7月29日 午前10時02分 官邸

 鷺野さぎのは控室のソファで泥のように眠った。

 完全に一昼夜完徹だったのだ。

 二時間かっちり眠るとガバっと起き、官邸内が冷房が効きすぎていたせいか、ブルッと震えて体を起こした。

 控室内は誰も居なかった。廊下に出ると寒かったからトイレに行くのは当然だった。

 で、トイレに行く前に一部屋だけ見てトイレに行った。少し挙動不審。


 鷺野はトイレで誰かを待つかのように用を足したあとも、しばらくトイレの窓から外の様子を見ていた。

 昨日は官邸の庭の03式中距離誘導弾発射システムが林のように林立していたのに一日経てば、嘘の様に片付けられていた。

 鷺野は自嘲気味に笑みを浮かべた。

 事実笑うしか無い。

 そして、美しさが際立つ官邸のトイレと壁のタイルを見たりして時間を過ごした。

 その男が一人官邸の特別対策室に残っていたのも鷺野は知っていたし、その男が今も官邸に残っていることも知っていた。 

 汚れ仕事、ダーティジョブ。トイレで話すのが一番適当だろう。そうも思っていた。


 その男も鷺野を待っていた様子だった。男はすぐに同じ階のトイレにあらわれた。

 鷺野は個室の影に隠れた。

 男は用を足すと、洗面台に行って手を洗い出した。

 鷺野は男の真後ろに歩を進めると、二時間寝て生気を取り戻したらしく、先手を取って言った。そう樋渡二尉が先手を取って亡くなったように。

「いつ話すか、どこまで話すべきか、迷いましたよ。榊原さかきばら政務官」

 洗面台の鏡で気がついてたはずなのに振り返った榊原政務官の表情はいつもの何事も楽しめる朗らかな男の表情ではなかった。

「訊きたいことは山ほどありますよ、どうやって榊原家の婿養子に入れたんです?田中さん」

 榊原政務官の表情が更に険しくなる。

「まぁ、以前から不思議ではあったんですね、55年体制とは簡単に言いますが、どうしてこの国はこんなに従順な飼い犬になったのかってね?保守で親米の人たちの素顔って見えないでしょ」

「<ナイト・キング>を倒し、<遼寧>まで追い返して英雄にでもなったつもりか鷺野航輝さぎのこうき

「あなたには素直に話しましょう、恐らく、ハンドラーに対してもメッセージになるでしょうし、どうせすぐバレることですから」

 榊原の目つきがきつくなる。

「ハンドラーは、やめろ。マスターだ。私のいや一家の大恩人だ。」

「ハンドラーだと自分が犬みたいだからですか?犬は犬らしくするべきだ」

「貴様、鷺野、どこまで知っている」

「それはこちらの質問ですね」

「うちの小隊は今年運用開始ですよ、しかも陸将補などの制服組も知らないようなたった3人の小隊について、誰がどう見ても狙い撃ちだった」

「市ヶ谷から怪しんでいたのか」

「うちの小隊のことを予算獲得の段階から知っている人間を全員知ってますからね。それ以外は全部追いかけてキャッチ&ダウトですね、、悪いですが」

 榊原はぐっと言葉をのみ黙り込んだ。

「妹さんはサイパンの病院でお元気ですか?」

「貴様、やめろ!」

 榊原は今度は言葉を飲み込めなかった。

「私も人間だ、心から同情しているんですよ。まさに悲劇だ」

「お前に何がわかる。只のプログラミング・オタクだろPCにだけ向かってろ。クズめ」

「そうしようとも思いましたが、あまりにも事が大きくなったので止めました。それに官邸のシステムからうちの小隊みたいな連中をログインさせるなんて非常識にも程がある」

 鷺野はクスクスと微笑んだ。

「笑うな、外道げどう

外道げどう?、人を死地に追い込んどいて外道げどうはないでしょう。相模灘では本当に死ぬかと思いましたよ。それに警察官をはじめ一体何人の自衛官が死んでると思うんです」

「マスターについて知っているなら、お前自身の身の危うさもわかっているだろうな」

「お互いの情報を交換するというか、確かめあいますか?失う物が多いのはあなただと思いますよ、田中さん。私はどんどん開示ディスクローズしていってもいいですよ。ハンドラーもいざとなったらあなたを切ると思うんですよ、、かなりのそう、まさにグレート・ゲームですね。英国が19世紀からプレイしてきた。そろそろアングロ・サクソンの時代は終わりかもしれませんし、それにあなたはアセットとしてもかなりランクが低いことも知ってます」

「おまえ、」

「あなたは、うちの小隊を試した。人を試すと代償は高くつきます。あなたが妹さんのことで報復は正義だとか必然だとか考えてるのと同じ様に私も報復は正義だと考えていますから」

