7月29日 午前4時25分 百里基地

 樋渡快人ひわたしかいと二等空尉は滑走路の端に駐機しているF-4EJ改ファントム改の横に立って待っていた。操縦席にはラダーがかけてあり通常はエプロンでかけるコンプレッサーが滑走路の端に駐車してあった。

 F-15Jイーグルと違い、F-4EJ改ファントム改は自力でエンジン始動が出来ない。

 空は徐々に白み始め青い世界が黒から広がりつつあった。

 もうすぐ7月29日の夜明けである。

 ここ茨城県でも昨日は大停電だったが、今は完全に復旧し基地のコントロール・タワー、ハンガー、照明、隊員用の公務員宿舎の街灯、更に外の信号、全部ついている。

 空軍基地というより空港全てだが、滑走路がある限り飛行機と一緒にセットになっている施設はすべてがやたらめったら広い。フェンスまでがかなり遠く、そのフェンスの向こうの街灯がぼーっと点いている。

 樋渡ひわたし二尉は操縦士だけあって目はいい。もう目だけで索敵する時代ではないが目視で視認するに越したことはない。

 聞けば、今からやってくる陸自の鷺野さぎのとかいう二尉が、あの大停電も復旧させたという。


 へー。


 別にそれぐらいしか、感想はない。蝋燭とLEDライトだけだど不便だなと思い出した頃復旧したので、もう一つ実感はない。公務員宿舎では妻と幼子が空調が止まり、どうのこうのと変なスタンプとともに盛んにLINEしてきていたぐらいである。だけど、これは一大事。妻の機嫌が食事のおかずの肉の量に反映する。


 わお。


 それに混乱の惨状を報道するTVは<ナイト・キング>のGIFアニメを一日中流していたし。


 へー。


 聞けば、今からやってくる二尉がこのF-4EJ改ファントム改の後部座席に乗って東京湾に迫りつつある中国の大型原子力空母<遼寧りょうねい>に取り付いているコンピューター・ウィルスを駆除するらしい。


 へー。


 と言いたいところだが、さすがにそれではすまない。その二尉を運んでいくのが、樋渡二尉の役目だ。


 わお。


 緑の耐Gスーツのベストと足回りにヘルメットを滑走路に置いて待つ。

 樋渡は髪の毛は短めに刈っているがメットの下にヘアバンドみたいなものを被ってからメットをかぶるので、メットをどこに置こうがどうってことはない。


 へー。


 まだ薄暗い闇が支配する中、どうってことでは済まない背の低い男がもうひとりの騒がしい整備隊員とともにやってきた。

 背の低い男はブカブカのメットにブカブカの飛行服、耐Gベストをつけている。メットが大きいから目線が隠れている。しかし、後生大事ラップトップPCだけは抱えている。

 樋渡は俺も、飛行学校ではあんなだったけかなと、少し思うがいやいやと思い直した頃、突然、背の低いブカブカのメットを被った男に話しかけられた。

「こんな45分の射出座席とパラシュートの操作を座学で受けただけでマッハ2級の実用戦闘機に乗った人間が今までいましたか?」

「海外ならよくレポーターとかが高Gで失神する様子が動画共有サイトにアップされているんで、結構あるんじゃないですか?」

 軽く、樋渡が言うと露骨に背の低い男、鷺野の語気が荒まった。

「おい、そこの整備兵、ゲロ袋もう3つ持ってこい」

 鷺野が命令した。

「陸自の幹部さん、もう十分お渡ししたでしょ、もう持てないじゃありませんか」

 整備兵と呼ばれたのはこのF-4EJ改ファントム改の機付長(この機体に関する全責任をとる整備兵のトップ)の長良ながら二曹だ。

「おい、おれは、外遊中の総理に変わって官邸の特別対策室で指揮をとる副総理から直接命令を受けてここに来ているんだぞ、持ってこいって言ったら持って来い。国家公務員法違反で特別懲戒免職にするぞ」

「本当にこの陸自の二尉さんは、うるさくてかなわねぇな、ほんとに、おい植松うえまつハンガーまで嘔吐用袋5つ取ってこい」

「了解」

 自転車を押して付いてきたもうひとりの整備兵が自転車に乗り直しハンガーまで戻っていく。

「樋渡さん、木更津のUH-60Jブラックホーク出来たときからずっとこんな調子なんですよ助けてくださいよ」

「なんだ、空自じゃ上官をさん付けで呼んでるのか、陸自のうちの連隊じゃあ敬礼忘れただけでその場でスクワット300回だぞ」

 と鷺野。

「空自ではみんなスマートに仲良くやっているんですょ」

 と長良ながら

「おい、おまえ、陸自はバカでマッチョだと言いたいのか?」

「そんなこと、思っちゃいませんよ。二尉さん、その前にアルコール検査でもしたほうが、いいんじゃないですかい?気圧が下がるとめちゃくちゃ酒が回るって話ですぜ」

「てめー、本気で舐めてるな、官邸ではどこぞの料亭のむつごい夜食は出たがお銚子の一本もなかったぞ。それより、、、」

 急に鷺野の注意が翼の下のパイロンに移る。

「このポッドはちゃんと動くんだろうな、、」

 F-4EJ改ファントム改のセンターパイロンには増槽タンク、その次のパイロンにはいつもはT-4が飛んで使用する集塵用ポッドを急遽改造した電波発信ポッドが左右二本ついている。

