第2話
「ほら、この子!ほんまに覚えてないん?」
壮の必死な声とは裏腹に美雪は面倒くさそうに写真を眺めた。
「幼稚園の時にちょっとだけ来てた人なんか覚えてるわけないやろ。むしろ何で覚えてんねん。」
たしかに美雪の言うことはもっともだ。俺達が5歳の時の話、つまり12年前の話なのだ。軽く頷くと美雪はひょいと写真を俺に渡した。
左端で大きなピースをし何がそんなにおかしいのか顔をくしゃくしゃにして笑っている俺の横に少し照れたように左手でピースを作っている壮。そしてダブルピースで首をかしげてぶりっ子感満載の美雪。まぁこの時期女の子はみんなこんな感じだろう。
そして──
その隣にピースもせず、1歩引いた所で優しげに俺達を見つめる瞳。牧野 凛。当時高校三年生だったらしい。
「…俺もそんな覚えてない。なぜか最初の自己紹介のとこだけおぼろげに覚えとう。」
そう言って写真を壮に返すとあからさまにがっかりしアルバムに仕舞い直した。そして、キッチリと棚になおす。壮の部屋はいつ来ても気持ち悪いほどキッチリと整理整頓がされている。
「…で?なんで急にそんな名前出したん?」
ジトッと壮を見つめる。それが聞きたくて俺はわざわざ放課後に壮の部屋へ来たのだ。
「…いや、美雪が思い出せへんのならええわ。」
「はぁ!?ちょっと人のせいにすんなや。」
「いや、そうじゃなくて…」
壮は言葉を選ぶように口を噤みまた開いた。
「意味ないねん。覚えてないんなら。」
「…はぁ?どういうことやねん。」
「お前らは覚えてないやろうけど、俺らにとって大事な人やってん。毎日遊んでくれとった。最終日には俺ら泣いてこの人から離れんかってんで。大好き、大好きって言いながら。」
「そ、そんなことゆったん?」
「嘘やん。絶対ゆってないって!はずいわ!」
美雪と俺は顔を見合わせて笑った。だが壮はニコリともしないで言い放った。
「覚えてないやろ、だからもうええわ。」
「おい、壮…。」
「ごめんな。別にええねん。覚えてないなら覚えてないで。ちょっと言ってみただけやったし。たっちゃんがちょっと思い出してくれたんが嬉しくて調子乗ってもたわ。」
俺が思い出した時、相原は
「…松原 拓朗くん?HR始めても大丈夫かな?」
と心配そうに俺を見つめた。
「…あ、はい。さーせん…。」
小さくなって椅子に座った俺を何人かのクラスメイトがクスクス笑ったが壮は嬉しそうに
「放課後、僕ん家ね。」
と、ささやいた。
あの時、あいつはたしかに喜んでいた。その名前を思い出したことに喜ぶ。それは、相当大切な人なんじゃないのか。そして俺にとっても、美雪にとっても、たぶん。
「…今、何しとん、この人。」
美雪の声が沈黙を破った。
「せやな。こん時高3やから…30くらいやな。」
「おぉ、アラサーやん。」
「絶対、会うても分からんわ。」
「…ちゃうで。」
それまで口を閉ざしていた壮が突然ポツリと言った。
「は?何が?」
「この人、30ちゃうねん。今も高校三年のまま。」
「…は?」
「…え、それって…。」
「死んでん。この人。俺らの実習最終日の帰り道。強姦殺人やって。」
少し震えた声。でもまっすぐ俺達を見つめて壮は続けた。
「…でも、覚えてないならなんも思わんやろ。そういう話やってん。」
「そんな、ことは…」
言いかけて言葉が止まった。
そんな、ことは…ないのか?
本当に?
牧野 凛が俺たちにとってとても大事な人で、それをずっと覚えていたら、今、俺はどんな反応だった?
…分からない。
12年前、とても、とても、大切だったもの。失えばギャンギャン泣き喚いていたもの。それが、今は思い出せないのだ。
自分がひどく空っぽの人間に思えた。
「…ゴーカンサツジンって何?」
美雪が小さく聞いた。
「殺されたってこと?」
黙る壮を見て俺は慌てて説明した。
「無理やり、その…体とか触られて…そのまま殺されたってこと。」
「誰に?」
「…近くに住む無職の男が捕まったらしいけど今は出所してる。…人を殺してもちょっと捕まればすぐでてこれるねん。ええよな。」
壮は俯いたまま低く笑った。その声に背中がゾクッとした。何か分からないがこれ以上深追いするのはよくないと感じ腰を上げた。
「そ、そろそろ帰ろうや!ほら、美雪。行くで。」
「…あ、うん。」
美雪と俺はそそくさと玄関へ向かった。その後を壮はのろのろと着いてきた。スニーカーを履き終え、じゃあ…と言いかけた時美雪が
「あ、携帯ない!ごめん、部屋や!」
といきなり言い出した。
「…待っといて。探してくるわ。たっちゃんも来て。」
美雪が座っていた場所に携帯はポーンと置いてあった。壮は屈んでそれを拾い俺に向けた。
「ったく、適当に置くからやん。」
俺はブツブツと文句を言いながらそれを受け取ろうとしたが壮は携帯を握りしめていた。パッと見上げた壮の顔はまっすぐ俺を捉えていた。
「…な、なに…」
「今日は、ごめん…。」
「え、いや、別にええよ…。」
「僕さ、美雪の言うことは正しいと思うねん。幼稚園の時たった2週間だけ来てた人なんか誰も覚えてない、そりゃそうやんな。」
壮は乾いた声ではは、と笑った。
肯定も否定も出来ず俺は黙るしかなかった。
「覚えてなくて当たり前やねん。それが普通やねん。僕が覚えてたんは下心があったから。」
「……え?」
「僕、好きやってん。"りんおねーちゃん"のこと。」
"りんおねーちゃん"
"りんおねーちゃん"
「りんおねーちゃん!!」
「おはよう!たっちゃん!」
走ってきた俺を抱き締めてくれたあの笑顔はたしかにそこにあった。
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