第十話 幼女、再び激昂する

 倒れ込んだ状態で、しかも剣を手放してしまったアカツキに対して、フォレストタイガーは低く唸りながら涎をダラダラと垂れ流して今にも襲いかかれるように身体を低くして溜めを作っていた。


 直ぐには襲って来ないのは、アカツキが左右どちらに動いて逃がさない為だろうか。


 アカツキにもそれが分かっているのか体が動かず、膠着状態になっていた。

だが、それも長くは続かない。

アカツキの受けた胸の傷から血が止まらないのだ。


 このまま出血が続けば、動くどころか死んでしまう。


 背中に背負った死の恐怖にアカツキは震える身体を抑え込む。

動いても死、動かなくても死という極限状態にありながら、アカツキは先日誓った決意を思い出す。



 死の運命に最後まで抵抗する! 



 アカツキの横の空間に亀裂が入り、アカツキは右手を差し入れる。

それと同時にフォレストタイガーも逃がさぬように爪ではなく噛みつく事を選択し、大きな口を開けて襲いかかってきた。


 アカツキが亀裂から取り出したのは革袋。そして、中身を襲いかかってくるフォレストタイガーの大口に向かって撒き散らした。


 しかしフォレストタイガーの勢いは止まらずアカツキを押し倒して、その口で噛みつく──その刹那。


 フォレストタイガーは、声にならない声をあげて地面を転がり出した。


 アカツキが投げたものは以前ゴッツォに貰った“火炎ペッパー”。

袋に溜まった揮発性の刺激臭もろともぶっかけたのである。


 これにはフォレストタイガーも耐えられず、最早アカツキどころじゃない。


 揮発性の刺激臭は、アカツキの傷にも響く。只でさえ深い傷を更に開かれた気分になる。

だが、余裕を見せていたフォレストタイガーとは違って、アカツキは既に覚悟を決めていた。


 素早く手放した剣を拾うと、フォレストタイガーの元に行き一気に振り下ろす。

しかし、運悪く剣は暴れる爪に当たり、簡単に折れてしまった。


 このままフォレストタイガーが逃げてくれればいいが、その保障はどこにもない。

アカツキは、アイテムボックスを開きながら思いきってマウントを取る。


 アイテムボックスから取り出したのは、アカツキ最大の武器。

力を込めて、アカツキは首もと目掛けて振り下ろす。


 鮮血が飛び散りアカツキにかかる。しかし、お構いなしにアカツキは何度も何度も振り下ろす。


 肉を突き刺すとそれにあらがい反発する感触が手に残り、断末魔が耳にこびりつく。やがて刺しても抵抗が感じられなくなると同じくしてアカツキ最大の武器も折れた。


 マウントの状態から立ち上がり、覚束ない足取りでフォレストタイガーの亡骸から離れると、震える手を押さえながら木に、もたれかかる。


「はぁ……」


 ズルズルと木を背に地面へ、へたりこんでしまったアカツキの耳に、遠くからルスカとアイシャの声が入る。


「アカツキー!!」

「アカツキさん、大丈夫ですか!?」


 アカツキを見つけたルスカとアイシャは駆け寄ってくると、二人の顔は血だらけのアカツキの体を見て蒼白になる。


「アカツキ、傷を見せるのじゃ!」

「ルスカ……私はもう駄目です……」

「何を馬鹿な事言ってるのじゃ! 嫌じゃ、ワシを一人にするな!」


 弱気な表情のアカツキに、ルスカは叱咤激励するが目に覇気が戻らない。


「私の……私の……」

「へ? 何じゃ?」

「私の包丁が折れました。立ち直れません……」


 ルスカとアイシャは考えが追いつかず、しばらく黙ってしまう。


「あれ? 何か目が……イタタタッ!」

「アカツキ、これって……うー、痛いのじゃ……」


 初めはアカツキの心配で気にならなかったが、正気に戻った瞬間、辺りに撒かれた“火炎パウダー”で目が痛み出す二人。

アカツキはアカツキで長年愛用していた包丁を失ったショックなのか、傷の痛みのせいか気を失ってしまう。


「!! アカツキ! すまぬ、アイシャ。アカツキ運ぶのを手伝って欲しいのじゃ! うー、目が……我慢、我慢じゃ」

「はい! ってイタタタッ」


 二人は目の痛みに堪えながら、“火炎パウダー”の被害の少ない場所へとアカツキの身体を移した。



◇◇◇



「うっ……」

「あ! 気付いたのじゃ!」


 フォレストタイガーと戦っていた時は、まだ日が高かったが目を覚ましたアカツキが見たのは、暗闇の中でパチパチと音を鳴らす焚き火による明かりに写るアイシャとルスカの二人。