「死にかけたことが千恵ちえと同じわけではないだろう」

「えーしかし、あれは私も感動しました、どこのアップローダーでしたかね、泣き言ばかりの作文が延々とよくもまぁ恥ずかしげもなくアップしましたね。全部降ろして別の所にかなり多数に分けてあげておきました。不特定多数の全員が感動できるように」

「ジンガイめ、お前は鬼か悪魔か」

「戸籍もうまく操作してありますね、私もそこまでは、確証が得られなかったわけですが、まぁちょこちょこともうちょっと時間をかければ丸裸ですよ。妹さんの千恵さんの上には二人のお兄さんが居た。あんたはどっちだ。田中和人たなかかずとか、田中継虎たなかつぐとらか?」

「そんなことはどっちでもいい。貴様こそ、<ナイト・キング>をどうした?。実態が常に変化する何度も再演算される完全なプログラミングな筈だ」

「おお、よくご存知だ。そこがキーなんですよ。あの再演算機能は凄いアイデアですね。うちの小隊も苦労した。しかし、、、理論的にはウロボロスの結び目やメビウスの輪みたいに永遠と論理的に続いていくわけでもない、リニアでスタートしてリニアで処理される。再演算しているようには見えますが、まさにフェイクですよ。どっかで始まりどっかで終わる。再演算され、<ナイト・バナーマン>や<ロード・オブ・ナイト>が派生される過程をどんどんさかのぼっていきました。まぁ、所詮有限個でしょ、有限個なんて数学的には計算が終わったも同然だ。すべてが任意のnで一般化されてるわけではない。で、簡単に上書きさせてもらいました。それで充分。今は<NIGHT KING>ならぬ、<KNIGHT KING>にさせてもらっています。しかもすべて私のみのコマンドでのみ動くようにしてあります」

「お前が、駆除したんではなくて、乗っ取ったのか?」

「ええ、いますぐにでも、都市機能、電力、水道、ガス、携帯の中継基地、証券取引所、空自のBADGEシステムもすべていつでも止められるし、いかなる操作、改竄、欺瞞、ごまかし思いのままですよ。<ナイト・キング>は名前のつづりを一文字足してしっかりと生きていますあんなよく出来たソフト壊すのはもったいない」

 当選二回の榊原の顔が険しくなったどころか、かなり歪んだ。

 そして、鷺野をめつけ間をとってただした。

「お前は何者なんだ?」

 鷺野も間をとってこたえた。

「只の二等陸尉ですよ」

「お前はテロリストだ、あのウィルスを作ったやつと同じテロリストだ」

 榊原は大袈裟に鷺野を指さして言った。

「私がテロリストだったら、<ナイト・キング>をばら撒いたやつこそしんのテロリストだ。ああ、ちなみにアッセンブル言語で記名されていましたよ製作者の名前はここでは伏せて置きますが、もちろん偽名でしょうがね」

「そこまで、わかっているのか!?、お前の目的はなんだ?」

「<ナイト・キング>を手なづけたままにしているように、実はこれといってはない。試されたので試し返したってところですかね。あなたはハンドラーから見れば、かなり低い地位のアセットのようだし、死んでいった自衛官は帰ってきませんし死人を理由にして事を続けるとえらい大変な目に会うというのは、日中戦争、太平洋戦争で学びましたからね。世襲の当選二回の総理チルドレンを破滅させたところで意味はありません。いっそ、<ナイト・キング>をあなたのハンドラーの国にばら撒きますか?。それこそ試す意味でもね。平時でも軍事面での情報収集、相手の能力測定は有事と変わらず行われています」

「ずいぶんとおしゃべりだな」

「勝利宣言ですから、スピーチは長くなりますよ。もう一つあなたのハンドラーの国の同盟国と称しながら同盟国の軍事開発主に航空機分野ですが、それへの介入まさに開発抑止は結構苛立ちますからね、まぁ止められているのは日本だけでなく全同盟国ですが、、、では」

 おしゃべりと榊原に言われて気にしたのか、鷺野はさっと踵を返すとなんの挨拶もなくトイレを出ていこうとした。

「もうお会いすることはないでしょう」

「・・・・・・・・」

 嫌悪と憎悪に表情が歪んだ榊原に返答はなかった。

 鷺野は榊原に背後を見せ悠然とトイレを出ていった。自衛隊の編み上げのブーツの変な靴音だけが残った。

 榊原は、鷺野が視界から消えるのを確認するとさっとスマホを出した。

 指一本でかけられる番号へかけた。

「今、出ていきました」

 榊原の言葉はそれだけだった。

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