第3話
神戸市で女子高生強姦殺人事件
卑劣な犯人は近くに住む無職の男(48)
夕方5時半すぎ幼稚園の実習を終えた牧野 凛さん(17)は帰り、誘拐され行方が分からなくなっていた。3日後牧野 凛さんは近くに住む長谷川 忠雄容疑者(48)の自宅から変わり果てた姿で発見された。警察が現場付近の事情聴取を進めたところ長谷川容疑者は警察に全てを話したという──。
「…なんか無職って聞くと、あぁ…って感じやな。」
美雪は新聞から目をあげると俺を見て苦笑した。なんとなくわかるような気がして笑い返した。
「たしかに。仕事してないとなんか色々どうでも良くなっちゃうんやろな。」
うんうん、と頷きながら読み進める美雪を窓から差し込む光が照らした。
「図書室なら昔の新聞置いてあるやろ。」
そう言い出したのは美雪だった。
壮の家からの帰り、俺の少し前を揺れる茶髪は
「何か聞けたん。」
と、こちらを振り返らないまま呟くように言った。
「…わざとやったん。携帯。」
ここで、そう聞くのは少し野暮だと思った。
美雪は普段はアホなくせに昔からこういうところはかなわない。すべてを知らないようでたぶんすべてを知っている。やはりあれはおかん精神、なんだろう。おかんには敵わない、それは母親を持つ子なら身に染みて感じていることだろう。俺は観念して口を開いた。
「…りんおねーちゃん、覚えとお?」
「りんおねーちゃん?」
「俺らはりんおねーちゃんって呼んで慕っとったらしいわ。」
壮は特別に慕ってたらしいけど、と心の中で付け加える。
「りん、おねーちゃん…」
美雪は何か探るようにゆっくりと繰り返した。
「…私、その名前覚えてる気がするわ。」
「えっ!?ほんまに!?」
「…うん。…なんかおぼろげやけど。」
「ほんまかいな。」
馬鹿にして笑うと笑い返して来るだろう、と思ったが美雪は珍しく真面目な顔をして考え込んだ。
「死んだってゆーたよな。事件になったんやろか。なら新聞とかにも載るよな?それやったら──。」
土曜日の図書館。先程から考え込んだご様子の美雪を見ながら俺も考えることにした。
りん、おねーちゃん
俺もたしかにそう呼んだのだろう。
キックやパンチを繰り返した俺に笑いながら応戦してくれた。俺が思い出したのはそこだけだ。まさか死んでいたとは、知らなかった。いや、知らせなかったのだろう。これだけの事件、当時は相当話題になったはずだ。だが5歳児にこの前実習来てた子死んだよ〜、なんて。ましてや強姦殺人なんてどう説明しろというのだ。
なら壮はいつこの事実を知ったのだろう。
「好きやってん。」
と、壮は言った。
あいつにとって牧野 凛は"幼稚園の時にちょっとだけ来てた人"程度の存在ではなかったのだろう。だから調べたんだろうか。それとも当時から知っていたんだろうか。それならなぜ今まで言ってくれなかったのだろう。この時期じゃないと駄目だったのか。
この時期。高校三年生の17、18歳。
あの時の牧野 凛と同い年だ。
今思えば牧野 凛は俺と同い年とは思えないほど大人びていて優しかった。当時クソガキだった俺を上手に扱っていた。そういえば大きかった牧野 凛の胸をツンツンとつついてだめでしょ!と苦笑いされてたような気がする。…大人の苦労というものは後になって分かるものだな。
「どうしたん、たっちゃん。」
「…いや、牧野凛のこと思い出してちょっと死にたくなってた。」
「お、私も1個思い出してん。」
「え、ほんまに?」
「うん、たしかプールの後、体拭いてもらったで。私ら全裸で走り回っとった。」
「嘘やん。」
思わず吹き出してゲラゲラ笑い合うと職員の厳しい顔と目が合った。そういえばここは図書館だった。俺たちは小さくなって図書館をあとにしたが帰り道、美雪は続けた。
「あと、絵本読んでもらった。内容は覚えてないけど綺麗な声やったん覚えてる。」
「あ!俺も思い出した!一緒にUNOしたで。今思えばめちゃくちゃなルールやったけどよぉ付き合ってくれたよな。」
「あ、それ覚えてるで!壮が負けて泣き出したんりんおねーちゃんが慰めとった。」
少しずつ思い出すともう止まらない。ついこの間のことのように次々と記憶が呼び起こされる。そして思い知る。自分たちの幼さ、未熟さを。そしてそれに付き合ってくれた牧野凛の優しさを。今もう一度会えばもっと違う会話ができるのだろう。成長した姿を見て欲しかった、と少し思う。
壮に聞いた時ふわふわしていた牧野 凛が今ははっきりとした形になって俺の中に居る。いや、元々居たのだろう。それがもう一度塗り直されていく。今度は大きくなった俺から見た、同い歳の牧野 凛が。
「…だいぶ思い出したけど、まだまだあるんやろうなぁ。」
ひとしきり、エピソードを話し合ったあと美雪が言った。
「…せやな。なんか寂しいな。」
「ねぇ、何で壮は今こんな話しだしたんやろ。」
「…うん、それやねんけどさ、今この時期に何かあるんちゃうん。」
「何かって?」
「何かって…何かやん。」
「なんやねん。それ。…壮に聞くしかないかぁ。」
「あ、せやな。じゃあ壮ん家寄ろうや。」
「今行っても誰もおらんで。」
突然、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。振り向くと今まさに話題になっていた人物がリュックをしょって立っていた。
「ちなみに泣いたんは僕ちゃう。たっちゃんやで。」
「…えっ…壮!びっくりした!」
「い、いつからおってん!?てか俺が泣くわけないやろ!」
壮はゆっくり歩いて俺と美雪の間に立った。
「図書館で勉強してたらうるさいカップルがおったからずっと見ててん。」
「誰がカップルやねん。きしょいこと言うなや。」
美雪が口をとがらせる。俺はわざとらしく咳払いをして壮に向き直る。
「…で?聞いてたんなら教えてや。なんで、この時期なん。」
壮の瞳がを俺を捉えた。その瞳があまりにも優しく愛しげに光っているので思わずたじろいだ。
「覚えとう?僕らタイムカプセル埋めてん。高校三年生の僕らへ。」
あぁ、こいつは、恋をしているんだな、と思った。遠く、深く、もう届かない人へ。だからこそこんなにも綺麗に光るのだ。
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