 倒れたアカツキの治療の為に一度移動すると、返り血にまみれたアカツキの服を脱がしてルスカが魔法をかける。


“キュアヒール”


 白樺の杖の先に空色の光が集まり、アカツキの胸の傷の上に置く。

空色の光に包まれた傷からは、血が流れるのが止まるとゆっくりと時間をかけて癒していく。

急激に傷を治す魔法もあるが、アカツキの体力を考えてゆっくり治す方法を選択した。


「アカツキ、傷はまだ、痛むのじゃ?」

「傷?」


 そう言えば胸に深い傷を負わされたなと思い出すが、それほど痛みはなくアカツキは体を起こし立ち上がろうとする。

しかし、眩暈が激しく足にも力が入らない。


「まだ無茶なのじゃ。多く血を失ったのじゃ、無理するな。魔法で血までは作れぬし」

「しかし、早く行かなければ……」


 アカツキは近くの木を支えに再び立ち上がろうと試みる。


「ルスカ様の言う通りですよ! 無茶はいけません!」

「そうじゃ、元々アイシャのせいなのじゃ。遅れて既に解決して報酬が入らなくてもアイシャが悪いのじゃ」

「早く、早く首都に行って新しい包丁を買わねば……」


 ただアイシャはアカツキを心配し、ルスカはアイシャのせいだと言い張り、アカツキは包丁の心配をする。

三者三様、それぞれの思いは異なっていた。


「はぁ……死ぬ寸前だったんですよ。包丁なんて後でいくらでも買えばいいじゃないですか」

「馬鹿な! 長く使うことで手に馴染み使いやすくなるのですよ!」


 アイシャは開いた口が塞がらず心配するのも馬鹿らしくなってくる。

だが、ルスカだけは違う。


 アカツキに迫る死の因果を知るルスカは、本当にこのままアカツキが死ぬのではないかと治療をしていても不安に駆られたのだ。


「お願いじゃ。養生して欲しいのじゃ」


 今にも泣きそうなルスカが顔を覗きこんでくると、本当に不安にさせたのだなと、アカツキはルスカの目尻を指で拭い、ルスカの背に腕を回し抱き締めた。


 端で見ていたアイシャは、完全に場違いな空気に居たたまれず、ただ黙って焚き火の揺れる火を眺めていた。



◇◇◇



 まだ、朝靄のかかる中、焚き火を始末して三人は出発する。


「アカツキ、無茶は駄目なのじゃ」

「大丈夫ですよ、馬を扱うくらい」


 アカツキは強がって見せるが、馬に乗る際に何度もあぶみを踏み外す。

特に傷に響くわけではないが、馬の揺れは時折眩暈をひどくする。


 三人を乗せた二頭の馬はグルメールに向けてゆっくりと進む。


 フォレストタイガーに追われた間、馬を飛ばした為か、朝靄あさもやが晴れる頃には街道の先にグルメールが見え始めた。


「もうすぐですね。早くベッドで休みたいです」


 何だかんだ言ってもアイシャもフォレストタイガーを一頭仕留めている。

疲れがないはずはなかった。


 昼前には街の城門へと辿り着き、城兵に検査を受けた三人は、まずは宿屋をとキョロキョロしながら街を闊歩する。


「アカツキ、ヤヨイーの様子見に行くのじゃ。そろそろ魔法を使っても大丈夫な筈じゃ」

「えー、先に宿屋に寄りましょうよ、ルスカ様ぁ」


 すぐにでも宿屋のベッドでぐっすりと寝たいアイシャだったが、反対され渋々ついていく事にした。


 城の中庭に建てられた筈の保護施設にヤヨイは居るはずだと、街の中心にある城へと向かって行く。

気のせいだろうか、アカツキは街の人々から視線を感じていた。


 城の門前へと辿り着いたルスカ達は、城の現状に唖然となる。

どうりで先ほどから街中から視線を受けていると、アカツキは思った。


「な、な、な、なんなのじゃこれは~~!!」


 ルスカは大きな奇声を上げる。


 それは城の表側の外壁にデカデカと飾られた自分の肖像画。

街の人達は常日頃から、肖像画が目に入るだろう。

その肖像画本人が街中を歩けば、本人だとは思わなくても似た人程度には気に留めてしまう。


「ワズ大公め!! もう許さんのじゃ!!」


 顔を真っ赤にしたルスカは眉を吊り上げ、白樺の杖を振り回して怒りを露にするのだった。

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