わたげ

@843Rd4M

第1話

「あ〜あっちぃ〜…。」

がに股で椅子に座り進路志望書をパタパタとうちわ代わりにあおぐ橋本 美雪をチラリと見た。彼女は窓際の席だから目を向けるだけで太陽が眼球を痛めつけてくる。

「お前、それどうするん。」

俺は目を細めてうちわを指さした。

「私は推薦狙っとう。でも、なんかぁ夏休みの三者面談の時相原ばり反応悪かってんよなぁ。無理かもやな〜。」

「ふーん…。」

うちのクラスの担任の相原先生は基本はおっとりとして優しい。その相原が悪い反応ならまぁ無理やろうな、とぼんやり思った。

「たっちゃんは?」

「…俺は、まだ。」

「はぁ?お前、高3のこの時期に進路白紙なん?なめとうやろ。」

美雪は愉快そうにゲタゲタ笑った。この下品な笑い方。こいつは言動が女らしくなさすぎる。それさえなければ、ぱっちり二重の綺麗な茶色い瞳、なびく茶髪ポニーテール、白い肌に長いまつ毛。

「あ?何見てんねん。きも。」

──せっかくの美人なのにもったいない、とここ10年近く、つくつぐ思っている。

「おはよ。」

美雪の隣にガタッと座る音がした。

「おう、壮。今日も遅刻ギリギリやな。」

壮は眠そうな目を俺に向けて

「ちゃうわ。お前40分までに来いって言われたら35分に行くのが常識やろ。むしろお前らは非常識やねん。分かる?」

と今日も絶好調に自論をぶつけてくる。

「分からへん。」

「ねー壮はどーすんの。進路。」

「あー…進路、ね…」

壮は目をシパシパさせ眠そうに頷き、

「…ねみぃ…。」

その返答に美雪が芝居がかったため息をついて立ち上がった。

「もーあかんなぁ。あんたらは。私だけやん。ちゃんと将来考えてんのは!ま、一緒に考えたるわ!」

まーた始まった。美雪はちょくちょく優越感に浸ろうとしてるのかおかん精神なのか、あんたらは私がいなきゃダメなんだからみたいな発言をする。たしかに美雪がいなくてもできるとは言わないが…女ってのは面倒くさい。

「…将来決まってることがそんなに偉いん。」

「えっ…」

眠そうにしてたはずの壮が見開いた目で美雪を見つめていた。

「そ、そりゃあ…一応、大事なことやし…。」

美雪も驚いたようでしどろもどろになっている。こいつは強く返されると弱い。

「未来だけが大事なわけちゃうやろ。」

吐き捨てるように言う壮。

「…お前、何かあったん?」

何かあったのか、というより、何かあった、と思ったが、とりあえずは聞いた。

「……美雪。たっちゃん。」

壮は重い声で幼なじみの2人の名を呼んだ。

もう十数年この声に呼ばれたがその中でも一番低く重い声だったと思う。

「牧野 凛って、覚えとう。」

壮は、突然言った。

まきの、りん──。

まきの、りん──。

まきの、りん──?

「…誰?」

「全然知らんねんけど。」

耳をほじりながらどうでもよさそうに美雪ズバズバと言ってはいけないようなことを言っている気がする。美雪はこういう時でも恐ろしいほど素直というか無神経なのか。

「…おい、みゆ…」

「そうやんな。」

やけにあっさりと壮は言い忘れて、と笑った。その顔を見て まきの りん、を絶対に思い出さなくてはといけない、と思った。

「おい、壮…」

俺が声をかけると同時にチャイムが鳴った。

「おーい、席についてー。」

相原ののっぺりした声が教室に響きクラスメイトは次々と席についていく。仕方なく壮の隣の席に腰を下ろしチラリと隣を見る。俯いた壮の表情は分からなかった。

まきの、りん──。

なぜ壮は急にそんな名前を出した?

俺達も知っているのか?

すでに出逢ったことがあるのか?


まきの、りん──。


「まきの、りんです。今日から2週間このクラスでお世話になります。りんちゃんって呼んでね。よろしくお願いします!」

その、声が頭に響いた。

その、顔が目に映った。

その、笑顔が俺は、そうだ。

大好きだったんだ。

「幼稚園の時にきた、体験実習生だッ!!」

俺の大声にクラスメイトの視線が一斉に集まる。ただひとり、嬉しそうな壮の瞳が見えた。

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