ガラの悪い人の言うことは聞かねえかもしれませんぜ、なにせ、夜中に叩き起こされて整備中隊全員であくびしながら急造したもんでね、、、へへへへ」

 これで、鷺野がビビって黙ると思ったら逆だった。

「おい、」

 鷺野は長良の腕を相当めくりあげた作業服の襟元を掴み長良の顔を自身の顔の目の前まで寄せるとと言った。

「もうお前の顔と名前は覚えたぞ、おまえさっきの講習でもおれがパラシュートのフック掛けそこなったのをすみで笑ってただろ。えー、どうなんだ?」

「ちょっと、言いがかりですよ」

「よく聞け、ながらぁー二曹。これは、対テロ特殊作戦だ。もしこのポッドが動かないことが万が一にもあってみろ、国としてお前がテロリストのテロ行為を幇助ほうじょしたとして対テロ特措法違反で国が原告になって永遠に告訴して裁判を起こしてやるからな、その後は、民事で損害賠償請求で告訴してやる。覚えてろ、日本の司法は有罪率は99%だぞ、懲戒免職どころか年金はパー、死ぬまで刑務所に入れてやるからな」

「ちょっと、裁判って待ってくださいよ、、俺はその、二尉殿が緊張なさっているようだからそれを解きほぐしてさしあげようって感じでね、へらへらくっちゃべってるだけで、そんな何法違反か知りませんが、、俺、中卒なんっすよ、勘弁してくださいよ」

「この件に学歴は一切関係ない」

 鷺野はにべもない。

「ちょ、ちょっと、二尉さん」

「中卒といえば、陸自こそ中卒の巣窟そうくつだ。しかしみんな僻むことなく、通信制にかよったり大検とったり普通にやってる中卒が恥ずかしいのなら努力するしか無い」

 鷺野は目線すら長良にあわせない。

「なぁ、長良二曹、このファントムはフルで実弾の空対空ミサイル搭載したから、ハンガーの実装の”済み”チェックリストに記しついてるかWチェックしといてくれ、悪いがいいか」

 樋渡二尉が助け舟を出した。

「いいですよ、了解」

 長良は喜び勇んでハンガーに戻っていく。

 鷺野は自分と違い声のもとの嫌な顔せずスラっと着慣れたパイロット・スーツを着こなし、立っている樋渡に気づき、若干恥ずかしさを感じる。

 樋渡二等空尉は笑みさえ浮かべている。

「大変な一日だったみたいですね、きっと真実を知れば国民みんなが感謝しますよ、鷺野二尉」

「そりゃあ、どうも」

 鷺野の声は小さく弱い。

「本当の真実を知れば、がっかりするかも知れませんが、、、、」

 と鷺野。

 樋渡の笑顔が更に柔和なものになる。

 一拍置いて神妙な真顔になり鷺野が樋渡に尋ねる。

「冗談や嘘、またはから元気とかなしで、ズカっと訊きますから正直に答えてください。このファントム改で中国製のコピーのフランカーに勝てますか?」

 樋渡の笑顔が更に大きく本物になった。

「ナナ・サンぐらいじゃないですかね??」

ななはどっちですか?」

「ハチ・ニイかな」

ハチはどっちですか?」

 鷺野の声が強くなる。

「決まってるじゃないですか、フランカーですよ。スティルス性能をがいせば紛うことなき世界最高の戦闘機ですよ」

「ちょっと、、、、アウチ、、、、、」

 鷺野は、大きくその場にしゃがみ込み項垂れた。サイズの合っていないメットがガコンっと鼻面までり落ちてきた。北関東だけではなく、いま日本中で一番落ち込んで居る人間が百里基地のエプロンにいるかもしれなかった。

「やっぱりか、、、、。」

 跪いたまま、鷺野の人生における最も心の中から響いきい出たツィートだった。

 樋渡は笑顔を浮かべたままつづける。

「でも、チャンスがないわけじゃない」

「えっ」

「たとえ世界最高の戦闘機でもエスコートするって難しいんですよ、そうでしょ、こっちはミサイルみたいに突っ込んでいくどうやって我々の進路を変えます?我々のバックについて追い回して進路を変えなきゃ撃墜するギリギリまで追い詰めなきゃいけない攻撃する側がかなり有利ですよ」

