7月29日 午前2時41分 官邸

「あー、延岡とかいったな、統合幕僚長、航空幕僚長とよく相談して、すぐに空自の戦闘機の手配をするように、あーなんといったかな、あの陸自の二尉が言っていたIFMラジオとか、、」

「IFFです。もう航空幕僚長を始め、すぐ防衛省で動きます」

 三軍トップの延岡も嬉々として動き出す。

 延岡は航空幕僚長に視線を飛ばすと、航空幕僚長が防衛省の複数の官僚とともに、特別対策室を飛んで出た。

 鷺野はこういうことにも鋭い。それでチビでガリガリのパソコン電子機器オタクながら中学、高校、大学、幹候かんこうとサバイブしてきたのだ。

 鷺野さぎのは佐竹三曹に作業を続けるように柔和な目つきで目配せすると、さっと大机に戻った。

 その眼光は佐竹に対するものとは180°違い捕食動物のように鋭い。

「今、君自身が、、と聞こえましたが、君という代名詞は自分を指すのでしょうか?」

「持って回った言い方は止めたまえ、嫌味だぞ」

 官房長官がメガネを鼻の先まで落とし、上目使いに言った。

「答えになっていません」

 鷺野も一切譲るつもりはない。

「鷺野二等陸尉、君が現場上空<遼寧>の上空まで行きウィルスを駆除してきたまえ」

 と官房長官。声は小さかったが、滑舌語尾ともにはっきりしていた。一日二度の記者会見で喋りなれしている。そうだ、政治家なんだ。演説なんかお手の物だろう。

 さすがの鷺野も二の句が告げなかった。頭から血の気がさーっと引いていく。背中を嫌な汗が走る。手汗が酷い。口の中がカラカラになり唾が飲み込めない。息は吸えても吐き方がわからない。

 たった数分前と同じ部屋に居るはずなのに、世界がまるで違って見える。ゆがんでいる。ひずんでいる。

 この部屋は明らかにたいらではない。

 壁は垂直ではない。

 TVのワイドショーでやっていた。ネットがはびこる今、TVこそ真実を語る媒体だ。みんなもっとTVを見るべきだ。いかに世の中が嘘だけで出来ているか理解するはずだから。

 官邸は欠陥住宅だ。疑うなら、ピンポン玉を置いてみればいい。パチンコ玉を錘にした釣り糸を垂らしてみればいい。

 鷺野には、永遠と思われる時間が過ぎた。中学の時、隣町の私鉄の駅で缶コーヒーを灰皿にしていた高校生にカツアゲにされた時と同じだ。

 概ね恐怖というものはこれからおこることより、それを待っている時間こそ何倍もの地獄なのだ。

 やっと喋れるようになった。

「どうして、私なんでしょうか?」

 鷺野自身も驚くほど思いの外、声は小さかった。

「君が、あの専門家たちが誰も出来なかったことやってのけたんだぞ、君でなければ、駄目なんじゃないのかね?」

 副総理がぞんざいに言った。この人に勝てる人間は恐らく半径5光年以内には居ない。

「エンター・キーを押すか、W・クリック、いやシングル・クリックの設定に変えます。クリックするだけですよ」

「それをやって来ればいい」

 鷺野は、どうせ”<遼寧>騒ぎ”以来、電源を入れたり、接続していない航空機など見つかるわけがないと、淡い期待を持ちかけたが、それは淡い希望でしかなかった。

 先程、特別対策室から駆け出した防衛省の官僚ではなく航空幕僚長自身が息を弾ませ駆け込んできた。

「あります。ありました。ハンガーで眠っていたやつが」

「おお、そうか」

 副総理どころか特別対策室に居る全員が色めき立つ。

百里ひゃくりです。百里ひゃくり基地の第301飛行隊にたった一機だけありました。今、ポッドの改造も整備小隊に命じました。そして、ギリギリ間に合います。<遼寧>が東京湾に侵入する前、相模灘さがみなだで鉢合わせできます。もともと首都の防空は百里の第301飛行隊の主任務なのです」

