第1夜 元魔王、村の勇者と旅に出る。

第1回 元魔王、村にひろわれる。

「ありがとうございました。助かりました」


「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」


 水を運んできてくれた女性に礼を告げて、私はその水を一気に飲み干した。



 私は今、名も知らない村の村長のお宅にお邪魔している。



 ことの顛末てんまつはこうだ。


 魔王城を出た私は、日がな一日、歩き続けた

 昼も夜も、休まずに歩いた。


 ひとり旅という高揚感こうようかんもあいまって、頭がどうかしていたのだ。


 荷物はほとんど持っていなかったから、身軽ではあった。

 だが、だからこそ、どこかに泊まるなんてこともできず、そもそも、なにをどうすれば泊まれるのか、それがわかっていなかった。


 なぜなら、ひとり旅など、はじめてのことだったからだ。



 そんなこんなで、当たり前に、私はついに力尽きた。


「み……水を……」


 なんていう、ありがちな言葉が、口をついて出てきていた。


 ああ、日の光がまぶしい。


 むき出しの地面が、手や足の汗をすう。


 萌える草木のニオイなんて、はじめて嗅いだかもしれない。


 せせらぎ聞こえる水の音が、こんなにも愛おしく思えるなんて。


「あんれま、お前さん。どうしたってのかい?」


 それがどれだけとぼけた声だったとしても、そのときの私には、十分すぎるほどの救いの声だった。


 私は、声のしたほうに、無意識に手をのばしていた。


「み……ず……」



 それからどれだけの時間がたったのだろうか。

 気がついたら私は、木造らしき家のベッドの上で寝ていた。


 寝心地がとてもよかった。


 風が気持ちよかった。


 水がおいしかった。


 生きているって、すばらしい。



「お目覚めになられましたかな?」


 女性と入れ替わるように、口ひげをたくわえた老人が現れた。

 彼は、この村の村長なのだそうだ。


「ええ、この村のみなさんのおかげで、ここまで元気になりました。本当にありがとうございました」


「お礼など、結構ですよ」


 この村の方は、本当にお優しい方ばかりだ。

 みなが私によくしてくれて、私の礼にも、こうして謙虚けんきょな言葉を返してくれる。


 なんとすばらしい村なのだろうか。

 もしかしたら、こここそが、私の求めていた場所なのかもしれない。


「座っても?」


「え、ああ、どうぞどうぞ」


 村長は、身体を起こした私の横まで、木製の椅子をひきずってきた。

 そして、ゆっくりとそこに腰をおろした。


「ときにあなた様は、なぜこんなさびれた村の近くで、おひとりで倒れていらっしゃったのでしょうか」


「それは……なんとご説明すればよいのか。

 私は現役をしりぞいた身でして、こう見えても結構な年なんですよ。

 それでですね、こんな年になってはじめて、旅をしたいと、そう思いまして。

 それで勢いいさんで出てきたはいいものの、いかんせん、ひとり旅などしたことがなく、あのような姿をさらしてしまうことに」


「なるほど、そういうことでしたか。それはまた、思い切ったことをしましたな」


「ええ、お恥ずかしいかぎりです」


「ということは……今のあなた様は、もう魔王様ではない、ということなのですね」


「――ええ、そういうことになりますね」


 私はもう、魔王ではない。



 そうか――



 私は、魔王『だった』のだ。


 今の私は、『元』魔王なのだ。



 こうして見ず知らずの他人に言われることで、私はようやく、魔王ではない『ただのいち魔族』になれたのかもしれなかった。



 ところで――



「あれ? 私、自分が魔王だったことをお伝えしましたっけ?」


「いえ、直接はお聞きしておりませんが、お聞きせずとも、お姿を見ればわかります。都市部から離れたこんな村だったとしても、魔王様のお姿くらいは、みなが存じあげていることでございます」


「なるほど、そうなんですね」


 いやはや、有名になるというのも、やりにくいものだ。

 今後は気をつけなければなるまい。


「そこで、唐突とうとつなお話になってしまうのですが、一つご相談したいことがございまして」


「はい、なんでしょうか」


「もしよろしければ、この村の勇者と戦っていただいて、そして、その勇者に倒されてはいただけないでしょうか」

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