「最初の一撃目はでしょ」

 と項垂れたままの鷺野。

「そうですね」

 と樋渡が手をしゃがみこんでいる鷺野にかけた。

 鷺野は漸く、ゆっくり立ち上がった。

「失礼ですが、いろいろ質問していいですか?」

「どうぞ、ご覧の通り誰も聞いていませんよ」

「樋渡二尉は防大卒ですか?」

「ははは、、、飛行学校出の高卒ですよ、しかも県立の商業科」

「・・・・・・・・・すいません」

 尋ねた鷺野が誤った。

「周りの飛行学校の先輩を見ても、このままだと二機の編隊長には、なれても小隊長あたりが限界でしょう、スコードロン・リーダー飛行隊隊長なんてどう頑張っても無理ですね、戦闘機パイロットも体力勝負で若いときしか出来ませんからね、40代になるとどっかの訓練教官に回されて、若手に嫌われる嫌な教官になりますよ、それで昔話だけして定年ですかね」

「空自でも、防大が幅を利かせてますか?」

「支配してますね、いや統治ですかね」

「私も幹候あがりの一般大学卒です。あなたとは、話が合いそうだ」

「ええ、本当に話があいそうだ。何年生まれですか?これからは互い”ひら”でいきませんか?」

「いいですね92年8月生まれです」

「じゃあ、あなたが一個上だ鷺野さん。」

 と樋渡。

「なんと、呼び合いますか?」

 と鷺野。

「まぁ互いにさん付けでいいでしょ、片道30分程度の飛行ですから、だけど、私が一応機長ですから上空というか機内では全部従ってもらいますよ。私が脱出するって言ったら脱出する。たった45分の講習でもベイル・アウトする」

 樋渡の顔が鷺野が出会って始めて真剣になった、がすぐに柔和になった。

「いいですよ、樋渡さん」

 と鷺野。

「あの、ビビりで、すいません、こちらにはいっぱい質問があるんですが?」

 樋渡は限りなく大きな笑顔を見せる。逆におかしくてしょうがないらしい。

「どうぞ、秋の基地祭でのちびっこみたいですね、どうぞ」

F-4EJ改ファントム改ってアップ・グレードしたんでしょ、」

「ええしましたね」

「中距離の空対空ミサイルとしてAIM-120 AMRAAMアムラームを搭載出来るんですか?」

 樋渡がニヤっとした。

「搭載できません」

「おぃ、、、、やっぱりか、、、、。そうじゃないかなぁって思ってたんだよ、悪い予想が全部当たるじゃないか今日は、、、、なにやっているんだよ財務省は、、、」

 また鷺野が深く項垂うなだれてしゃがみ込む。

「あれ確か、AIM-120 AMRAAMアムラームは小松の飛行教導群に数発試験的に入っただけで、イーグルやF-2にも搭載してませんよ」

「空自は、まだスパローでやってんですか」

 怒りを込めて鷺野。

「やってますね」

「本気で戦う気あるんですか!この辺が9条に胡座あぐらをかいている全ての自衛隊の悪いところですよ」

 何故か怒る鷺野。

 樋渡は微笑んでいる。

「あれでしょ、ベトナム戦争のころのフィンが取れたとかのスパローのイメージで話されてる?。スパローも最近じゃものすごくアップグレードされてて湾岸戦争ではめちゃめちゃスパローで落としてますよ」

「湾岸戦争は戦争じゃないですよ、、イラクの精鋭機はイランに逃げたじゃないですか」

「確かに戦争は見方によりますね、じゃあ今日は中距離でのミサイルの打ち合いは止めましょう」

「そんなこと出来るんですか、」

「大丈夫、<遼寧りょうねい>の艦載機ですけど、米軍のカタパルト式でなくてスキー・ジャンプ式を採用しているでしょ、あれで離陸重量がめちゃめちゃ制限されるんです。つまりフランカーは大型のミサイルは搭載できない。っと言われてますが真偽は定かではない。搭載燃料減らして大型の中距離ミサイルを積むことも可能でしょうから」

