第2話 隠居します
俺は魔王の座を側近のハーディに譲り、隠居することにした。
この件で魔王城は一時大変なことになったが、すったもんだの末、円満に魔王を引退することが決定したのだ。
ちなみに魔王城での議決権は、元老院の過半数の賛成があれば通る。しかし特例として魔王一人が手を挙げれば可決されるので、反対派がいくらいても俺が手を挙げれば決定してしまう。恐怖政治と言わないで欲しい。普段はめったに魔王は手を挙げないのだ。狡い手だが使える権力は使うに限る。最後のわがままと許してほしいものだ。
俺は魔王の証である付け角(
魔王の座を譲り受けた側近のハーディは、往年の実力者である。
俺が魔王の称号を譲渡(仮)すると、最盛期の若さまで若返ったので、本人は喜んでいた。黙っていればあと数年で寿命を迎える所だったので、分からないでもない。
でも喜んでいられるのも最初の内だ。魔王を倒す勇者が現れない限り、永遠に玉座を尻ですり減らさなければならないのだ。その時に俺のように人生を捨てたくなる日が来ることになる。覚悟しておきなさい。
ということでハーディの気が変わらない内に、早々に魔王城を後にした俺だった。
あわよくばおれが老衰しひっそりとこの世を去るまで、強い勇者が現れないことを望んで……。
さて、隠居すると決めた俺は、どこかひっそりと暮らせるような場所をまずは探した。
もっとも2000年も生きている俺は、大きな街などの人混みの中で好んで暮らす気もない。世俗の喧騒から外れた地で、ひっそりと一人静かに余生を過ごせる場所があればいいと考えている。
こういっては何だが魔国はとても富んだ国だ。広大な国土を持ち、至る所に大きな街もあるが、まだ手付かずの土地もたくさんある。うん俺の国造りの賜物だね。 だから一人で隠遁生活を送るには最適な場所もすぐに見つけることができた。
魔国と他国との国境付近に『深淵の森』という深い森がある。あまり人も近付かない場所なので、余生を静かに過ごすには最適な場所だろう。
この森は多くの魔物も生息しているし、魔国の者も余り近寄らない。他国の者達はまず立ち入ることもないだろう。この森を通過して魔国に来る者は勇者達ぐらいのものだ。一般人が迷い込んだら魔物に襲われてすぐに死んでしまうような森なのだ。
そんな地を俺は選んだ。
とりあえずは魔国の脅威になる魔物の討伐も出来るので、この『深淵の森』の中ほどにある大きな湖の畔辺りを拠点にして、俺の第二の人生を始めることにした。
魔王城の召使いも何人か俺についてくると言ったが、俺はその全てを拒絶した。
俺はもう魔王ではなく一般人になったのだ。新しい魔王ハーディを支えるための召使達なので、そんなこと許されるわけはないのである。
何度も言うが俺はもう魔王ではなく、たんなるごくありふれた一般人なのだ。
まあ魔王の譲渡が完全に移行するには10年ぐらいかかるそうだが、もう俺は一般人なのだ。もう俺を縛るモノは何もないのである。
「ふう、自由っていいもんだな」
清々しい朝日に照らされた湖の水で顔を洗う。
鳥のさえずりが澄んだ空気に染み渡り、新緑の香りを運んでくる優しい風が頬を撫でる。こんな心休まる環境は他にない。2000年も生きて来て初めて知るような気持ちよさだった。
時折魔物の咆哮が聞こえて来るが、そう気にしたものではない。人々の喧騒よりは耳に優しいものだ。
深淵の森に入って早ひと月が経過した。
武器と工具や農具、それと多少の着替えしか持ってきていないので、一からこの場所を開拓していかなければならない。
まずは住む場所の選定。
それは湖のすぐ近くに良さげな場所があったので即確定した。大雨が降っても水没しないような少し小高くなった場所。土地も肥沃そうだし、湖からすぐに水も引けそうな場所なので、十分に生活していける。
湖で魚もすぐに釣れるだろうし、森で動物や魔物も狩れるので肉も豊富だ。野草も至る所に自生しているし、今後畑を耕す予定なので野菜の心配もない。理想の場所だ。
到着してすぐに開墾に取り掛かった。
