第八話 老魔導師、最後の一撃

 どうにかアカツキから回復薬を受け取った弥生は、急ぎセリーの元へ。

その頃、クリストファーは、皺だらけの両手をわきわきと指を動かし、少しずつリリスの側へと近づいていく。


 半身になったリリスは思わず、両腕で自分の胸を隠す。


「な、なんか嫌な手つきですわね」

「ほほ……そんなこと言わぬと。ほれ、触らしてくれないかのぉ」


 ジリジリと摺り足で近づいていくクリストファーに対して、リリスは一、二歩後退っていく。


「何をしているのだ、クリストファーは!」


 馬車からクリストファーとリリスを見ていたワズ大公は、破廉恥極まりないと憤る。もちろん、弥生やリュミエール女性陣からもドン引きされており、その顔はひきつっていた。

ただ、一人を除いて。


 見た目はほぼ人間と変わらないリリスは、初めこそ顔を蒼白にして嫌がっていたものの、段々と苛立ちの方が強くなっていく。

切れ長の目でクリストファーを睨み付けると、胸を隠すのを止めたリリスは、一度地面を強く踏みつけると、突然身に付けていた上着を脱ぎ始めて、上半身下着姿になる。


「ほほ……なんじゃ。触らしてくれるのかのぉ」

「ええ、いいわよ……ただし、お代はその枯れた命でね!」


 リリスはクリストファーに向かって行くと、いつの間にか右手は鱗が生えており、鋭く尖った伸びた爪をもって、襲いかかる。

クリストファーは、頬に爪がが掠るものの笑みを浮かべながら避けた。

すぐにクリストファーは、お返しだと言わんばかりに近づいて、腕を掴もうとするが、リリスもすぐに後方へと退き距離をとる。


「ほほ……幻影魔法とは。力押しの魔族にしては珍しいのぉ」


 リリスの上半身は下着姿ではなく、上着を着たままであった。

幻影魔法には、相手に嵌める必要がある。同じ魔法を使えるアイシャの場合だと、手袋をはめる動作を相手にハッキリと見せる。

リリスは、服を脱ぐ前に一度わざと地面を踏みつけて、足に視線を集めるのが、幻影魔法のキッカケとなるのであった。


「よくわかったわね。今まで色んな男をひっ引っかけてきたのだけれども。ああ! 思い出したわ! そう言えば昔、そこにいるワズ大公の息子もアッサリと引っ掛かっていたわね。たしか、ラーズとか言ったかしら?」


 リリスはワズ大公に聞こえるように、わざとらしく声を大にする。


「なっ!? も、もしかして、お主がリリー……か!」


 まさか、自分の息子を骨抜きにした相手が目の前にいるとは思わずワズ大公は、ただただ驚くしかなかった。しかし、リリスの独白はそれだけではなかった。


「あら、聞こえちゃったかしら。ふふ……そう言えば、ここはグルメールだったわね。グルメール王国は、まぁバカな男達が多いこと、多いこと。例えば、そう。この国の王子……とかね?」

「王子……? エルは生きて……まさか、貴女が兄様を!?」

「初めはね。でも途中で魔法をはね除けちゃうものだから。だから、マブチ様の手で殺されるのよ。引っ掛かったままなら快楽の中で死ねたのにね」


 リュミエールまでも驚く。元々このグルメール王国には二人の王子しかおらず、現在、その内の一人であるリュミエールの弟エルヴィスことパクは、王の座に就いている。

つまり、リリスのいう王子とは、第一王妃アマンダが狂いだしたキッカケ、麻薬漬けにされた前国王が患っていた心労の元凶である、リュミエールの義理の兄、第一王妃の長子。


 年は取れども長年、そしていまだにこのグルメール王国の大黒柱だと自負するワズ大公は、目の前にいる女魔族と、アカツキ達が戦っている馬渕によってグルメール王国がガタガタにされただけではなく、危うく第一継承権を持つエルヴィスを廃して、自分が王になるという失態を犯すところだった。