 鷺野はこの一報を聞いて、突発性低血圧に罹患したようだ。眼の前が昏い。自身が給電システムを復旧させて蛍光灯まで何本か割ったのに、昏い、どうしようもなく昏い。

 鷺野はなんとか声を発する。

「第301飛行隊って、確か、中国機の尖閣付近への侵犯に対処するためにもともと那覇にいたファントムの中隊を百里のイーグルの中隊と取っ替えたのではなかったでしょうか?」

「そのとおりだ。飛行隊ごと配置換えとしたのだ。まさに英断。そうだよ鷺野二尉」

 鷺野は大きく崩れ、片膝をついた。山川陸将補に続きロダンの彫像と化す。

「ファントムでフランカーとやり合うのですか?」

 どうにか声を絞り出した。

「F-4EJ改と呼び給え」

「ベトナム戦争で飛んでいましたよね。もう60年位前の戦闘機ではないですか?」

「”改”、と言われるようにレーダーにルックダウン能力をもたせ近代化改修を受けているし丁度複座だ」

「そんな事は聴いていません」

「なにか不満でもあるのかね」

 と副総理が割って入った。

 鷺野が瞬時に答える。

「あります。自分は行きたくありません。スーサイド・ミッションです。これは自殺行為です」

 政治家は自分の命令に背くやつに非常に敏感だ。選挙という免罪符の元、人の上に立ち指示を出すのが政治家なのだ。

「なんだぁ文句があるのか」 

「ありますね。たった一機だけで半世紀以上前の戦闘機でいったい<遼寧>から何機上がってくるのか知りませんがスティルス性能はないとはいえ、第4世代の空力的には最新最強の複数の戦闘機と戦うんですよ。たどり着けませんよ」

「そうなのか?」

 真に迫った鷺野の言葉に割とまともな感覚を持っている官房長官が疑念を持ち始めた。

 航空幕僚長がと大机に手を付き横から飛び込みながら喋る。

「鷺野二尉の発言は一部正確ではありません。F-4EJ改は現役です。しかも空自の練度は世界最有数の代物です。昔F-104を飛ばしていた折、沖縄で在日米空軍の当時最新鋭のF-15イーグルと模擬戦を行ったのですが、我が空自のパイロットがセンチュリー・シリーズのF-104で当時最新鋭のF-15を撃墜してます」

 鷺野も必死だ。

「比較になりません。条件の違うものを比較することは数学に真っ向から反します。数学は理科系、科学、論理のすべての基礎です。これらを否定して論理的思考はありえません。この航空幕僚長が明らかに誤っています。恐らく防大卒です、航空幕僚長の責任ではありませんが防大は秋に早く受験しすぎなのです。あれは一種の受験戦争におけるいびつな志願制です。防大の受験体制の不備もいまここに同時指摘させていただきます」

 航空幕僚長がキッと隣の鷺野をにらみつける。

「副総理、数学は空中戦に関係ありません。防大の受験の時期も一切空中戦に関係ありません」

「昔、うちの家内が乗っとったハイヤーはセンチュリーとかいう名前だったぞ」

 副総理が言った。

 場はなごまず、シラけた。冗談が目的なのかどうかわからないからだ。 

 鷺野はさらに追い打ちをかける。

 航空幕僚長に対する呼びかけが変わった

「それにあんた、さっきから気づいていたが、パイロット徽章をつけてないだろう。ずっと地上勤務なのか!」

「パイロットなど高いところが好きな”くるくるパー”ばかりだ。貴様こそ、空自の何がわかる!」

「空自の幹部はクリック一つ出来ないのか?」

「出来るが、副総理の命令なんだよ」

「私がみたところ、<ザ・ナイツ>は大きく分類して5つぐらのパターンしかありません、ワクチンのパターンも同様とざっと計算して順列組合せでおそらく二十代の組み合わせです空自の幹部で十二分に対応できます。付け加えるなら、秋の受験の為この航空幕僚長を含め防大生は順列組合せを習っていません」