鬱蒼と茂る森の木を数百本伐採し、根を掘り起こし、地面を均すと、開けた土地が出来上がる。この作業で半月を要してしまった。
戦い以外で体を動かすのは、実に2000年ぶりぐらいだ。めちゃくちゃ気持ちがいい。
伐採した木材を使い、今度は家を建てる。建材も豊富にあるので全く問題はない。
2000年前と今では建築様式もだいぶ変わったが、一人で住めるだけの家があればいいのでそんな贅沢はしなくていいだろう。
木材を加工し、とんかん、とんかんと家を建てていくと、意外と面白く、予定していた小ぢんまりとした家ではなく少し大きな家になってしまった。
だがそれもまた一興だ。楽しければ何でもいい。
魔王を卒業したのだから寿命は復活しただろうが、幸い俺はまだ働き盛りの若い体だ。自由に生きて行く時間はいくらでもあるのだ。このくらいは贅沢とは言えないだろう。
ということで、深淵の森に来て1ヶ月で住まいも完成した。
これで雨露も凌げるので、野宿は卒業だ。家具とかも作る予定だが、そう焦る必要もない。ゆっくりと楽しみながら作るとしよう。
2000年も生きているとある程度の知識も蓄積しているので、何かと便利だ。
今後は色々な物に挑戦していこうと思っている。
レンガや食器などの焼き物も出来ればいいだろうし、魔物の討伐やこれから農作業もしなければならないので、金属加工できる鍛冶場も必要だ。追々設備の追加もしていかなければならないと考えると、今から楽しくて仕方がない。
自由ってなんて素晴らしいのだろうか。
「うーん、家も出来たし、寝床は確保できたな。次にすることは……」
とりあえず最低限の生活環境は整った。
そうなれば安定した食生活が次の課題だろう。
「うん、畑だな」
肉や魚は労せず入手できるが、新鮮な野菜は育てなければならない。野草を摘んでくれば良いだろうが、穀物類はそうそう入手できないだろう。やはり育てなければならない。
ここに来る前に街で色々な種子を買って来てあるので、自分好みの農園を作ろうと考えている。香辛料も買ってきた分が無くなれば食事も物足りなくなるので、栽培するに越したことはない。
できれば冬場でも野菜が収穫できるような温室も作りたい所だ。人は肉のみに生きるにあらず。偏った食生活はいけない。野菜も食べないとダメだよ。
ともあれ自分一人分の食い扶持さえあればいいので、家庭菜園程度の広さがあれば十分だろう。今後備蓄の事も考えれば拡大すればいい話だ。
こうして俺は鍬を持ち、せっせと畑を耕すのだった。
畑予定地の2割ほど耕したところで日も傾いてきた。
結構石ころが多くて難儀しながら耕していたので、時間がかかってしまった。この分だと種を植え終わるには一週間ほどかかるかもしれない。
魔法を使った作業をしてもいいのだが、そこまで急いでいないし、身体を動かした方が作物に愛着が湧くというものだろう。
まあ気長に行こうと思う。
タオルで汗を拭いながら茜色に染まりゆく空を眺め清々しい気持ちになる。
「ふーぅ、汗を流すのはとても気持ちがいいぜ。それにしても腹が減ったなぁ~……あ、そういえば晩飯の材料が無かったような」
適度に体を動かすと、比例してお腹も空いてくるものだ。
畑仕事も案外と楽しく、夢中になり過ぎて昨日食材を切らしていたことをついつい失念していた。
「狩りにでも行くか……」
釣りをするにはもう時間もない、道具を用意し釣り糸を垂れるだけで日も暮れてしまう。手っ取り早く食材を確保するなら、野生動物か魔物を狩るのが早いだろう。
ついでに野草も摘んでくればバランスの良い食事になる。
俺は鍬を剣に持ち替えて森の中へと足を進めた。
この深淵の森は野生動物の宝庫である。
ちょっと森の中に入るだけで、たくさんの動物、ときには魔物と高確率で出会うのだ。
サクサクと歩みを進め少しすると、早速獣の気配を感じた。
俺は気配を殺し、物音を立てないように慎重にそこへと向かう。
「……ん?」
しかしどこか様子がおかしい。
獣の気配は二つある。どうやら二匹の獣が争っているような感じだ。
──グルルルルゥ……ギャン!