 樋渡は涼しい顔でしゃあしゃあと答える。

「やっぱり来るんじゃなかった」

 とがっくり項垂うなだれて鷺野。

「それより、めちゃめちゃ戦闘機に詳しいですね、どうして空自に入らなかったんです」

「ギリギリまで迷いました。でも、パイロット徽章きしょうをつけられずに一生キャリアを過ごすかと思ったらビビって踏ん切りがつきませんでした」

 またニコッと樋渡が笑う。

「パイロット徽章つけていない空自の隊員全員そう思ってて山ほど居ますよ」

「そうですか、そんな悩み、もう今となったらどっちでもいいです」

 全自衛隊員でなく、今や鷺野が百里基地の滑走路の端に項垂れて胡座をかいていた。

 樋渡が辺りを見回すとかなり空は青くしらんできていた。

 夏の夜明けは早い。

「それより、時間もあれなんで、真剣にROE交戦規定を定めませんか?」

「そうですね、戦争は究極の形而下の物理的行為だ。すべて物理で決まります」

「私は商業科の高卒なんでそういう難しいことはわからない」

 樋渡もどかっと鷺野の前に胡座をかいた。

 鷺野がまず、大量の嘔吐袋をかなり脇において、それから後生大事にかかえていたモニターを閉じたままのノートPCを二人の間に置いた。

 鷺野が滔々と喋りだした。

「この滑走路が太平洋です。でこのノートPCが<遼寧りょうねい>です。任務は非常にシンプルかつ簡単」

 鷺野は手のひらを下のして、親指と小指を開き、アニメのVF-19のようにしてすーっとノートPCに低い高度で接近する。

「アメリカ海軍の飛行隊の空母に着艦するときのウェイブ・オフって知ってるでしょ、着艦をやり直すやつですが、」

 と鷺野。

「でも、演ったことありませんよ」

 と樋渡。

「あんな着艦するほどの高度と失速速度ギリギリの速度でなくてもいいからできるだけ高度を落として、できれば<遼寧>の看板上を二回」

 鷺野の手のひらで作ったVF-19チャーチルがWW2戦後作ったVサイン、じゃんけんのチョキに変わった。

「通過してください。本当は<遼寧>いや<ナイト・キング>が受信したか確かめたいから三回通過してほしいんですけど、誰も見てないしそんな余裕ないでしょう、二回」

「艦攻の雷撃みたいに低空で一回、接近してワクチンを送信して終わりかと思ってましたけど、二回はかなり面倒ですね」

「<ナイト・キング>には、何タイプかありまして、それを確認しないと的確なワクチンを送信できません。これは、マスト!。絶対です。二回目の接近送信の駆除が無駄になります」

「了解です」

 と頷き樋渡。

「それと、我々が搭乗するファントム自身ですが、自分が放つレーダー波の受信はいいですが、中国側のすべての兵器が放つレーダー波、電波関連、あるいは日本国内からの無線位置情報、無線誘導ビーコンすべて、カットです。受信してはいけません」

「それは事前に聞いていますけど、どうしてです?中国側はわかりますが、国内の<ナイト・キング>は全部駆除したんでしょ?」

 鷺野は周りをキョロキョロしてから、答える。

「誰にも話さないって約束できますか」

「出来ますよ」

「いくら”ひら”でもちょっと返事が早すぎる気もしますが、、、まぁいいでしょう」

 充分間をおいて鷺野は話しだした。

「ここだけの話しですが駆除はしてません」

「えっ、だって、無線もTVも電気も全部復旧してるじゃないですか!」

「ゼロイチ的に言うと、上書きしただけ、正確に言うと、<ナイト・キング>にさらに上から支配者として統治といいますか、君臨しているだけなんです」

 樋渡が大声を出して、笑いだした。

「へー。今はあなたが、<ナイト・カエサル>か、<ナイト・シーザー>」

「私が、というより、うちの第505特殊電算小隊がですが、、、それより、空戦ではすごい不利になると思われますが中国側からの送信の受信拒否は守れそうですか?」

「いいですね、後部警戒レーダー波装置だけ切ればなんとかなりますが、いいんでしょ、いいじゃないですか完全目視のみで世界最高の戦闘機のフランカーとドッグファイトなんて第二次世界大戦なみの戦闘機乗り冥利につきますよ。そして空母に超低空で雷撃二発。くぁーサイコー。おそらく世界で一人ですよ」

 鷺野はさっきは、話があう本当に気持ちのいい人だと、樋渡を思ったが、これを見て聞いていると、ただの戦闘機バカらしい。

 すこし困ったことになるかも知れない。

「大丈夫です、自身のレーダーは使えます」

「大丈夫、鷺野さん、あなたは知りませんが、私は全部あなたに従えとまず副総理から電話を受けて次に百里の基地司令、次に飛行隊隊長から言われてるし、あなたを守るためなら死ねとさえ言われていますから」

 知らなかった。

 鷺野は本当に知らなかった。

 背を向けた樋渡の背が会話していたときより高く見える。

 払暁の薄い影が樋渡二等空尉の足元から西に向かい伸びる。

「さぁいきましょう。ショータイムですよ。ロッケン・ロール!」

「ロッケンロール」

 弱い声で鷺野も続いた。

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