手のひらの上でもて遊ばれているようで、普段は毅然な態度のワズ大公も冷や汗を流す。


 リュミエールは、ただただショックで目の前が真っ暗になり、気を失いかける。


「なん……じゃ、ワズ大公……その顔は……。お主……らしくない」


 回復薬は飲んだものの、すぐには身体の疲れが取れないルスカだったが、声は多少出るようになるまでに戻っていた。

「ルスカちゃん! 大丈夫なの!?」と、駆け寄り心配する弥生の手を払い除けると何とか自力で立とうと試みる。

しかし、足元がおぼつかず倒れそうになるルスカを、ちょっと呆れつつ弥生は手で身体を支えてやった。


「ワシのことは……構わ……ぬ、それより……クリスト……ファーを止めな……ければ」


 ルスカの焦りから周囲も漸くクリストファーの異変に気づく。魔導師でありながら魔法を使用する気配はなく、身体が異様に元気であることに。

齢百を越える老体の姿ではないのだ。


 ルスカが案じている最中も、クリストファーはリリスの胸に狙いを定めて手を伸ばして掴みかかり、リリスは不愉快な表情をしながら、その手を払い除ける。


 全ては伏線──。


 リリスの意識が完全に自分の胸をガードするように仕向ける為。リリスは、鬱陶しそうにクリストファーの腕を払い除ける。


 まるで虫でも追い払うかのように。


 そんな動きが速い訳もなく、クリストファーは、払い除けてきたリリスの腕を掴んだ。


「つ か ま え た のぉ……」


 リリスの背筋が一気に凍りつく。しわくちゃの瞼から覗く黒い瞳は、まるで深淵の闇の中を覗き見するかのように静かに深く暗い。

リリスは、その瞳に恐れを抱くどころか見とれてしまう。

出会った頃に一度だけリリスに見せた馬渕の瞳に似ていたのだ。


 まさか自分が傾倒する相手以外から見るとは思いもよらなかったリリスは、しばし自分の置かれている状況を忘れてしまっていた。


「悪いがお主の魔力、借りるぞい」


 クリストファーの言葉でハッと我を取り戻したリリスは、掴まれた腕を振り払おうと動かすが、想像以上の力で掴まれておりビクともしない。


「退け! ジジィ‼️」


 慌てたリリスは、尖った爪をクリストファーの心臓に突き立てるべく腕を伸ばすものの、逆にクリストファーの手に掴まってしまう。


「くっ! は、離せ!」


 両腕を引っ張り暴れるリリスには、慌てていた為に自分の脚ががら空きであることや、背中の羽のことは頭の中に思い浮かばずにいた。


“光の聖霊よ 降り注ぐ光る流星よ 我の道を阻みし愚者を血に染めよ スターダスト・ハレーション”


 詠唱が終わるとクリストファー、そしてリリスの足元の円陣に地面が光輝く。

その光は一度、空へと舞い上がり一塊になると、一粒一粒、ポツリポツリと小雨のように落ちてくる。

光の粒子がリリスの右肩へ触れると、苦痛に顔を歪める。

リリスの右肩に触れた光の粒子は、パンと小さく渇いた音を立てて破裂したのだった。


 クリストファー、そしてリリスに触れた光の粒子は小さく破裂して、その身体に傷を付けていく。一つ一つは、大した傷ではない。しかし、その光の粒子は確実に二人を血に染めていくのであった。


 以前にルスカがナックと戦った時に使用した魔法スターダスト・スノー。これはルスカのオリジナルであるが、スターダスト・ハレーションを元にしていた。


「くそっ、何故なの!? 私はマブチ様から加護を受けて魔法は通じない筈なのに!? 何故!?」

「ほほ……そんな情報は知っておるわい。だから、お主の魔力を借りたんじゃよ。魔力は聖霊の餌じゃからのぉ」


 つまりは、この魔法はリリスが発動させているようなもの。聖霊を無理矢理従わせるルスカやアドメラルクとは違ったクリストファーの馬渕対策であった。


「くそっ! 離せ、離しなさい‼️」

「我慢くらべじゃて。どちらが我慢強いかのぉ」


 二人は既に血塗れとなり、徐々に力が抜けて気力も失われ始める。

互いに皮膚が割け肉が見えた場所から流れて行く血によって。

それは、老練な魔導師による全てを賭けた最後の一撃であった。

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