7月29日 午前10時18分 官邸の近くの路地

 鷺野航輝さぎのこうきは防衛省の井上審議官が渡してくれたパスで悠々とゲートを抜けた。

 官邸の前は警察が物々しい警備をしている。それにまだ午前中だというのにうだるような暑さだ。

 鷺野は寝てないちょっと変わったテンションでフラフラと東京メトロの駅には向かわず、ラーメン屋の看板に誘われて近寄ったが、止めた。

 別に深い理由わけはない。

 官邸の南西にある石垣沿いに狭い路地に入った。眼の前には大手チェーン展開の超有名激安ホテルがある。

 こんなところに道が在り、石垣があることが発見だった。

 そして、もう一つ発見した。 

 男が立っていた。真夏なのに長袖のパーカー。20代か30代大学生にも見える年齢不詳。服装はカジュアル。職種も不明。


 "怪しい"の一言。


 男は、慌てた様子で手をパーカーの内側に入れた。

 鷺野は視線をあわせないようにして、すれ違いやり過ごそうとしたが、遅かった。

 男は進路を塞ぐように鏡のように合わせてきた。

 鷺野の目の前に男が立ちふさがったと思ったら、男は手に日本人にはやや大きすぎるM-1911自動拳銃を持って鷺野に拳銃を両手で持ってつきつけていた。

 サプレッサー付きM-1911、拳銃がいかにもだ。中国の92式とかのほうが良かったのではないか?

 拳銃の構え方もいかにもだ。左手は余裕があるが右手ももう少し余裕を持ったほうが良いのではないか?

 顔つきもいかにもだ。緊張のあまり目が死んでいる、明確な目的がある目には見えない。

 右手で持ち左手でリコシェに備えグリップ・エンドを持っているがあきらかに素人シロウトだ。

 二三日前に、ワングリップぐらい試し打ちした程度だろう。構え方がガチガチだ。

「銃刀法違反ですよ、電話一本で警官が駆けつけた段階で逮捕ですよ」

 鷺野は言った。

 鷺野の声が合図だったかのように男の目に力が入った。

 やはりこれが合図だった鷺野も大きく、男にむかい半歩だがものすごく大きめに踏み込んだ。

 そして、左の裏拳で思いっきり男の右手の指を殴った。相手が武装している場合は過剰防衛の心配なく先制攻撃が必勝、そう樋渡快人ひわたしかいと二尉が行ったように。

 鷺野も緊張していたので、殴った反動でM-1911が火を吹いたか確認できなかったが男は拳銃を右斜め前に弾き落とした。

 男が拾って屈みだすところを膝でアッパーを入れてやろうかと思ったが、男は怯えた表情をしただけだった。

 鷺野が言った。

「サバ・ゲーの連中でも、銃を突きつけられたときの対処法を二つ、三つは持ってるぞ。もちろん全自衛官も。それも、拳銃とライフルの2パターンづつ」

 男は怯えた表情のまま、左手で今度はパーカーの内側でなく、パーカーのポケットにそのまま手を入れた。

 鷺野はナイフを出すと思ったが、男が出したのはスマホだった。

 男はスマホを見ずに指だけでスマホをかける。かかったままだったのか?。

 鷺野はわざと通話の機会を与えた。

「こちら、パイパー2ツー、バックアップを、、、」

 男がスマホを口元に近づけながらそう言ったところで、今度も右の裏拳でスマホを持っている左手を思いっきり叩いた。

 容赦はゼロ。

 男はスマホも真横に落とした。

 スマホは壊れたかもしれないが、別にどっちでも良い。構わない。

 男は完全に怯えた表情のまま。

 鷺野は男が落としたスマホを拾いかけながら言った。

「敵がいる眼の前で連絡手段を見せるなんて、エージェント失格、、、、」

 とそこまでしか、言えなかった。

 鷺野は腹部に痛みを感じ、その背部に更にもっと大きな痛みを感じた。

 自身の腹部に視線を落とすと見慣れた陸自の作業服に丸い穴が開いていた。出血はあまりしていない。

 それより背中に大穴が開いたらしいめちゃめちゃ痛いし濡れている感覚がある。

「ツー・シューターか、さすがラングレー、きっちり、、」

 と、またもや、そこまでしか鷺野は言えなかった。

 ひたいから後頭部にかけ、7.62ミリで撃ち抜かれた。腹部と同じく入射地点はただの丸い穴だったが、後頭部では派手に鷺野は血と脳漿のうしょうを撒き散らし、崩れるようにその場に仰向けに倒れた。

 鷺野が倒れて数秒もしないうちに、細い路地にトヨタのバンが急スピードでやってきた。

 バンが止まるのをまたずスライドドアーや助手席のドアが開くと開くと覆面をした男が二三人降りてきた。

 二人は鷺野の死体の肩と足を抱えハイエースの車内へ運び込み、もうひとりは怯えたままの男の横に立つと極々普通の日本語でこう言った。

「後払いの分は手筈どうりに支払う」

 が、言いながらその男はサプレッサー付きのグロック17を持っていた。怯えたままの男の側頭部をWショットで二発撃ち抜くと助手席に戻っていった。

 ピシ・ピシっていっただけ。

 薬莢を拾うことすらしなかった。

 小間使いのように鷺野の死体を運んだ二人組がまたバンからなれた感じで降りてきて側頭部を二発打たれた男の死体を抱えバンの車内へ運び込んだ。

 そのまま、トヨタのバンは走り去った。

 ものの数秒の出来事だった。

 路地には薬莢と多少の血と脳漿が残っているだけ。

 誰も汚れた路面など気にしない。

 眼前の大手チェーンのホテルの従業員も気づいていないかもしれない。この手のホテルの店員は給料は安く、仕事は多く、死ぬほど忙しい。

 バンは外交ナンバーですらなかった。鉄チン・ホィールの商用車。

 死体がなければ殺人事件にすらならない。

 仕事が嫌になったり、借金を苦にして行方不明になる日本人は多い。

 

 日本人全員が忘れるぐらい長い戦後の暑い日本の夏の日がまた続こうとしていた。

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