一匹の獣が敵を威嚇するような唸りを上げた後、攻撃を受けたのか悲鳴のような鳴き声を上げた。
しめしめ、これは倒された獣を奪い取れば、労せず肉が手に入る。狡いかもしれないが、この世界は弱肉強食の食物連鎖の上に成り立っているのだ。強い者が獲物を奪っても文句を言われる筋合いなど無い。むしろ二匹を斃すことがないだけ感謝して欲しい。奪われた奴は、また別の獲物を狩ればいいのだ。
どちらにしてもまだ保存庫も作っていないので、獣の肉は一匹分あれば十分である。
そう思って急いでその戦いの場へ向かった。
「おっ……」
するとそこにいたのは、子犬のような獣と、大型のイノシシの魔物だった。
魔物化したイノシシは、かなりの大きさだ。世間でいうグレートボア。かなり強いという噂があるが、俺には敵わないだろう。
一方の子犬のような獣は、そのグレートボアに攻撃を受け瀕死な状態だ。おそらく群れからはぐれ、必死に逃げてきたのかもしれないが、体格差もあってか既に戦意喪失しているようだ。
「うむ~っ、これは困ったな……」
獲物を奪おうと思ったが、これは子犬を食べるわけにはいかない。
何故ならどう考えても貧相な子犬よりも、グレートボアの方が肉が旨いからだ。
「よし、目的変更!」
俺は、──ドン、と地面を盛大に踏み鳴らし、
するとグレートボアはやっと俺の接近に気付いたようで、標的を目の前の子犬から俺に切り替えた。
のっそりとこちらに姿勢をむけ、グフウーと鼻息を荒くし後ろ足で地面を数度蹴る。
そして大きな牙をぐっと下げ、涎を垂らしながら一気にこちらに向かって突進してきた。
俺は剣を握り直し、グレートボアを待ち受ける。
「ふん、温い、温いぞ! そんなちゃちな突進で俺を倒せる積りか?」
俺を仕留めようと牙を振り上げようとしたところ、怒涛の突進を鼻先一つで躱す。
突然俺がいなくなったことで、グレートボアの首が上を向く。
その隙を俺は見逃さない。
「──フンヌ‼」
──ザン!
と、振り落とされた剣は、グレートボアの硬い皮膚をものともせずその首をあっさりと斬り落とした。
首を斬り落とされたグレートボアは、首なしの胴体を突進させてきた勢いそのままに巨木に激突した後、どすん、とその巨体を地面に倒すのだった。
「ふん、呆気ない。獣の分際で俺に勝とうなどとは2000年早いぞ」
ともあれ晩飯の食材は調達できた。
グレートボアの足を持ち、ウキウキしながら引き摺って家まで戻ろうとした時、
──クゥーン……。
と、グレートボアに襲われていた子犬が情けなく鳴いた。
「そうか、お前もいたんだったな。というよりお前を食っても美味そうじゃないしな……」
「クゥーン、クゥーン……」
「おいおい、そんな目で俺を見るな……わかった、わかったから、そんな可愛いらしい目で見ないでくれ」
上目づかいで『助けて下さい』と懇願しているような子犬の瞳に、俺は何故か絆されてしまった。
このままここに放置していけば、いずれまた別の魔物に襲われ食糧とされるだけだ。
仕方ない、助けることにしよう。
俺は傷だらけの子犬を抱え、片手にグレートボアを引き摺りながら家路へと就くのだった。
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