第九話 幼女と青年とギルマス、虎に襲われる

 首都グルメール経由でラーズ公領に向かうと決めた三人は、現在グルメールとリンドウの丁度中間辺りを、急ぐ旅でもないにも関わらず、全力で馬を飛ばしていた。


「はっ! はっ! 何でこうなるのですかー!」


 アイシャが時折後ろを振り返りながら、手綱を必死にしごく。


「何でじゃと!? お主のせいではないか! アイシャ!!」


 馬上で隣を走るアイシャをルスカが怒鳴り散らす。


「うわ! 森の中に二頭新しく来ましたよ! どうするのですか!」


 アカツキも必死に手綱をしごきながら、街道沿いの左右の森の中を走る物体を確認する。

それは、フォレストタイガーと呼ばれる魔物。虎に近い体躯だが、体長は大人ほど。

森に身を潜める為に赤茶の体毛をしており、何よりその特徴として身のこなしが素早い。

森の木々を躱しながら走る為である。


 背後から二頭、左右の森の中を一頭づつ、計四頭がアカツキ達を追って来ていた。


 事の起こりは、十分前。休憩しようとした時、アイシャが「良い岩がある」と座ったのがフォレストタイガーの背中だったのだ。

慌てて逃げ出したアカツキ達を初め三頭のフォレストタイガーが襲ってきたのだが、ルスカが咄嗟に魔法で一頭仕留めた。


 しかし、その後は逃げながらというのもあり、ことごとく躱され続けた。


「アカツキ! アイシャを囮にするのじゃ!」

「ちょっと! ルスカ様、洒落でも止めてください!」


 反論するアイシャに対して二人は沈黙する。


「え? あれ? 冗談ですよね?」


 目が点になるアイシャを無視して、ルスカはアカツキに片手で抱き抱えられながら、魔法を放つ。


“ウィンドフォール”


 街道幅を覆うくらいの風の下降気流にフォレストタイガーは、一瞬動きを止めるもののすぐに追ってくる。


「くっ! キリがないのじゃ、やはり大きい魔法を……」

「ルスカ様、駄目ですよ。森を燃やしたりしちゃ!」


“ストーンバレット”