 鷺野は航空幕僚長に飛びかからんばかりだが、ぐっと息を吸い大机に向かった。

 小松基地の戦闘機なら、アフターバーナーを付ければ間に合うのではないか?。

「副総理に官房長官、私に妥協案があります。石川県の小松基地の第303飛行隊はどうでしょう?」

「もう調べた、駄目だった」

 と航空幕僚長。

「では、同じ小松の第306飛行隊は?」

「関東近隣のイーグルの中隊ばかり挙げとるんだろ、なんで、そんなに空自のことに詳しんだ、お前は。もう調べた。駄目だった」

「私は、ミリ・オタなんですよ」

 まだ、鷺野には希望があった。

「小松の、、飛行教導群は」

 飛行教導群とは空自における、空中戦の技術を磨き研究開発し教官役に徹するエリート部隊、アグレッサー部隊である。

「駄目だった、全部、貴様の出したわけのわからんウィルスの条件に抵触するんだよバカモンが」

 落胆した鷺野は無言のまま、その場にしゃがみこんだ。

「アウチ、、、、、、」

 小さくつぶやいた。

「あの、、」

 思わぬところから、違う弱い声が聞こえた、佐竹三曹である。

「あの、、自分が小隊長の代わりに行きましょうか?」

 鷺野も、不意をつかれえっという表情をする。特別対策室の全員がこの背だけは高いがひょろひょろの弱そうな男に注目する。

「ワクチンはどうなった?」

 と表情を代えて鷺野は佐竹に尋ねる。

「作業は先程終わりました」

 と今度はみさおあかね陸士長。 

「うん、ご苦労」

 佐竹三曹とみさお士長を見る鷺野の表情はたった二人の部下とはいえ、立派な小隊長の顔だった。

「しかし、俺だって宣誓している身だ。あんたらみたいに、こんな危険な任務を部下に任せてのうのうと座ってい待っていることなどできませんね」

 鷺野は言い切った。

 そこへ、重い一言が来た。

「鷺野ぉー」

 山川陸将補だ。

 先手を打って鷺野は答えた。

「警察官やレンジャーの敵討ちも一切関係ありません。どうせ誰も責任を取らないことを前提で言いますが、すべては作戦立案者と軽率な実行による災害と言っても呼んでも言い程度の失敗です」

 山川陸将補もグーの音が出なかった。

「そこまで言うんだ、やっぱり貴様が行けや、なぁおい」

 副総理までもが大きく身を乗り出して喋りだした。

「なぁ貴様がこれの言い出しっぺなんだろぅ?」

 その副総理の言葉を聞いて鷺野の表情が更に険しく変化した。もう獣だった。

「言い出しっぺぇ?、言い出しっぺだと、言い出しっぺはあんたんところのジジィだろ、戦時中は憲兵に捕まったとかいうが、刑務所では王侯貴族みたいな生活だったらしいじゃないか、なにが軽装重商だ。これも、京大のなんとかっていう教授の後付けだろう。適当にやった結果、世界史でも稀に見る最長期の傀儡政権じゃないか。それで、後始末でつけを支払わされて一番苦労しているのが、この自衛隊なんだよ。おい、何だお前らどっから入ってきた」

 気がつくと鷺野は両脇を二人の自衛隊の警務官(旧軍の憲兵)に挟まれていた。

「つまみ出せ、そして連れて行け」

「おい、こらぁ、、、、、なんとか、言え、、、恨んで永遠に出てやるからな、二階級特進も忘れんなぁ」

 鷺野は小さいので屈強な警務官にあっという間に引きづられて特別対策室を出ていった。

 静かな官邸にあっという間に戻った。

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