中腹に赤石城址公園があるばかりで、むかしは城のあった場所だったと教えられないと、ただの急な坂道がある場所としか認識できない。


 つい2週間ほど前。

 錦之丞のことを剣道部に誘ってくれた石塚が言うには、聖林学園では剣道部は特別扱いでいろいろと特典があるから、ぜったい入部した方がいいということだったが、そのうちのひとつが、午後8時が門限である男子寮から、校外の坂をくだったところにある城址公園までの外出なら、トレーニングと称して無許可で行けることだった。

 その夜も、石塚と堀は錦之丞をつれて、トレーニングという名目で校外に出て、赤石城址公園まで下り、そこで木刀素振りに付き合ってくれていた。それがここ2週間ばかりの、毎晩の日課になっている。


 梅雨があけ、急に暑くなってきたこのごろ。すこし走るだけで汗がでる。山を半周して下るアスファルトの坂をゆっくり駆け下りていた3人は、そこで突然にたちどまった。

 先頭を走っていた石塚が茫然とした様子で左右を見回す。

「なんだ、こりゃ」

 そこに城址公園はなかった。

 かわりに、刑務所のように高いコンクリートの塀で囲まれた学校があった。

 校門の奥、塀の向こう側には、黒い塔のような校舎が月明りに浮かび上がっている。

「こんなの、きのうは無かったよな」

 左右を見回しながら、堀がぽかんとした顔をする。

 城址公園をまるまる潰して、一晩のうちにできあがってしまったその高校は、アスファルトの坂道沿いにいかつい校門を設けており、いまその鉄格子のような鉄柵は大きく開かれている。門柱には銅板の分厚いプレートが嵌まり、そこにはこう書かれている。


『私立 纐血城こうけつじょう高等学校』


「学校なのか?」

 錦之丞はきょろきょろしながら校門の中をのぞきこみ、煌々と明かりの灯る城砦のような校舎を見上げた。明かりがついているということは、まだ生徒がいるのだろうか? いや、もう生徒がいる、というべきか?

 だが、明るい窓には人の影はない。校内も、そして校庭にも、人間の気配はなかった。

 校門の内側、城址公園の地面をならしもせずそのまま使っているとおぼしき校庭には、見慣れたアカマツが昨晩までと同じ形で生えており、土の地面のうえに太い根をうねらせていた。


「入ってみるか」

 他の二人に声を掛けて、石塚が校門内に踏み込む。

 その背中には、ここは城址公園であり、自分たちがいつも素振りをしていた場所であるという所有権の主張が感じられた。石塚につづいて堀も校内に入っていってしまうので、仕方なく錦之丞もつづく。


 城址公園は広い。そこに建てられたこの纐血城高校も、そこそこの敷地面積がありそうだった。前方に見える尖塔のような校舎。入り口の鉄扉は固く閉ざされているが、あそこまで行って扉を叩くつもりなのだろうか? 錦之丞が石塚と堀の背中を見つめながら不安に思ったあたりで、ふいに後ろから声が掛かった。

「久しぶりだな、石塚先輩」

 ちょっと小馬鹿にした口調に、先頭の石塚が袴のすそを翻して振り返る。

 堀に遅れて錦之丞も背後に向き直り、声をかけてきた相手を探した。


 夜の藍色の翳りの中、校舎からの暖色灯の光をうけて立つ三人の男子学生。

 顔がかろうじて判別できる距離にたつ三人は、黒い詰襟の学生服を、前のボタンをすべて外して着ている。

 下に着た白いワイシャツのボタンも、上から三つくらい外していて、なんともラフな着崩し方だが、制服には皺ひとつなく、だらしのない学生という感じではなかった。

 そして、三人とも、手につばなしの木刀を提げていた。


「なんだ、おまえら」

 石塚は強気に前に出た。彼は身体も大きいし、剣道も強い。相手が木刀をもって挑んでくるというのなら、たとえヤクザであってもビビリはしないだろう。手にした木刀を左手に提げ、纐血城こうけつじょう高校とかいう学校の生徒とおぼしき三人の前に立ちはだかる。


「だれだ、おまえら。見たことない顔……」喧嘩腰で言いかけた石塚は、しかし相手の顔に目を止めて言葉をのんだ。「おまえ、まさか、……木根か?」

 ごくりと唾を飲み込む。木刀を提げた石塚の手がぶるぶると震えだした。

 錦之丞のとなりで、堀も「えっ」と声を上げ、息を呑んでそのまま黙り込んだ。錦之丞も、茫然と立ち尽くす。

 それはそうだろう。なぜなら、木根という男はすでに死んでいるはずなのだから。



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