 石の礫が、フォレストタイガーを襲う。しかし、斜め前方に跳び、礫は全て躱される。


「くそ、当たらぬのじゃ!……うぷっ」

「ちょっと、ルスカ! 吐かないでくださいね!」


 いつもと違い抱っこされた形で、アカツキに支えられている為に馬の揺れがルスカを襲う。


「き、気持ち悪いのじゃ……」

「わーん、一頭位ならワタシ一人でも何とかなるのにー!」


 ルスカは気分が優れず、アイシャは嘆き出す始末。アカツキは何か打開策は無いかと考える。

だが、フォレストタイガーは徐々に忍び寄って来ていた。


「ルスカ、迎えうつ形なら二頭いけますか!?」

「そ、それなら……い、いけるのじゃ……うぷっ」

「アイシャさん! 一頭ならいけるのですね!? そっち側の森の中のフォレストタイガーは任せます!」

「はい、大丈夫ですけど残り一頭は……まさか!」


 アカツキはアイシャに向かって頷くと、馬の手綱を引っ張り止めるとルスカを抱えて跳び降りた。


 アイシャもアカツキの行動に驚きながらも、馬を止め跳び降りるとすぐに森に入って行く。


「ルスカ、頼みましたよ」

「ま、待つのじゃ! アカツキ」


 ルスカを地面に降ろして、アイテムボックスから剣を取り出すと森へと入って行った。



◇◇◇



 森の中でアイシャはフォレストタイガーと対峙する。ポケットから手袋を取り出し手にはめていると、フォレストタイガーが待ってくれる筈もなく跳びかかって来た。


「せっかち過ぎますよっと」


 フォレストタイガーの爪をギリギリまで引き付け、横っ飛びで躱すと、一回前転をして立ち上がる。


 手袋をはめ終えたアイシャはフォレストタイガーに再び対峙して両拳を肩辺りの高さまで上げて構えを取る。


 徒手空拳。それがアイシャの武器だった。

しかし、フォレストタイガーの体躯は、背丈の低いアイシャよりは大きい。

しかもこの手の魔物は、皮下脂肪が厚く打撃に滅法強い。


 フォレストタイガーも分かっているのか、アイシャに怯える様子もなく、低く唸りながらゆっくりと一度で間合いを消せる距離まで近づいていく。


 一瞬フォレストタイガーの身体が低くなり溜めを作ると、爪を前に出して跳びかかる。

アイシャもカウンターでフォレストタイガーの額目掛けて拳を真っ直ぐに突き出した。


 リーチが違う。フォレストタイガーの方がリーチが長い。先に当たるのはフォレストタイガーの方だった。


 しかし当たったのはアイシャの拳。それも正面からではなく、跳びかかった事で完全に身体が伸びた横腹に。


 いくら打撃に強くとも、力を込めていない横腹を殴られたフォレストタイガーは、足元が覚束なくなっていた。


「行きますよー」


 アイシャがダッシュでフォレストタイガーの正面から近づいていく。

足が前に出ないフォレストタイガーは、後ろ足で立ち上がり、前足の爪をアイシャに向けて振り抜いた。


 ゴキッと鈍い音と共に、立ち上がったフォレストタイガーは前のめりに倒れた。

倒れたフォレストタイガーの背後にいたのはアイシャだ。


 アイシャは、立ち上がる事で伸びた背骨に向かって背後から拳を打った。


 正面にいたはずの獲物が突然背後に現れ、フォレストタイガーの目には怯えの色が。

アイシャは再び拳を肩の位置まで上げて構える。


 ジリジリと寄ってくるアイシャにフォレストタイガーは、後退していく。完全に戦意喪失していた。


 最後フォレストタイガーには上から風切り音が聞こえてきた。そして絶命する。

上から落ちてきたアイシャに頭を潰されて。


「ふぅ……久しぶりでしたけど、勝てました。と、それよりアカツキさんが心配です」


 アイシャはフォレストタイガーの遺体をそのままにアカツキの元に駆けていった。


 アイシャの戦い方は二つ。


 一つは幻影魔法。一度目のフォレストタイガーが襲ってきた時にかけていた。

幻影魔法にはきっかけがいるのだが、それがあの手袋。

相手に特定の印象を与える事によって嵌める必要がある。

今回は“手袋をはめる”という行為により、“アイシャは手袋をはめている”と思い込ませたのだ。

それにより、幻影を追ったフォレストタイガーに不意討ちを食らわせることが出来た。


 もう一つは“セルフウェイト”と言う自己強化魔法。

これは、簡単に言えば自分の重さを跳ね上げる。

もちろん自分に負荷はかかるが、先ほどみたいに上から落ちてきて拳を叩きつけ頭を潰す一瞬ならそれほどでもない。


 伊達にギルドマスターをしていない戦いぷりだった。



◇◇◇



 一方アカツキと別れたルスカは、二頭のフォレストタイガーの前に対峙していたのだが、その表情には余裕が見えていた。


 ルスカが一歩近づくと、フォレストタイガーが一歩後退りする。

完全にフォレストタイガーは目の前の幼女に飲み込まれていた。


 逃げ出したい気持ちと、魔物としての矜持が混ざり合い遂には一頭がパニックに陥り、悪手を打つ。


 無策に飛び出したフォレストタイガーは、突如目の前に現れた土壁に頭をぶつけて、眩暈を起こす。


 そして、土壁が崩れた直後に飛んでくる石礫になすすべもなく、撃ち抜かれていった。


 目の前で倒された仲間を見てもう一頭は、逃亡を謀るが、これまた突如現れた土壁に逃げ道を塞がれる。


 その一瞬の躊躇いが決め手だった。


“シャインバースト”


 ルスカから放たれた白銀の目映い光がフォレストタイガーを飲み込むと、写し出されたフォレストタイガーの影ごと収縮した光に消えていった。


「っと、のんびりするわけにもいかぬのじゃ」


 ルスカは、アカツキの向かった森の中へと駆けていった。



◇◇◇



 一人でフォレストタイガーと対峙する事になったアカツキは剣を正眼に構えるが、やはりどこかぎこちない。


 フォレストタイガーは、ゆっくりアカツキを中心に慎重に円を描きながら距離を詰めていく。


 アカツキもフォレストタイガーに常に正面に立つように、フォレストタイガーの動きに合わせる。


 来る! アカツキがそう感じた瞬間、フォレストタイガーが襲ってくる。

しかし、正面から来るとばかり思っていたアカツキは、フォレストタイガーの予想外の動きに戸惑う。


 正面からは来ないで、跳んだのはアカツキから見て右斜め。一度、斜めに跳んでから地面に着地した後、アカツキに跳びかかり襲って来たのだ。


 アカツキは身体を回転させて躱そうとするが、肩口を爪がかすっていく。


「……っつ!」


 フォレストタイガーは、前足を着地するとその前足を回転させて体勢をアカツキの方に向けると再び跳びかかる。


 身を翻して避けようとするが、爪が胸元を削っていく。


「ぐうっ!」


 胸元には三本の直線の傷から血が流れ出す。


「このままじゃやられる……」


 アカツキは、無謀にも正面から襲いかかる。

相手は傷を負い、弱っていると判断したのか逃げようともせずにフォレストタイガーは立ち上がる。


「今です!」


 アカツキは立って歩けないフォレストタイガーの足元を払いにいく。


 狙いは悪くなかった。斬った感触は浅く、アカツキはすぐに離れようとするが、上からのし掛かるように爪を振り下ろしてきた。


 爪は腕を激しく傷つけ、血飛沫が飛ぶ。そして思わず剣を手から放してしまった。

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